秩父の石置き屋根の家
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秩父に行く途中長瀞に寄りました。
川の上流は”瀬”と”瀞(とろ)”を交互して流れます。
瀞は水深があって静かな流れです。
瀞が長く続く場所だから「長瀞」なのでしょう。
日本全国に長瀞という地名は数多くあるようですが、荒川の上流、秩父の入り口にある「長瀞」は一番有名です。
今日お話する旧新井家住宅は「長瀞川下り」乗船場近くにあります。
今日の話題の旧新井家住宅。主屋は石置屋根ですが、庇や付属部分、庭先厠(トイレ)は茅葺きです。
秩父に来ると何時も思います。
「秩父は木曽に似ているなあ!」
山が迫って、川が急です。
長瀞の岸辺を囲む「岩畳」は、木曽川の「寝覚の床」に似ています。
屹度岩の名も同じなのでしょう。(どちらも『変成岩』です。既存の岩石が熱と圧力が加わって出来ます)
秩父市の市街地を見下ろす。略中央を荒川が流れます。
秩父市はどことなく木曽川の上流「中津川市」を思わせます。
そう思ってバスの車窓から眺めると、似たものが次から次に見つかります。
秩父には三峰山があってお遍路さんが集まります。
木曽にも御嶽山があって全国から行者さんが集まります。
秩父にも木曽にも栗の木が多く生えていて、栗の銘菓があります。
(秩父には菓子匠『栗助』があり、木曽には栗きんとんの『す屋』があります)
そして、秩父も木曽も民家は『石置き屋根』が特徴でした。
木曽路奈良井宿、石置き屋根も散見しますが殆どがトタン板に代わってしまいました。
秩父の石置き屋根の民家は昭和40年代は見る事が出来たのでしたが、
今は旧新井家住宅だけになってしまいました。
国の重要文化財に指定されたのが昭和46年ですから、
民家としては早くからその価値が認められていた事になります。
でも、石置き屋根の修復が思うに任せなかったようです、
昨年ようやく修復を終え、今公開しているのでした。
秩父市の職員が熱心に説明してくださいますし、その姿勢に郷土愛が感じられて好感です。
長瀞の旧新井家住宅の全景。石置き屋根、荒壁と柱・梁とのコントラストなど、どこかお洒落です。
”この屋根の修復には2千万円もかかったんですよ。
屋根の上の石は漬物石と同じ大きさですから、屋根板も厚くなければならなしし・・・・・、
水が染み込まないように重ねて葺きますから・・・・、材料が嵩みます。”
”その上材質は栗の木でなくてはなりません。栗の木は濡れても頑丈で・・・、線路の枕木も栗ですから・・・・、
屋根に枕木があるようなものです・・・・”
言われるように木曽の石置き屋根も今ではなくなり、妻籠でさえ文化財に指定されたものしか残っていません。
屋根はトタン板で葺いても可だが、焦げ茶色にするように・・・・決められているそうです。
でも、石を置いた屋根が連なっている景色を見た人は、現在の姿に満足できません。
藤村の”夜明け前”の景色は屋根の上に重い石が置いてなくては・・・・、情趣が浅くなってしまいます。
木曽路妻籠の嵯峨屋は石置き屋根です。(重要文化財) 文化庁の「重文データベース」を調べると以下のようになっています。
文化庁の指定根拠も秩父地方の板屋根に重きを置いています。 【構造】 桁行(幅)17m 梁間(奥)10m 切妻造り二階建て、板葺き、東面下屋付属部茅葺き、西面北面庇は杉 皮葺。
【時代区分】 江戸中期 延享2頃(1745頃)
【解説】 大きな居間を持った家で、居間や土間周りの柱や梁は太くいかにも農家らしい。かって秩父地方に広く分布していた板葺き農家の典型であり、外観の意匠も優れている。
秩父市の案内では以下のようになっています。
「新井家」はもと長瀞町大字中野上にあって、新井正之氏から市に寄贈された。(昭和50年)
新井家は名主だったと言われるがそれを証明する文書はない。
この建物は解体修理によって3度の改築が行われた事が判明しています。
建物内から三峰山高雲寺(三峰神社)のお札が数多く見つかり、その最も古い物が「延享2年」でしたのでその年建築されたと判断しました。
建物の構造はかって長瀞町で多く見られた養蚕農家の姿をよく表しています。
馬屋が建物の中に設けられていること、屋根裏の「母屋(もや)」をアケビの蔓で結んでいること、
軒下には関西風の格子戸が取り付けられていること等が特徴です。
