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紅葉が始まる首都キャンベラの商業地シティウォークの街路。平成24年4月2日(月)12時30分シドニー発のグレイハウンドバスでキャンベラへ向かい、16時前にバスセンターへ到着。市街地のビルは低層で人工都市らしく整然な街並み。歩き方の地図を見ながら15分ほど歩いてキャンベラ・シティYHAに到着。受付でスーパーマーケットとレンタカーのヨーロッパカー営業所の場所を尋ね、至近距離にあるシティウォークへ向かった。しかし、ビル街の外側は専門店ばかりで、スーパーマーケットはない。30分ほど歩いてビルの中に入り込み、2階のフードコートの中国系寿司チェーンで、巻き寿司の見切り品を買って食べた。1階の中央通路を歩くと、スーパーマーケットが入店していたので、食料を購入した。外部に看板が出ていないので分かりづらい。
翌日借りるレンタカーのヨーロッパカー営業所もシティウォークにあると聞いたが分からず、YHAに戻ってから再び予約書の住所を頼りに出歩いて確認すると、グレイハウンドのバスセンター近くの交差点にあった。
キャンベラの国会議事堂前を通ってスレドボへ。4月3日(火)9時にヨーロッパカー営業所でレンタカーを借りた。YHAの予約をした時に割引があると表示がったので、他の大手レンタカーと比較すると確かに安かった。翌日の18時まで2日間144.93ドルでネット予約した。実際には店頭で車両保障を追加したので、19,822円になった。
オーストラリア大陸最高峰コジウスコ山(2228m)の登山口であるスレドボThredboはキャンベラの南2時間ほどの距離だが、一帯はスノーウィーマウンテンズとよばれる有名なスキー場で冬季はバス便があるが、それ以外はスクールバス便しかないので、レンタカーは必須となる。
海外のレンタカーはハワイ島で経験があるので、それほど心配はしなかったが、ラウンドアバウトのみ注意して走行した。ナビなしのヒュンダイ1200cc。国道23号線でクーマを目標に行けばいいのだが、市街地をどう抜けるのか店員に尋ねると空港方向へ走れという。地図も何も貰えず、大通りを走ると、23号線の道標は空港方向ではなく、国会議事堂方向だったので素直に従った。
キャンベラ・クーマ間の国道23号線。少し道を間違えて戻ったりしながら、23号線を進むと大きく右折して南下し、広々とした大地を走っていった。制限時速110kmを維持して走行し、たまに遅い車を追い越した。路肩には古いのと最近のカンガルーの死体がころがっていた。
カシオプロトレックのコンパスで方位を見ると、北を指していたので不安になり、途中の休憩所に寄って、朝食を食べていた豪人夫婦に確かめると、そのまま走ればいいと言われた。
クーマのスノーウィー・ハイドロ・ディスカバリーセンター。11時頃にクーマの街並みに近づくと、この建物が見えた。オーストラリアは第二次大戦後になると、経済上や国防上の必要性から移民政策の制限を徐々にゆるめざるを得なくなり、急速な工業化を推進するためヨーロッパからの未熟練労働者を移民として積極的に受け入れ始めた。政府はスノーウィマウンテンに大規模な灌漑施設と水力発電所の建設を企画し、1949年から74年までに16のダムと7か所の水力発電所を建設したときには移民労働者が雇用された。
クーマの街並み。西方に丘陵地帯が広がってきた。街並みといっても街道沿いにあるだけで、牛乳などの冷蔵品を購入しようとして、スーパーを見逃したので、街の西端で停車し、探してもなかったので、そのままスレドボを目指した。ジンダバイン付近には人造池が多く、景観が美しい。まもなく、道路中央に設置されたコジウスコ国立公園料金所に着き、女性職員から1日券にするか2日券にするか尋ねられ、「どうなるか分からない」と答えると、1日券16ドルを発行され、スレドボのウォーキング用地図を渡された。時刻は12時14分で、期限が過ぎたら超過料金を払ってと言われた。翌朝、通って分かったが、帰途方向に窓はないので時刻確認はできない施設構造だった。
