ゆうゆ♪ ブログの時間ですよ〜!( ̄▽ ̄)ノ

被災者の皆様に心よりお見舞い申し上げます。「がんばっています! 日本!」

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困ったオバサン、困りなはっとる。。。

毎度おなじみ「困ったオバサン」
 
んが、今回はちょっと違う。。。
 
今日はマジに。
 
困ったオバサンに、とうとう 因果の報いが。
 
 
 
その前に、困ったオバサンのことをちょっとおさらい。
 
そもそもオバサン宅、数年前にデカい家を建てられた。
 
その際、旧家屋の大半は自宅にて焼却。燃えない物は地中に埋め、その上に現在の家が建っているとのこと。
 
「おかげで、処理代200万円分浮いたわ」と、オバサン自ら豪語している。
 
そこのご主人、新築の家に1年も暮さないうちに亡くなりんしゃった。
 
 
 
さて、日頃のオバサンといえば、
 
*周りの迷惑なんのその、黒煙モクモクごみ焼却しなさる。
 
*口を開けば人の悪口・噂話ばっか。聞きに辛いったらありゃしない。
 
*よその畑を平気で通り道にしたついでに、ハナシバちょっきん。
 
*他人の墓の金具を勝手に使う。
 
 
*そして極めつけ、、、
昨年の自治会大掃除の際、親の代わりに出てきていた20代の女の子に対し、
「あんた!カマも使いきらんとね!ったくー!」などと、終始小言を浴びせてはイジメていた。
泣きべそをかきながらその女の子は最後までがんばった。ホント、かわいそうでした。
 
 
 
そして一昨日のこと、困ったオバサンと道で遭遇。
 
なにやら顔色が冴えない。
 
「オバサン具合でも悪いとね?」
 
聞けば、命にもかかわる大病を患ったという。
 
「自治会の大掃除に出んとイカンとけど、こんな事情で今年は出きらんごたっ…」と、オバサン辛そうに話す。
 
昨年、女の子をイジメたあの威勢とはうって変って、なんとも青白く覇気のない顔。
 
因果報応とはまさにこのこと。しっぺ返しとでもいうのでしょうか。
 
 
「治る確率は○○%。定期的に注射を打つだけで、確実な治療法のなかとげな…」と、オバサンはなっから諦め状態。
 
 
 
 
いや、そうじゃないと私は思う。
 
いままで自分がやってきた「負の言動」にハタと気付き、心底反省・懺悔したとき、奇跡はおこるはず!そう思う。
 
 
「確実な治療法がない」ってことは、そういう方向にも目をやりなさい。そこにヒントがある。悟りなさいってことですよ!
 
 
仏教のお経のひとつに「懺悔文」というものがある。
 
 
 
 
がしゃくしょぞう しょあくごう
我昔所造諸悪業 
 
かいゆむし とんじんち
皆由無始貪瞋痴 
 
じゅうしんごい ししょしょう
従身語意之所生 
 
いっさいがこん かいさんげ
一切我今皆懺悔 
 
 
「訳」
 
私が昔からなしてきた様々な悪しき行いは、

すべて始まりもない太古からの貪りと怒りと愚かさを原因として、

身体と言葉と心によってなされたものである。

それら全てを私は今みな懺悔する。
 
 
 
 
 
「因果」=原因があるからから、結果がある。
 
その原因を懺悔し悔い改めれば、結果もおのずと消滅する。
 
ほんの一瞬でもいい、心底「悪かった!」と反省したとき、必ず奇跡は起こるはずですよ。
 
 
オバサン、このことに今気づかんやったら、本当に命にかかわるよ。
 
残された娘さんたち、どがんなっとね?
 
普段は困ったオバサンでも、やっぱ近所は近所。昔からの付き合いたい。
 
やっぱね〜、おらんごてなったら寂しいもんたい。俺も〜。
 
治療法じゃなかと。オバサンの心の持ち方次第よ!
 
このこと、直接伝えたいけど、まず素直に聞き入れんもんね〜。
 
どがんしたらよかかね〜?
 
助かる道はあるとよ!
 