秩父は石灰岩の大産地ですが白壁ではなく土壁です。全体としては質実剛健なた獲物ですが、細部には お洒落心が伺えます。例えば、屋根の庇の下、格子戸があります。二階は屋根裏部屋で養蚕を行なってい ました。そのため風を通し、光をとるため障子戸にして格子戸を入れたのですが、京風にしました。
名主の家よりも百姓代クラスの家と考えたほうがよさそうです。
・・・・、と言うのは玄関もないし、奥の間(書院)も無いのですから。
我が家の近く「小岩井家住宅」は名主の家で、床の間、玄関付きで・・・・、半分は武士の家です。
でも、横浜市の文化財止まりで、国の指定は受けていません。
立派ですが、地域文化の香りでは新井家住宅には遥かに及びません。
(住人としては残念ですが納得です)
潜り戸(土間に続く、横浜では『トンボ口』と呼びます)の上に取り付けられた魔除けのおまじない。
丸石は女性自身、棒石は男性自身を示す”道祖神”です。
地域文化の香り・・・・、そのひとつが潜り戸上部の”魔除け”です。
家人もお客も土間の前に設えた「潜り戸」を通って家に入ります。
潜り戸ですから、背の高い人は腰を少し屈めないと、頭をぶつけてしまいます。
その頭の上に丸い石が二つ、棒状の石が二つ、交互に括りつけてあります。
病気や疫病・・・貧乏神が家に入り込まないように・・・、厄除けです。
丸い石は女性の、棒石は男性のアレです。
だから・・・・、村の辻に厄除けに立っている道祖神様が、家の入り口にも睨みをきかせているのです。
私は市の職員に言いました。
”祀られていますね道祖神様が”
市の職員は笑顔で応えます。
”良いもんでしょう・・・・・・!”
”良いものです”
居間の神棚。三峰山(秩父神社)の神が祀られています。周囲は木製(麻)の御弊でしょうか?
梁は松の木が使われています。屋根裏が見えますが竹で組んだモヤにアケビの蔓で栗板を結んでいま す。栗板は重ねられて水の浸入を防いでいます。これだけでは屋根が軽く吹き飛ばされてしまいますので 屋根の上に重石を置いています。それが「石置き屋根」です。
横浜市の「小岩井家住宅」には土間に棚が幾つも用意されています。
でも其処にあるべき神様は不在です。
私は管理人に言いました。
「この位置には神棚があった・・・、神様は”大山阿夫利神”ですかそれとも”寒川大明神”ですか?」
すると・・・こう咎められました。
「ここは横浜市の施設です。神様はお引取り頂いています」
文化の香りの最も濃いところが宗教です。
神棚の神様不在では文化のエキスが無くなってしまいます。
民家と言った文化財の最も良いところは・・・・、八百万の神々が祀られている所です。
前に行った田麦俣の多層民家(国重文)には湯殿山の神々が祀られ、
その横には明治天皇の御真影が飾られていました。
神々の不在な民家は・・・、骸骨みたいなものです。
土間から居間を見る。中央の角柱が大黒柱で欅材です。框は栗で板間は杉で張られています。
竹やアケビも含めて地場産のオンパレードです。この日は油絵や絹の作品が展示されていました。
黒光りした大黒柱は欅材だそうです。
屋根の梁は松だそうです。
そして屋根が栗で、
板間や縁側は桧材や杉材を使い分けて・・・・、
そう、秩父の山に自生している材木を総て使った家です。
室内には様々な道具が展示されています。
中でも養蚕の用具が目を引きます。
土間の壁一つ隔てて牛小屋です。(若しかしたら馬小屋かも?)
部屋があって、道具があって・・・・、ただ足りないには蚕や牛(馬)がいません。
これが肝心なのです。
私は、脳裏に蚕棚に沢山の蚕がいて、庭でとってきた桑の葉をバリバリ食べている様子が思い浮かびます。
障子戸が開いて、格子の間を五月の山風が吹き降ろして来ます。
奥が蚕棚、手前が繭を取り出す「回転まぶし」、出来た繭から座繰りを使って生糸に製糸します。
その段は明日「秩父銘仙」で案内します。
土間続きの牛小屋(?)牛こそいませんでしたが牛車が置かれていました。
牛さえいれば現役で使えそうです。(長瀞町教育委員会の案内では馬小屋になっています。
www7.ocn.ne.jp/~youkotei/top/007syuuhen/.../araike.htm )
旧新井家住宅は素晴らしい民家です。 案内している人達も熱心で、強い愛着を持っていて楽しませてくれます。
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