よっしー本店

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バド・パウエルと私

こうして、自分のブログでキーボードを叩くのは実に久しぶりです。叩くと言いましたが、私の指はキーボードの上をゆっくり這い回っているのが実態で、バチバチ音を立てながら勢いよく文章を紡いでいっているわけでは毛頭ありません。
イメージ 1 さて、今夜私が選んだのは、バド・パウエルのブルー・ノートの第3集“BUD!”です。A面1曲目の“SOME SOUL”。ここにきかれるバド・パウエルのフレーズは、パーカー・イディオムの欠片もありません。いや、リズムの不安定な短いフレーズを繰り返すだけであったり、クロマチックで上昇していくだけのシンプルなものです。指に力は入らず、それが、微妙なテンポ設定とあいまって、抜け殻と化したパウエルを印象付けます。この曲の聴きどころは、もつれる指やリズムに乗れない彼自身、ともすれば枯渇しそうなアイデア。それら全てを自分の財産として前向きに受け入れようとする人間的な葛藤をバド・パウエルに見ようとするのです、このパーキンソン病に押しつぶされそうなアルト吹きのおっさんは‥‥。
2曲目“BLUE PEARL”、3曲目“FRANTIC FANCIES”になると、随分好調さを取り戻したパウエルになります。1947年〜1953年当時のバド・パウエルに較べると、確かにフレージングの息はみじかくなってはいますが、それでも指は弾力性を取り戻し、鍵盤の上を跳ね回ります。おそらく、結構テイクを重ねたのではないでしょうか。
そして“BUD ON BACH”。私が持っているLPレコードで解説を担当していた悠雅彦氏は、第2集に収められた“GLASS ENCLOSURE”を思い起こさせると言っていましたが、僕の場合1949年の“TEMPUS FUGUE-IT”が頭をかすめました。独奏になると流石に力量を発揮します。もう1曲“KEEPIN’ IN THE GROOVE”というミディアム・テンポのブルースでモンク的な和声を連発したところでA面を終了。
B面はトロンボーン奏者カーティス・フラーを交えたカルテットでパーカー・ナンバーなどを演奏。こちらは楽しく聞けました。
このレコードは、既に紹介したとおり、悠雅彦氏がライナー・ノーツを担当しています(1977.2.9.)が、アメリカの麻薬の弊害と差別に苦しむジャズミュージシャンとの社会構図に迫った力作でした。ジャズ評論家は音楽作品と社会の断面を結びつける、このような仕事をして欲しいものです。

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 私がまだ小学生だった頃、獅子てんや瀬戸わんやという二人組がよくテレビで漫才をやっていました。テンポよく繰り出されるギャグに当時の私は大いに笑わせられていましたが、ある日友人との間でそのことを話題にすると、その友人に「人の身体のことを笑いの種にしている漫才のどこが面白いんだ」と、吐き捨てるように言われてびっくりしたことがありました。
 
今から45年くらい前のことです。確かに、彼らの漫才は「ハゲ」で「チビ」の相方をコキおろすといった内容がほとんどでしたが、当時は彼らに限らずお笑いのネタとはそのようなものでした。今から思えば、とても人権感覚の鋭い友達であったと思います。
 
いや、45年も遡らなくても20年前頃のビートたけしや明石家さんま。彼らの若い頃の芸風も女性の顔かたちのことをネタに笑いをとっていたわけですから、笑えない人たちは確実にいて、笑いの排他的な性格はあまり変わらずにいました。それから20年くらいが過ぎてみて、現在感じることは、さんまさんも変わったなあということです。
 
今は笑いの中にも人への思いやりが込められていて、すごく洗練されていると感じます。かつては社会的な弱者を一方的に笑いのネタにしていたのが、今ではそういう人々もいっしょに笑える内容に変わりつつあります。さんまさんに限らず、多くの「お笑い」芸人のみなさんが、人権意識を持ってネタづくりに励んでおられるということ。それがお茶の間にも伝わってくるようになりました。
 
もちろん、時代遅れの差別的な芸風の方もまだいらっしゃいますが、障がいや病気を持った人たち、いじめや虐待にあっている人たち、性的少数者、国籍の異なる人たち、引きこもりや不登校が理由で苦しんでいる人たちなど、いろんな方が視聴者の仲間として迎え入れられるような、みんながみんな心から笑え、生きていく勇気が持てるような、そんな元気の出る「お笑い」を目指してくださることを切に願います。

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 中学生時代から寮生活をしていて、長らくテレビとは縁が切れていた私ですが、いや、もっとはっきり言うと、テレビに象徴される消費文明そのものを内心否定してきた私ですが、このところ妻と二人で過ごす時間が増えてきたこともあって、見るともなしに見ていたテレビ番組にいつの間にかハマっている次第。
 
 ご多分に漏れず「半沢直樹」ブームにもしっかり乗って、同じ頃あっていた「斉藤さん」、そして玉置浩二演じる元伝説のロッカーはじめユニークな家族設定が印象に残った「東京バンドワゴン」などのドラマものから、お笑い番組まで、すごいハマりよう。私が変わってきたのか、テレビ番組が変わってきたのか、たぶんどちらとも変わってきたのでしょう。
 
 まあ、高視聴率を獲得した「半沢直樹」はともかくとして、「斉藤さん」や「東京バンドワゴン」は、嫌いな人にはとても鼻につく、クセのある番組のような気はしましたが、とても回転よくハイテンポで物語が展開していく番組でした。ただ、かつて「ツインピークス」というアメリカのテレビドラマが、やはりハイテンポで展開していったはいいが、つじつま合わせに無理が来て、最終回で視聴者の期待を裏切る凄いスベりようだったのを思い出させる「斉藤さん」ではありました。まあ、しかし、そういう批評も含めて、楽しませていただきました。
 
