2月16日(月)飛鳥見学の続き。猿石を見てから、鬼の俎・雪隠へ行こうと駐車スペースを探し15分ほど走りまわったが、結局その南の道路のふくらみに駐車。遊歩道の右に鬼の雪隠があった。説明板があり、欽明天皇陵の陪塚の横口式石槨の蓋石が鬼の雪隠で、床石が鬼の俎。蓋石が上から転落し今の位置にある。蓋石は花崗岩を繰り抜き、天井と壁を構成している。
鬼の俎は鬼の雪隠の東側上部にあった。南正面に扉石を固定するための枘穴がある。
天武・持統天皇陵古墳。鬼の俎から東へ歩き、見当をつけて遊歩道から南へ民家の前を抜けると、やはりそうだった。下の道から車で走って眺めると丘の上に民家・別荘風の建物があったがそれが詰所とは気付かなかった。689年に天武天皇、703年に天皇として初めて火葬にされた持統天皇を合葬したと日本書紀に記されている。
階段を下りると、陵墓には珍しく説明板があった。鎌倉時代の盗掘を受け、その記録によれば、墳丘は八角形墳で、内部石室は2室あり、天武天皇の夾紵棺(麻布と漆を塗り重ねた棺)と持統天皇の金銅製骨蔵器が納められている。ここには駐車スペースがあった。
亀石。明日香小学校の北にある。道路工事中で進入しづらく、北にある信号交差点の北に駐車した。遊歩道を東に進むと、民家の脇に置かれていた。亀が南西を向いてうずくまるように座っている。境界石とされるが用途は不明。時刻は16時ごろだが、飛鳥南部を今日中に周ることにして、南端の飛鳥稲淵宮殿跡に急いだ。石舞台は30年前に見ているので省く。
マラ石。石舞台から西南方向に進むと右側に見えてくる丘を飛鳥歴史公園祝戸地区というらしく、稲淵宮殿跡はその麓にあるので、進入しようとすると、道の左側にポツンとこれがあった。男性器を模した謎の石造物。宮殿跡西のフグリ山にある磐座と対になっているという。
飛鳥稲淵宮殿跡。祝戸地区の丘陵の南麓の平地にある。掘立柱建物群が発掘された。7世紀頃の造営で中大兄皇子らが住んだ飛鳥河辺行宮という説がある。
伝飛鳥板蓋宮跡。飛鳥京とされる宮殿跡。甘樫丘の南東の広い平地の中央部にある。舒明天皇の飛鳥岡本宮(630年〜)、皇極天皇の飛鳥板蓋宮(643年〜)、斉明・天智天皇の後飛鳥岡本宮(656年〜)、天武・持統天皇の飛鳥浄御原宮(672年〜)に比定されるが、確定されていない。飛鳥板蓋宮は乙巳の変(大化の改新)で有名。正殿や前殿、内裏などの遺構が検出されており、数百m四方が保存されている。
甘樫丘からの風景。標高148m。北東から南西に延びる丘。南東麓には蘇我蝦夷・入鹿の邸宅があったとされる。北側に展望台があり、北の道路にある有料駐車場に無料で駐車。公園の駐車場は工事中だった。展望台に登ると数人人がいた。南東方向の明日香村役場・石舞台方面。
甘樫丘からの風景。西方向。二上山、畝傍山、石川池、和田池。
甘樫丘からの風景。北方向。天香久山、藤原京、中央に耳成山方面。
飛鳥水落遺跡。甘樫丘から道路を隔てて東に旧飛鳥小学校を利用した明日香村埋蔵文化財展示室があり、広い駐車場があった。17時を過ぎていたので、見学はできず。その南側に水落遺跡があった。古代の水時計である漏刻の施設。日本書紀に660年中大兄皇子が初めて漏刻を造ったという記事と符合する。
酒船石。民俗資料館の駐車場は有料だったので、南200mの道路脇空き地に駐車。民俗資料館横には酒船石遺跡があるが有料かつ時間外。が、酒船石へ向う坂道から様子はうかがえる。坂道を登りきると、酒船石があった。長さ5.5m。窪みには水が溜まっていた。庭園施設または祭祀のための導水施設といわれる。17時30分を過ぎたので本日の行動を終了し、道の駅「当麻」へ向かった。
|
甘樫丘以降の場所は見学ずみで、他のところは参考になりました。蘇我氏の遺構の発掘場所は見ましたか。甘樫丘の登り口のところです。
2009/2/28(土) 午前 11:16 [ 博光 ]