今回の裁判に思う
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「陸山会事件」事件の東京地裁判決では、裁判官が証拠に基づかない「推認」で有罪判決を下しました。既存のメディアが大部分、検察よりの報道をしているなか、こういう恣意的判決もありえた話ではなかったでしょうか。結局、「常識」的にありえないと私たちが思い込んでいただけで、あえて裁判所が強引に強権的なアクションを見せたときにどういう対抗手段があるかという先読みが不十分であったのではないでしょうか。
また、そのあたりの実質的な議論がされないまま、江川氏や郷原氏、植草氏のようなオピニオン・リーダーに頼りっきりだったといえるのではないでしょうか。村木氏の裁判で無罪判決を勝ち取ったといっても完全に検察側のオウンゴールともいうべき内容でしたし、メディアの側も軸足は検察側にあったにせよ、それほど極端な報道管制は敷いていなかったのですから、今回の裁判と土台、環境が違ったのです。それに、鈴木宗男氏の有罪判決に対する総括・追求も十分に行ってこなかった結果、0勝2敗1ノーコンテストなのです。
司法の大原則を捨てたといって驚くには当たりません。そんなことは、裁判員制度の導入ですでに明らかになっていたことではないですか。そのことも計算に入れると、0勝3敗1NCではないでしょうか。いったい、私たちは何度唖然としてみせたら自分の足元の危うさに気がつくのでしょうか。 |




