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2月17日(火)道の駅「当麻」を出て、二上山登山口の佑泉寺へ向う。細い道路を通り抜け車道の終点に佑泉寺があった。路肩に駐車できるのも平日ならでは。寺の右脇に門があり、馬の背道という登山道が書いてあったが、ガイドブックに従って寺の左側から岩屋峠経由の登山道を辿ることにした。道はよく整備され、運動靴でも全く問題ないし、毎日登る高年者が多いようだ。竹樋を使った飲み水は随所にあり、道路整備中の男性に尋ねたら飲めるとのこと。
15分ほどで岩屋峠に出た。雌岳への登山道が二つあったが、舗装道を通り雄岳との鞍部へ大阪方面の景色を眺めながら直進した。鞍部のトイレで用を足したのち、雄岳へ登った。木歩道はあるものの急傾斜であった。山頂に鎮座する葛木二上神社には麓から四十数分かかって到着。門はしまっており、有料という山頂には立ち入れず。
ここから、北東に少し下ったところに、有名な大津皇子の墓があった。鉄柵で囲まれているが一周できる。大津皇子は天武天皇の皇子で謀反の嫌疑により24歳で処刑され、万葉集によると二上山に葬られた。山頂とは書いてないので疑問視され、麓の鳥谷口古墳を皇子の墓とする説が有力。
鞍部に戻り、雌岳へ直登する。こちらは日時計のある広場や三角点もあり見晴らしがよい。高年の登山者が多く、30人ほどの人に出会った。西側の太子町万葉の森に駐車して登る人の方が多いようだ。帰りは馬の背道を下った。こちらもよく整備された道だったので、時間的にはこちらの方が短い。
山から下りて、當麻寺へ向い、北の墓地手前の公共的な駐車場へ。右へ進むと奥の院だが、左へ歩くと墓地があり、説明板に中将姫の墓とあるので、立ち寄った。十三重の石層塔。
當麻寺。北門から入ると、本堂の前に出た。寺僧が1人だけで、金堂・講堂を案内してくれた。本堂には、本尊の當麻曼陀羅が中央に祀られている。これは天平時代の原本ではなく、室町時代の写しであるが、縦横4mと大きい。しかし、諸仏が雑多すぎて信仰心は余り生じない。これを納める厨子と須弥壇が国宝で螺鈿がきらびやかであった。金堂にある最初の本尊国宝弥勒仏座像・四天王立像などはさすがに古寺の面影があった。当初は三論宗で寺院の配置も南北が基軸であったのが、平安以降浄土宗信仰が盛んになると、本堂の曼陀羅堂から東面する軸線に変わったというのが面白い。
中之坊。役小角が開いたといわれ、陀羅尼助用の釜が玄関に置いてあった。當麻寺住職の住房。庭園の香藕園は史跡・名勝で吉野竹林院・慈光院とともに大和三名園といわれている池泉回遊式庭園である。文化財めぐりの団体客と遭遇して静かに見学できなかった。
江戸初期に大名茶人片桐石州が改修した。低い土塀、借景の三重塔、心字池が特徴。印象はせせこましい。土塀のために狭く感じられ、池水が間近に迫っているため落ち着けない。
茶室「丸窓席」。片桐石州が庭園とともに造築したもので書院とともに重文。丸窓は庭と反対側にあり、設計意図不明。
日本最古の梵鐘。白鳳時代のもので国宝。
西南院。山裾を利用した池泉回遊式庭園があり、展望台からは天平時代の国宝三重塔の西塔を間近に東塔と両塔が望める。中之坊庭園よりのびやかな感じがある。弘法大師がここの曼陀羅堂で「いろは歌」を想念したという。
鳥谷口古墳。二上山方面に戻り、堰堤公園横の駐車スペースに駐車。道を戻り、丘の上に古墳まで登る。墓室は露出している。横口式石槨で、石材は二上山産の凝灰岩。底石や壁石に家形石棺の未成品を転用し、急造された形跡があり、石槨も小規模で、改葬墓の可能性が高く、二上山山頂に比定されている大津皇子の墓とみなされている。
7世紀後半の終末期古墳で一辺7.6mの方墳。墳丘は版築により腰高に築かれていた。昼になり、このあと、近くの傘堂を目指した。
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竹内街道をバスで通り、峠近くの博物館、孝徳天皇陵を見学しました。今回の見学地は行ってないので、参考になり、感謝します。
2009/3/2(月) 午後 3:38 [ 博光 ]