干鰯問屋の社会貢献(浦賀灯明堂)
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最初に春が訪れるのは海辺です。
家内と浦賀の灯明堂に出かけました。
東京湾の入り口、岬の先端に木造のお灯明があります。
多分、日本で最も有名で、役になった灯台でありましょう。
石の基壇の上に木造二階建の灯台が出来ています。
その二階部分は障子が張られて、中には灯明が設えてあり、灯をお供して灯して海を行く人の安全を守ったのでした。
築造されたのは慶安元年(1648)年、観音崎灯台が出来てバトンタッチするまで(明治5年・1872)220年余り人の命を守ったのでした。
浦賀の岬はいち早く春が訪れます。ストックの花も満開です。
向かいは房総半島、江戸に向かう船が必ず海峡を通ります。
これが灯明堂です。東浦賀の干鰯問屋が建て維持して来ました。
灯明堂は岩場の上に建っています。
周囲は磯遊びをするには格好な場所です。
様々な海の生き物と遊ぶ事が出来ます。
叔父さんが岩に張り付いている「浜海苔(磯のり)」を採取しています。
プラスチックのボールには真っ黒な海苔が一杯になっています。
磯の香りが強くて、旬の味なのでしょう。
美しい砂浜、澄み切った海、遊ぶ子供たちには燦燦と春の光が降り注ぎます。
砂場ではアサリが、岩場では浜海苔が採取できます。 砂浜では裸足で子供たちが走り回っています。
海水に足を浸して、ドンドン沖に向かいます。
冷たくないのかしら?
私は心配です。
子供は、”春が来た”嬉しさを行動で、体一杯現しているようです。
此処には一体のお地蔵様が立っています。
そして、その横には石柱が建っています。
石柱の正面には「南無妙法蓮華経」日蓮様のお題目が刻まれています。
側面には「衆罪如霜露 恵日能消除」と刻まれています。
観普賢菩薩行法経の一文です。
この後に「是故応至心 懺悔六情根 」と続きます。
『人間の罪は霜や露のようなものである・・・・、
春の日差しが照れば霜も露も消えてしまうように、
春の光が照らされれば衆生の罪も消えてしまう・・・・、 だから、心を清くして懺悔をすべきである』
そんな意味でしょう。
角柱の背には「元禄年間に東漸寺の日鳴(多分住職)が建立した、と刻まれています。
灯明堂の建つ場所は処刑場でもありました。亡くなった人に引導を渡した角柱。正面にお題目が 刻まれています。裏面に施主の名、建造年月が刻まれています。 私は思い当たります。
友人のH君の実家が湯浅屋という東浦賀の干鰯(ほしか)問屋でした。
東漸寺の道路の向かいにありました。
その東浦賀の干鰯問屋が灯明堂を建て、毎晩一升の菜種油を灯して海を行く船に位置を知らせたのでした。
そして、その檀那寺の住職が死んで行く人に引導を渡したのでした。
”お前の生前の罪は霜や露のように消えてなくなる。仏の慈悲はまるで春の光のように・・・・、罪(霜・露)をとかしてしまうから・・・・”
東浦賀も家並み、中央が東叶神社。勝海舟が水垢離した。向かいから咸臨丸が出航した。 最近になって、企業が社会の公器である自覚が求められてきました。
社会的責任(CSR)がそれです。
企業が公器であるといった自覚が欠けているから・・・・・、改めて問題になってきたのでしょう。
JR西日本の脱線事故、東電の対応など見るにつけて、法的には罪科を追求できないまでも、その欠陥は目に余るものがあります。
それにつけても、江戸時代の初めに民間の人達が灯台を立て、死者を弔った・・・・・、事実に畏敬の念を深くします。
日本人の心も社会も退歩してしまった・・・、思わざるを得ません。
補足:干鰯問屋とは江戸時代に干鰯(魚肥)を扱った問屋のこと。 魚肥は木綿・菜種の栽培に適して即 効性があったので貴重であった。米の4倍の価値があったと言われています。浦賀の干鰯問屋は 湯浅屋のように紀伊の国から進出したものが多かった。
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寒さの中、水仙が 綺麗に咲いていますね・・・
水仙の摂り方・・やはり カメラ位置を低い位置に定める事が肝要らしいですね。最後の映像が とても良い 構図ですね・・・
2012/2/13(月) 午前 10:22