映画『紀ノ川』★母たちの生きてきた川だと思うと〜雑感です。
|
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。
有吉佐和子原作。
和歌山を舞台に、嫁した女性(たち)の物語です。
最近では、『FLOWERS フワラーズ』に、その片鱗があったでしょうか。
多分、娘の頃に、『FLOWERS フワラーズ』も『紀ノ川』も観ていたら
今のような実感はなかったと思う。
いや、多分、頭では、女が妻や母になることはわかっていたとしても
本当に、妻や母になることの重さというか意味というものは、わからなかったと思う。
怖さや覚悟と言っていい。
冒頭は、主人公の花が紀ノ川を下って嫁入りする、華やかで壮大なシーン。
遠目には、お嫁さんが嫁ぐんだな、というだけのことかもしれない。
けれど、観ていた私には、怖さがあった。
めでたいはずの祝言の席でも、夫の親戚たちに囲まれて、自分を知る人のいない他家で
今日からずっと生きていくということに、覚悟以外の何があろうかと……。
けれど、女たちの多くは、そうやって生きつないできたんですね。
良家の子女である花は、立派な嫁として、婚家に尽くしとおす意志をもって
あの嫁入り船に乗ってきた。
幸い、嫁いびりに合うこともなく、嫁としてのつとめを粛々とこなす花の毎日に
安堵しながらも、見入った。
(夫の弟のイヤミはあったが、好きな子をいじめるというアレです)
序盤の好きなシーンは、花の祖母役の東山千栄子さんが、
花を女人高野に安産祈願に連れていくところ。
自分も、花の母も、安産祈願をしたように、孫の花に教える。
その語りかけが、とても大らかで、懐深く、思わず「ああ、お母さんって有り難いな」と思う。
……おこがましい言い方で、本当に悪いけど……
花のような、あるいは、自分の母親でもいい、隣のオバサンでもいい
このような女性の一生を観ても、ピンと来ない人もいると思う。
嫁(妻・母)が、自分を無にして婚家に尽くすのは当然、と言えば、そうなのかもしれなくて
当然の女の一生を観ているに過ぎず、どこがいいのかわからないと……
けれど、だから、終盤、何度も心打たれ、涙がにじんだ。
花の娘の文緒。
岩下志摩さん演じる、強気な進歩的な娘である。
婚家に隷属的な母のようにはなるまいと、そんな母を蔑んできたフシがあり、反発もしてきた。
しかし、文緒も母となり、年を重ね、花の晩年には、母のそばに付き添うようになり
そうして、自分とは異なった気丈さで、生きてきた母の美徳に感じ入る。
(私は、うまく書けませんが、思い出すと涙が出てきます……)
花の生き方を理解してくれる娘がいて良かったと思いながら
理解のような同情のような感覚でもあって
しかし、上から目線っぽい憐みではなく、下から仰ぎ見る敬慕なんだと感じた。
(一方で、総領の甚六=長男の情けなさには、腹立ちます!昔の長男さんは、跡取りだからと、蝶よ花よと大切にされたおかげで、いざというときに根性がないんですかね〜>>
それと夫。花の内助の功を身に染みていながら、賢婦人に疲れるらしく、愛人をかこうなんて!ったく!)
花が、文緒とともに、安産祈願に行くシーンにも
その前の東山千栄子さんの優しさと重なって
何代も受け継がれてきた母親の想いに、胸打たれる。
子どもは、一人で生まれて、一人で大きくなった顔をしてしまうものだが(私含む^^;)
ずっとつながる、愛情と祈りがあればこそなんだと、感じ入る。
そうして、花の孫娘に続いていく、花の命の絆。
紀ノ川の流れが、随所に見られるが、川の流れのような人の一生、と言うまとめ方では簡単すぎる
深い読後感がある。
☆:;;;;;;:*☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;:*☆*:;;;;;:*☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;;:☆
明治・大正・昭和と流れ、今は、男女雇用機会均等法や年金の支給方法も変わり、
女性が、婚家とともに運命をともにするような覚悟をしないで済む生き方が出来るようになってきた昨今でも
自分の老いた母は、花のような女性であると感じている。
妻や母は、自分を後回しにしているもので、それを当然と思って日々、過ごしてしまいがちだが
母には、もうそろそろ、自分の時間を好きなように過ごしてほしいと思っている。
それに付き合え、というなら、私も喜んで、付き合う(笑)。
|
