大連・小雨客舎
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大連・小雨客舎
大连/小雨客舍
現況:ホテル/招待所、元の用途:不詳
大連市沙河口区西連街8号
竣工年 不詳
設計 不詳
施工 不詳
撮影 2009年10月
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大連・小雨客舎
大连/小雨客舍
現況:ホテル/招待所、元の用途:不詳
大連市沙河口区西連街8号
竣工年 不詳
設計 不詳
施工 不詳
撮影 2009年10月
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浜松ジオラマファクトリー・3.17オープン! |
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新京弥生高等女学校/新京青年学校
現況:不詳
青島路
竣工 不詳
設計 不詳
施工 不詳
撮影:2009年/1943年
新京弥生高等女学校は1935年(昭和10年)新京家政女学校として設立されたが、翌年、新京青年学校、37年に新京青年学校女子部、39年新京実践女学校、41年新京実科高女、43年に新京弥生高女と、ほぼ2年ごとにに改称を繰り返した。
校舎は昼間高等女学校が使い、夜間は青年学校が使っていたようだ。
青年学校については、通称なのか児玉青年学校と書かれた資料もある。
現存する建物は左端の部分が増築されているが、窓や屋根のドーマーの位置は変わっていない。
参考:『写真集・さらば新京』(国書刊行会)ほか
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青島学院実業学校・紘宇高等女学校
現況:青島第十中学
青島市館陶路8号(葉桜町10)
竣工 不詳
設計 不詳
施工 不詳
撮影 2006年
青島学院はコロンビア大学を卒業したクリスチャンの吉利平次郎(よしとし・へいじろう)氏が1916年4月に設立した日中共学の夜間の英語塾「青島英学院」を基礎とし、翌年改名した私立専門学校で、簿記、英語、日本語などを教えたという。
その後、同学院は1918年に葉桜町(現・館陶路)に移転し、1925年夜間部を青島学院実業学校とし、1921年に開設した5年制昼間部の商業学校は、1934年に新校舎を台西鎮単県路に作り、青島学院商業学校として発展した。また商業学校の移転後、昼間の空き校舎を利用して紘宇高女が1938年に設立された。 青島英学院草創期の校舎も天主教堂近くの肥城路に現存している。
参考:『消えた学院―日中共学を実践した「青島学院」の三十年を追う』米村秀司著、2011年ラグーナ出版
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2009年 下の絵の左側の部分 5階に増築されている。
↑↓ 1939年発行の『新京商工案内』に掲載された広告
新京名古屋ホテル(第一ホテル)
現:不詳
長春市東一条8号
竣工 1939年頃
設計 不詳
施工 不詳
長春駅前からほど近いこの建物は、来歴がよくわかっていないが、いくつかの情報をまとめると、1910年代から同じ場所で名古屋ホテル或いは名古屋旅館として営業してきたホテルが、新館を建築し、開業後まもなく火災に遭い、1940年ころ、東京の第一ホテルの支店或いは別会社として再建されたようだ。
解放後は軍の招待所として使われてきたが、近年また火災に遭い、現在はホテルとしては使われておらず、一部のみ店舗として使われている。
広告によれば、4階建てで、一部塔屋が9階まで(外観の絵によれば9階は塔の屋上)あるという、当時としてはかなりの高層建築である。
年表:HP『日本観光史』より借用
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