|
ようやく落ち着いたひとときをもてる。
ゆっくりと梅田へ。
阪急三番街を楽しみ、
大阪・池田市へ。
母と駅のところで待ち合わせ。
昼食の準備を買い物して帰宅。
父は家にいたので
「ただいま〜」と大きな声で言う。
母か、父に、迎えてもらわないと
帰った気がしないのは相変わらずかしら。
母とお昼の用意を簡単にして、
テーブルの上にお皿をならべる。
夏目漱石氏を身近く感じられる
愛媛県松山市出身の両親は、
あの地独特の粋なところはあるが、
もっぱらいつも温かく温かく
優しく優しくひかえめであることを
意識されている。
この二人の生き方を尊敬している。
Yoshikoの話に黙って耳を傾けてくれる父。
熟考できていないのではないかと
いうところは、尋ねてくれる。
いつも冷静な意見を聴かせ教えてくれる母。
昨年、父が友人の訃報を機に、鬱病と診断されたことが
嘘のように穏やかで元気な父だった。
陽気で情深い父は、私の知るところ
いつもいつも元気で闊達な人だった。
鬱病と診断されたのには驚いた。
見舞いに行くと、母は言った。
「お見舞いはありがとう。
だけど、何もしてくれなくていい!
お母さんがなんとかする。
お母さんが治してみせる」
母はいつまでも美しい人だった。
私はこの人がこの世に生きていていてくれる
ことで生きてこれた。
目の前で見事なコンビネーションで存在してくれる
父母に、深く深く感謝する。
父はこれまで以上に元気。
母はいつも通り、年相応の様相を生み
芯は凛としていた。
「お母さん、お父さんの鬱病を治したの凄いね」
というと、
「そう?」と
あたりまえのようす。
ああ、こういう生き方がしたい。
ゆっくり家で過ごし、池田の道をゆっくり駅まで
見送ってもらった。
毎月帰ると言ったのに、帰られなかった。
できるだけ、会いに帰らなきゃ。
・
子どもの頃、花見、盆踊り、紅葉のお祭り
日頃もよく行った五月山。
小学生二年生から始めた茶道、成長してから
よく訪ねた五月山の道中にある逸翁美術館。
通学路にあった、日清食品の安藤さん宅は
今ではチキンラーメン記念館。
安藤さんは銅像になっていらっしゃる。
私の心には、庭に水やりをされたり
黒塗りの車でお出かけになる百福氏。
安藤さんが四十代でチキンラーメンを発明した
小屋(再現したものが記念館にある)
|