 
 

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オッペしゃん

かつて、まゆみちゃんという女性がいた。
通称「オッペしゃん」
 
オッペしゃん曰く、、、
「おいげん母ちゃんな、野菜は食べきらっさんとですよ」
 
「あら、そしたら肉ね?」
 
「いんにゃ〜、肉もダメですよ」
 
「分かった! なら、魚じゃろ?」
 
「んにゃ、魚も食べらっさんとですよ」
 
「なら、あたんねん、母ちゃんな、なんば食って生きとらしと?」
 
「はい、ごはんとみそ汁だけですよ」
 
「うそじゃろ〜、、ガハハ〜」
 
 
そんな話をしたのが、20年ほど前。
 
今日、そのことをふと思い出して、真剣に考えた。
 
本当に「ごはんとみそ汁」だけで、生きのびておられるのだろうか?
 
皆さん、、、どう思います?
 
 
 
 
    オッペしゃん↓
 
イメージ 1

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ところ変われば愛想も変わる。。。

たまに行く髪のカット屋さんA.
 
そこにいる女性スタッフ花子さん。これが無愛想極まりない。
 
挨拶も交わしたことなければ、笑顔なんて見たこたぁ〜ない。
 
 
 
昨日、別のカット屋さんB行った。
 
するとそこに花子さんが遊びにきていなさる。
 
カット屋同士で、つながりがあるのでしょうね。
 
 
 
「あら、こんちは!」と、声をかけると、
 
「あー!どうもー!」って、満面の笑顔。
 
 
わぉ! 花子さんの笑顔ば初めて見たばい。
 
ナンJARO?この違いは。
 
花子さん、本当はイケTEL顔しとるとん!。
 
 
 
 
 
花子さん、カット屋さんAでの居心地が、よほど悪いのでしょうね〜。
 
 
私くし、ご覧のとおり、
 
ブッツン!きれいなヘアースタイルになりました〜。
                      ↓
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 1ぐわし!

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恵みの雨。。。

昨日の雨で野菜たちが「ゴイ!」と太った。
 
一滴の水も天地の恵み!
 
感謝カンシャでございますね〜。
 
 
 
 
 
イメージ 1
(家庭菜園:未の方角一部にございます)

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島原そうめんのルーツは小豆島じゃなかった!

島原そうめんのルーツは「小豆島」というのが、いつの頃からか定説になっています。
 
だが、これは古文書等により検証されたものではなく、民話風に語り継がれてきたもの。
 
改めて検証すると合致しない点が多いという。
 
 
 
一方、最近では「島原そうめんのルーツ」=「中国福建省」説が有力となってきました。
 
 
 
◇寛永時代の古文書に、参勤時の持参品や献上品などとして「素麺」の名が頻繁に 登場する。
 
江戸初期の有馬藩には、そうめんを製造できる者がいたことになる。
 
つまり、寛永14年(1637年)島原の乱の頃は、既にその技術があったことになる。
 
 
 
 
◇一方、小豆島史によると、この頃小豆島ではそうめんがまだ作られておらず、産  地化されるのはそれより50年ほど後になる。
 
 
 
◇さらに、慶長時代(1612年頃)幕府の禁教令により、長崎の地には多くの中国寺  が建てられていた。やがてそれら僧の手により、そうめん製造技術が伝えられた  ことがうかがえる。
 
以下のような理由だ。
 
1、「湯餅」→「索麺」→「素麺」(そうめん)とは福建省の方言。
 
2、製造工程・道具・器具が極めて類似。
 
3、南島原市の80歳以上の方は、そうめんのことを「そろ」・「ぞろ」と呼んでいた。
小豆島にはこの呼び名はない。
 
4、ある製造器具が小豆島と異なる。
小豆島は木製だが南島原では陶器製。同じ陶器製を使う福建省と合致する。
 
イメージ 1
 
歴史って、長い時間をかけて解き明かされていくんですね〜。
 
島原半島も全滅したのではなく、かなり生き残っていたそうですね〜。
 
「移民=四国地方から多数」といわれていますが、意外とそうじゃないのかも。。。
 
どう解明されていくか、今後が楽しみです。
 

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