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↑あらすじ・配役はこちらを参照ください。
 

松山ケンイチさんのクセのあるキャラ(=聖:さとし)と
東出昌大さんの羽生さんを見たときから、楽しみにしていました☆
(松山さん絶賛です!)
 

村山聖さんを知ったのは、新聞の死亡欄でした。
29歳の若さで亡くなった棋士――と言う以外は知りません。
映画は事実を基にしたフィクションーーとの但し書きがありましたが
村山さんの人物像に、生生しく触れられた印象に、満足です。
 

彼が、タダモノでないのは、個性(性格)かもしれないけれど
命の期限を知ればこその、生き方だったのかもしれません
時限爆弾を抱えたような生き方は、そのまま
自分の命を起爆させたように、エネルギッシュに攻めていました!
 

▼〜▼ 内容にふれて雑談です。
▼▼▼
 

聖(以下敬称略)は、
自分には、時間が残されていないことを知ってか
やりたいことにしか、時間を割いていない。^^;
 

聖が将棋を指すシーンに、はさまるのは
他の人の日常的なシーン。けれど
毎日がどんな日であろうと、
聖の時間は、ほぼ将棋。(お部屋は雑然
 

いわゆる、常識の欠如を感じるほどの“個性”をも
見せつけられますが(汗)
それを、“生き方”として受け入れられるのは
彼が、故人になってしまったからではありません。
 

限りある人生を悔いなく、とか、必死に、などと言いますが
どれだけのことが、できますか?
必死にって、どう生きます?
 

私は、個人的には、今のところ
今日一日できることをする――というつもりにしていますが……
聖は「(先のことより)目の前の一手」だと言いました。
 

人生を長く見積もれば、長い目で見ることも大事だけれど
ともすると、現実逃避的に、遠くを見てしまうこともある……
 

“目の前の一手“の意味するところは
近視眼的な“今”だけを、見ているわけでなく
その一手が、すぐ先の勝敗を決してしまう、危険をはらんでいること。
だから、今の一手が重要なんですね。
 

そして、同門の青年(=染谷将太さん)が、勝負に敗れ
将棋界に、留まれなくなったときのこと。
彼自身、仕方なく第二の人生を受け入れようとしているのに
聖は、厳しく言い放った。
「何が第二の人生だ!甘えるナ!」
第二の人生を、生きる時間のない自分は
もっと、必死に将棋をやってきたと……
 

必死にやってるつもりでも、ドロップアウトすることはあるので
将棋界を去る青年を、責めることはできませんが
逆に、それだけ、今しかないという鬼気迫る状態で
将棋と向き合っている聖は、生半可でなく
将棋以外のこと(常識含む)が、目に入らない世界に住んでいるのだー
ということを、改めて痛感させられた。
 

その将棋の勝負。
地味なシーンにはなるけれど、見入った。
羽生さんには絶対勝って、箔をつけたいという聖。
(羽生さんとの1勝には、他の人の20倍の価値があると言う。)
 

生さんに勝った日、自分から羽生さんを誘って、語らうシーンがイイ☆
羽生さんは紳士的でいい人だが、さすがは勝負師。
聖に負けて死ぬほど悔しい、と本人に打ち明ける。
 

手な遠慮やお世辞を言わず、聖も
個人的な“夢”の話を、羽生さんに打ち明ける。
 

最大のライバルだからと言って、お互い
やっかんだり、憎んだりするのではなく
自分が全霊で挑める、尊敬すべき相手だからこそ
自分の本心をも、打ち明けられる――
高みを知る、勝負師同士の対話には、感じるものがありました。
 

ところで、聖が病院に行ったときのこと。
子供の時は、母親が
成人してからは、聖が
医師に「どうしてこんなになるまで放っておいたのか?」と言われる。
早く治してあげたい気持ちはわかりますが、
そう言われても、辛いだけかと……
 
 
▼▼▼
 

短い一生を将棋にかけた棋士の物語―――と
まとめるには、クセのありすぎる村山さん♪
一生というより、まさに燃えたぎった“青春“がふさわしい。
 

さらっと流れずに、一手一手、ビシッとパチッと駒を打つような
松山ケンイチさんの聖(さとし)像が、とても鮮烈でした☆
 

PS:村山さん、「いたキス」が好きだったとは!^^;
羽生さん、チェスもされるんですね…^^;
 

 

 





 

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