巨大津波 その時ひとはどう動いたか
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昨晩、下記のテレビ番組を見た。
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2011年10月2日(日) 午後9時00分〜9時49分
NHK総合テレビ ---------------------------------------------------------
番組の内容はリンク先の番組hpを参照いただきたい。 自分が宮城に住んでいたこともあり、あの日に実際に何が起こったのかを知りたかった。
それと、職場の先輩同僚に名取市閖上地区出身者がいて、震災当日のその先輩同僚とのやり取りが今でも思い出すからだ。 2011.3.11のあの日。自分の住む栃木県でも強烈な揺れに見舞われた。すぐに停電になってメディアからの情報を得るのには苦労したが、職場の他の同僚がワンセグ携帯のTVを受信できて宮城岩手方面の被害甚大で大津波が来るという情報を得ることができた。沿岸部はやばいと思ったとき、先輩同僚が名取市閖上地区出身だと思い出してすぐに、その先輩にご実家は大丈夫か?とたずねた。そのときの先輩の様子というか態度が今でも覚えている。
その先輩は私の問いに、まるで他人事のように大丈夫だろうというのだ。
「本当かよ?」と心のなかで思ったが、先輩の返答はさらにつづく。
”あの辺(閖上地区のこと)は、海岸線が砂浜で長く続いているから津波がきてもたいしたことは無い”
どういう理屈なのか、どこから来る自信なのか・・?
それ以上反論もできなかったし、本人が大丈夫というのだからそれ以上なにも言えなかった。 宮城県の仙台港を堺に港の南側は砂浜の続くなだらかな海岸線が続く。閖上地区はその中ほどにある。
ここには三陸地区に見られるような大きな防潮堤は無い。だから大津波がくればなすすべは無い。 地形もなだらかで目だった高台も無いため、避難場所も少ないはず。だから、閖上は大丈夫なのか?と聞いたのだが・・・・。 果たしてその結果というと周知の通り、閖上地区は津波で壊滅したのである。 先輩にはその後どんな言葉をかけていいかわからなかった。 しばらくたってから知ったことだが、やはりあの津波でご実家は流され、親類も行方不明になった後、数日後に遺体で見つかったそうだ。 先輩はどうしてあの時、津波は来ない、大丈夫と自信満々だったのか? その疑問の一部がこの番組を見て分かったような気がする。 番組で閖上地区の生存者からの聞き取り調査の中で、地区のひとたちの津波に対する意識が紹介された。 ひとつは、過去の「チリ地震津波」でそれ程被害を受けなかったこと。 地区の中心を流れる運河(貞山堀)を超えて津波は来ない。 といった、津波の危険度に対する独自の認識があったようだ。 番組では各住人の地震後の時間経過毎の行動状況がグラフィックで紹介された。
驚いたのは地震直後でも逃げない人が多かったということ。 宮城岩手の同じ沿岸部でも三陸海岸地域の人たちとは対照的な反応ではないのか。。 生き残るか否かの境界は、”個人の危機意識”がどれだけあるかにかかっている そう思った。 |

私、ユリアゲの者です。昨日NHKをみてまた思い出しました。いつも地震がきても、町の放送で「津波のおそれがあります」ってサイレンなっても絶対こなかった。だから絶対に今回も大丈夫だと。
車をおりろといわれ、小学校に逃げました。校庭にはなだれ込んだ車と死体が見えました。母は孤立し数日後ヘリコプターで助けられました。ただその時に一緒に逃げた友達が目の前で死にました。
すべて一瞬の判断でした。
2011/10/3(月) 午後 11:25 [ kk ]
書き込み頂きありがとうございます。
自分事に置き換えて自分だったらあの場にいたらどうしていただろうかと自問しています。
2011/10/4(火) 午前 6:48