 ドラマも変わってきたけれど、もっと変わってきたのがお笑いの世界です。最近の漫才はユニバーサルデザイン化してきていると思います。関係者の努力の賜物という気がします。素晴らしいことですよ。これについては、別の機会にふれましょう。

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 息子たちが我が家を離れてもうすぐ2年になります。家には夫婦ふたりだけになってしまいました。夫婦といっても違う人間同士です。いつも仲良くというわけには、なかなかいかないのが実情です。
 
 でも、夫婦生活30余年を経て、私はあることに気がつきました。それはお互いに何らかの努力を要するような目標を掲げるとなかなかうまくいかないということです。たとえば家事を分担するにしても、それが努力を必要とするものである限り、自分の努力ばかり評価してしまいます。一方、相手の行いには厳しくなりがちで、不満をためこみ新たな火種になるというのが、私たち夫婦の常でした。
 
 「○○すべき」というような倫理は一見もっともなようですが、自分に甘く他人に厳しくなるものです。ちょっと見方を変えて、お互いに義務を課するのではなく、今までうまくいかなかったことをできるだけ気楽に乗り越えられる道を探すことにしました。そんな方法があるのなら最初からやっていると思われるかもしれませんが、意外と解決の方法は足元に転がっているものです。
 
 私は、自分にできないことは無理をせず妻にお願いすることにしました。たとえば、車の運転とか電球の取替とか、男の役割として認識していたこともいちど見直すことにしました。それは私を楽にすると同時に、妻にとっては自信を深めることにつながりました。逆にお弁当作りに私がチャレンジしたりして、それが私にはすごく楽しかったりしています。そして、どちらが始めたというわけでもありませんがかならず「ありがとう」と口に出していうことにしました。それだけです。こんな簡単なことが以前はできていなかったのです。
 
 また、あさ起きたらかならず「おはよう」といいます。これは、前の晩に喧嘩していようが何があろうが、かならず自分の方から言うようにします。まったく幼稚園児に逆戻りしたような話ですが、それで万事が丸く収まるのであれば結構な話です。「押してもダメなら引いてみる」ことです。課題を共有するというのは、こういう日常の積み重ね(あるいみでトレーニング)ができていれば何でもないことなのですが、日常がギスギスしている中でいくら崇高な倫理観を求めたところで自分だけが高みに立っているも同然で、受け入れられるわけがなかったのです。以前の私はそうでした。「ちがいを認め合う」ということができていなかったんですね。

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 現在27歳になる長男のKが保育園に行っていたときの話です。
 Kは次男のTと7歳近く離れているので、当時はまだ一人っ子状態。なので、兄弟げんかも経験がなく、父親の私が言うのも親馬鹿の誹りを免れまいと思いますが、優しい性格の子でした。集団生活がどのようなものかも知りませんでした。
 保育園への送り迎えは私がしていました。保育園で先生に預けて立ち去るときのつらさ‥‥私の背中をいつまでも見つめているKでした。
 
 そんなある日のこと。私が迎えに行くと、暴れん坊のSちゃんがKの背中やおしりをたたいていました。Kはなす術を知らず、ただ薄ら笑いを浮かべて逃げて回っていました。私は、Kの薄ら笑いから、この光景がその日たまたま起こったことではなく、日常的に繰り返されていることを直感的に嗅ぎ取りました。
 これは、このまま放置してはいけないと思いました。こんなことが続いていたら、Kは弱い子になってしまう。なんとかしなくては。しかし、大人の私が入って行っても何の解決にもならない。ここはひとつK自身の力で突破させないと‥‥。私は考え抜きました。
 
 その夜、私はKにあるトレーニングを施しました。それは、腹の底から大声で「やめろ!」と怒鳴りつける練習です。Kは最初のうち、小さな声で「やめて」と言うのが精いっぱいでした。「やめて」では相手より立場が下になってしまいます。せめて相手と同格のポジションにいないと怒りの感情は沸いてきません。私はKにいま必要なのは「怒り」であるという気がしていました。私は心を鬼にして「『やめて』じゃない。『やめろ』と言え。」「声が小さい。腹の底から声を出すんだ。」やがてKの声はしっかりしたものになっていきました。その夜遅く、私はKの寝顔を見て、そのあまりの素直さに切ない気持ちでいっぱいになりました。
 
 翌朝、私はKが保育園に行きたがらないのではないかと案じていましたが、Kは普段と変わらないばかりか、玄関を出がけに「よおし、やるぞー」と気合を入れ直していたのには私の方が驚きました。保育園で別れ際に私はKの方に右手を伸ばし、拳の親指を立てて「ノー・プロブレム」の合図をすると、Kも同じ合図で応えてきました。
 
 その日は、あまり仕事が手につきませんでした。
 
 さて、仕事を終えて保育園に迎えにいくと、Kはひとり2階に通じる階段のところに座って泣いているではありませんか。「ちくしょう、ちくしょう」と呟きながら溢れ出る涙を手の甲でぬぐっていたのを今でもはっきりと覚えています。先生がやって来て、Kの頭を撫でながら、「Sちゃんに対して少しもひるまず立ち向かっていったんですよ、泣かされちゃったけど偉かったもんねえ。」先生も涙目です。
 私はKをぎゅっと抱きしめ「よくやった、よくやった」と呟きました。結局、これを境にKとSちゃんは大の仲良しになっていきます。
 
 私自身、人生の岐路に立ってへこみそうになったとき、「よおし、やるぞー」と言って玄関を飛び出していったKの姿を思い出し、勇気をもらったことが幾度もありました。自由とは勝ち取るものです。怠けやわがまま、身勝手などとは質が違うものだと私は思っています。

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