徳林庵
|
| | その駒札によると、 |
| 『柳谷山と号し、臨済宗南禅寺派の寺である。南禅寺の雲英禅師がその祖といわれる。仁明天皇の第四の宮人康(さねやす)親王の菩提を弔うために草創したものという。 |
| この地はもと十禅寺の開山人康親王が、隠栖された処で、地名も四の宮泉水といわれている。 |
| 地花堂本尊は、参議小野篁(たかむら)が一木から刻んだ六地蔵の一といわれ、京の町から諸国、諸地方へ向う東海道の出口にあたり、 |
| 物詣でや疫病の送り御霊会などの交流から道祖神塞神の信仰となり地蔵菩堤信仰として栄えた。 |
| また堂後には、四の宮明神と人康親王を祀る供養塔があり、また禅丸塔ともよんでいる。 |
| 江戸時代には検校位を有する盲人が、毎年一回全国から参集して琵琶の奥技を演じ、親王の御霊を慰めたという。』 |
|
トラックバックされた記事
http://blogs.yahoo.co.jp/yuhobito/trackback/1417074/54451305
トラックバック先の記事