スレドボのコジウスコ・エキスプレスリフト。料金所からかなり進み、両側に山並みがそびえる谷の道路に入ると、標識があり、フライデードライブへ右折してホテル街に向かい、インフォメーションでリフトの状況を尋ねた。9時から16時30分まで運行という。無料駐車場の場所を尋ね、登山装備を準備して、13時過ぎにバレー・ターミナルへ行き、リフト券31ドルを購入した。係員に16時30分までだよねと確かめると、何と16時までと言うので驚いた。ウォーキング用地図にはリフト頂上駅から往復13km、4〜6時間と書いてある。3年ほど前に、コジウスコ登山をネットで眺め、なだらかな登山道と知っていたので、何とかなる、万一運行が終わってもリフト下の道から下山できると考え、13時15分リフトに乗った。
リフトから眺めるスレドボの街並み。幹線道路下斜面と川沿いの低地に宿泊施設が連なっている。オフ・シーズンなので街は閑散としている。コジウスコ山の反対方向にも山岳地帯があり、コジウスコ山と同じ地形だった。
リフトは10分ほどで、頂上駅に到着。
コジウスコ山登山道。頂上駅付近。頂上駅上のレストランから登山道が伸びているのか、入口で確かめるが、駅左の柵から登山道が始まっていた。風が強いので、薄いジャンパーを着た。13時30分出発。なだらかな登山道で、路面には鉄網が敷かれている。川には鉄橋が何か所か架けられている。家族連れや軽装の登山者が続々と帰ってきた。登山道は1か所修復工事が行われていた。時々急な上り坂はあるが概してなだだかに上っていく。同じ風景が続きコジウスコ山がどれか分からず、高齢の女性にあとどれぐらいと尋ねると、まだまだ先だという。しばらくすると、ローソン峠の三叉路に到着。
ローソン峠の三叉路からコジウスコ山を左に眺める。登山道から降りてくるのは、メインレンジトラックの縦走者。メインレンジトラックとコジウスコ山登山道は680mほど同じ道をとり、左の肩あたりで左右に分かれる。コジウスコ山登山道は反時計周りに左側をぐるっと回って山頂へ登って行く。ここから1.67km40分と道標に書いてある。ここまで約1時間。サブザックを降ろして、道標の後ろにデポし、ウエストポーチだけで頂上へ出発。
コジウスコ山山頂周回路からローソン峠を見下ろす。周回路で2人の若い男女と対向した。ほぼ一周し、ローソン峠を見下ろした。峠の左には避難小屋・トイレがすぐ先にあり、駐車車両がいて、幅広の道路が続いていた。リフト方面からの登山道は右の山腹に細く続いている。周囲の山並みはこんななだらかな地形が続いている。
コジウスコ山山頂広場。整備されていて、左側に説明板がある。
コジウスコ山の説明版。最初の登頂者はポーランド人探検家のストルツェルスキーで1840年2月15日であった。彼はポーランド自由解放運動の闘士コジウスコに因んで山の名を命名した。もっとも、この地は各地のアボリジニが集い交流する聖地であったらしい。
コジウスコ山山頂。山頂を示す標石。標高2228m。世界七大陸最高峰セブンサミットの一つ。十数年前から意識はしていたが、キリマンジャロに続き第2峰目となった。といっても、他の5峰に登るつもりはない。
14時52分に到着。16時までの持ち時間は残り1時間5分程度。2分ほど滞在して、14時54分下山開始。
ローソン峠の三叉路でサブザックを回収し、水を飲んだ。リフト方向へ登山道を小走りで帰路に着いた。しばらくすると、小さい作業車が登山道を走ってきた。修復工事の作業員だ。こちらの状況を分かっているので、hurry hurryと笑顔でけしかけられた。数か所に距離表示があり、登山道の半分ほどを小走りで駆け下りた。頂上リフト乗り場には15時57分に到着。山頂から1時間3分ほどだ。息つくひまもなく、リフトに飛び乗った。何とか2時間30分以内で往復できた。リフトの途中でマウンテンバイクを手で持ってリフトを登ってくる青年を見かけた。スキーシーズンではないこの時期はマウンテンバイクで山道を下るのに適している。
スレドボYHA。屋根が急傾斜なシャレー風の外観。宿代は28.5ドル。予約後にメールが来たが、読んでおらず、コジウスコ山登頂後、車の中で読み解くと、周囲が工事中なので、駐車場所を指定していた。幹線道路沿いの駐車場から下って、YHAに近づくと道路が掘り返されていて、道路下法面から入口へ入った。受付の女性は感じのいい人で、10歳前後の娘3人を連れた夫婦、老夫婦などの客が居間や台所でくつろいでいた。
スレドボ・スキー場。幹線道路沿いの駐車場からリフト方向を眺める。山頂レストランの先にコジウスコ山登山道が続いているが、ここからは見えない。
4月4日(水)9時にスレドボを出発し、キャンベラへ向かった。
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