被災したあの場所へ。

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昨日の事です。
震災から2ヶ月が過ぎ、あの日居合わせたママからお借りした、子供達の着替えを返しに行きました。 顔面蒼白になる程の恐怖を味わった場所だけに、ケイの心の傷が心配でしたが、彼は、 「行ってみる。」と笑顔でした(*^_^*) バス停から保育園までの道すじは、ガラスと天井が崩落した建物が手付かずで、(一応、宮城県警のテープと立入禁止のコーンで囲われてはいた)当時のまま。 仙台の中心部はかなり綺麗になったけど、周辺地域はまだまだです。 保育園自体は無事でした。敷地内の壊れたアスファルトは修繕中で、ちょうど、配管の水漏れの工事をしているところでした。 園庭の地割れは、重機を入れて直したけど、4月の大きな余震で再び一部が陥没したと、先生が嘆いていました。 支援センターに一歩足を踏み入れた時、ケイは、こんにちは!と元気に挨拶しました。 でも、直後に、 「お母さん、地震来ないよね?」 と、少し不安げな様子。 大丈夫だよ、来ないよ。さあ、ミニカーで遊ぼうか? と言ったら、 「うん!」 と笑顔になりました。 先生方は、 「あの後、大丈夫だった?」 と、温かく迎え入れて下さいました。 あの日の事や、普通の給食が出せるようになった事(市内の小中学校ではかなり長い間、コッペパンと牛乳だけだったと聞いていたので気がかりだった)などの話をしました。 ふと、センターを見渡すと、会いたかった先生の姿がありません。 あの時、次々に襲う余震のさ中、優しく子守唄を歌ってくれた先生です。 T先生は、お元気ですか? と尋ねると、 T先生ね、3月いっぱいで、退職されたの。 ショックでした… 退職される事、全然知らなくて。 お礼も、さよならも言えなかったのが、心残りです。 でも、お元気だそうで、たまに支援センターに遊びにいらっしゃっていると聞き、安心しました。 またお会いしたいなぁ。 一通り遊んだ後、粘土遊びをしよう!という話になりました。 実は、ある意味、粘土遊びは越えなくてはならない壁。 なぜなら、3/11、粘土遊びを始めたばかりの時に、あの巨大地震が起きたからです。 案の定、 「地震来ないよね?」 と、ケイ。 でも、先生の楽しそうな表情に、すぐにいつものケイに戻りました♪ さ、餃子を作ろうかな! じゃあ、僕は、中身を作る! こうして、先生とケイと私の合作の、粘土餃子が出来上がりました(≧▽≦) あの時に止まってしまった時間が、2ヶ月を越えて動き出した瞬間でした! コウも、テーブルをバンバンしながら、喜んで見ていました。 お母さん、また○○保育園、来ようね! 帰り道、ケイは楽しそうに言いました。 夕方の心地よい風に吹かれながら、たくさん歌を歌って、帰路につきました。 |


































