いちご畑よ永遠に

山とロックを愛する自由人・・旅・歴史・音楽

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[ tak*y*ng*lo ]

2012/5/24(木) 午後 0:15

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怖いですね〜〜

[ 古代出雲ファン ]

2012/4/20(金) 午前 0:10

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そこって、安来市になるんでしたっけ。たしかスサノオノミコトが鋼を発明した地、そこに日立金属安来工場があるのもなにか繋がりがあるのかもしれませんね。 削除

[ 中国により酸性雨やセシウムが高い ]

2012/4/15(日) 午後 9:38

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「原ポリネシア語」を話す民族が縄文時代に日本列島に到来していた

太平洋の中の北はハワイ、南はニュージーランド、東はイースター島を頂点とする三角形の中に含まれる島々を「ポリネシア」といいます。「多くの島々の地域」という意味です。

そこに住むポリネシア族は、日本民族と同じ「モンゴロイド」で、東南アジア系の民族です。
その起源は、中国の雲南あたりで、南シナや海南島からインドシナ半島あたりの海岸部に住んでいた「原ポリネシア語」を話す民族の一部が、北進して、フィリッピン、台湾を経て、黒潮に乗って日本列島にやって来たのは確実と思われます。

「原ポリネシア語」を話す民族が日本列島に住み着いており「原日本語」の一つを話す民族といってもよいでしょう。

その民族が日本列島にやってきた時期は、地名や神話の解釈からその時期を考えると、おおむね縄文時代の中期から後期(今から6千年から2千数百年前ころ)でしょう。

[ 中国により酸性雨やセシウムが高い ]

2012/4/15(日) 午後 9:21

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「原ポリネシア語」を話す民族が縄文時代に日本列島に到来していた

太平洋の中の北はハワイ、南はニュージーランド、東はイースター島を頂点とする三角形の中に含まれる島々を「ポリネシア」といいます。「多くの島々の地域」という意味です。

そこに住むポリネシア族は、日本民族と同じ「モンゴロイド」で、東南アジア系の民族です。
その起源は、中国の雲南あたりで、南シナや海南島からインドシナ半島あたりの海岸部に住んでいた「原ポリネシア語」を話す民族の一部が、北進して、フィリッピン、台湾を経て、黒潮に乗って日本列島にやって来たのは確実と思われます。

「原ポリネシア語」を話す民族が日本列島に住み着いており「原日本語」の一つを話す民族といってもよいでしょう。

その民族が日本列島にやってきた時期は、地名や神話の解釈からその時期を考えると、おおむね縄文時代の中期から後期(今から6千年から2千数百年前ころ)でしょう。

[ がれき受入プロジェクトXで復興 ]

2012/4/15(日) 午後 4:47

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先日は熊本県庁で水俣の水・土壌汚染や廃棄物埋立に関する情報を教えてもらいに行きました。

そのあと、鹿児島の西郷隆盛、薩摩半島の金峰でコノハナサクヤ姫や鑑真の像を拝見に歴史資料館に行きました。

薩摩の歴史資料館はとても充実していますね。特に、弥生時代までの火山灰による年代考証は立派です。

日本人のルーツの場所ですね。

[ 護れ尖閣国民行動に参加 ]

2012/3/25(日) 午後 5:33

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志風頭遺跡
Shikazegashira Iseki

内山田校区 志風台地上

縄文時代の最も早い時期(縄文草創期 今から1万2000年前)のほぼ完全な形の最古級の土器が見つかる。口径42・高さ25センチの隆帯文土器(りゅうたいもんどき)

[ 大阪花博で6月2・3日は環境祭りだ ]

2012/3/24(土) 午後 2:43

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1.九州南部から伊豆半島にかけての地勢・気候・水の状態は岬端性であり共通する特徴が見られる。

2.地理的状態に加えて森林すなわち照葉樹林と落葉樹の分布パターンも九州南部・四国南部・紀伊半島南部に共通する様相を示す。

3.上代以前から日本に渡来した人々は九州南部や紀伊半島などに上陸し、大和に政権を確立したと考えられる。東へ向けて流れる黒潮が関与していたと考えられる。

4.薩摩半島・高知県西部・高知県東部・新宮市・八丈島の各地で母音の前の声門閉鎖音が観察された。
九州南部・高知県に四つ仮名の区別が残っており、和歌山県においても最近までその区別があったとされるその実態が明らかになった。

5.日本の太平洋側各地には共通の地理的・文化的特徴が観察され、これらの歴史・文化の形成に関連があると思われる。地理的に共通の要素として黒潮の存在がある。

[ がれき受入プロジェクトXで復興 ]

2012/3/17(土) 午後 2:35

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坊津歴史資料センターは、坊津の長い歴史を背景に、広く住民に呼びかけ、寄贈、寄託の形で収集した貴重な資料を収蔵及び展示しています。

主な展示品として、国指定重要文化財の「絹本着八相涅槃図」(複製品。本物は11月のみの公開)や県指定文化財の「坊津一乗院聖教類等」「杉戸」「扁額」をはじめ漁業や農業に関するもの、明の時代に渡来した青磁や白磁など、坊津の歴史、民俗文化を知る手がかりとなる資料が数多く展示されています。
かつて中国や南方諸国との貿易で栄えていた坊津の様子をうかがい知ることができます。

行ってみたいですね。

[ 博光 ]

2012/1/30(月) 午後 1:54

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5日分の感想、鹿野苑は山西省ツアーでも、ありました。アショカ王の石柱は、歴史の講義で聞きました。ネパール入国は貴重な経験と感じました。祇園精舎は、明代の日本の僧侶が、アンコールの遺跡をそうだと、勘違いしたそうです。仏跡は関心が薄いことが分かりました 削除

[ 災害復興に有資格者の叡智を結集 ]

2012/1/29(日) 午前 5:08

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屋久島の名が歴史上初めて登場する

屋久島は、中国統一王朝隋の正史「随書」に歴史上初めて登場する。

大業3年(607)第二代煬帝は、
「異国の風俗を調べるため兵を東海に派遣したが、言葉が通じないので、地元の人を一名連れて帰り、翌年再び派遣したが、従わないので布甲などをとって帰った。その折り、倭国の使者が来朝していて、これを見て、『それは夷邪久(いやく)国の人が使っているものだ』と言った。」
と記録されている。

この倭国の使者とは、遣隋使の小野妹子であろうと言われているが、この「夷邪久(いやく)」国が屋久島である。

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