ロクデナシひろしの激しく踏んづけて〜

比カバナトゥアン・ライブハウスZAPP‘Sから 恥ずかしいけど写真を公開しました。

日記

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『「ひろし」のピリピン人に対する接し方(考え方)」


皆様、いつもご覧頂きまして誠にありがとうございます。



昨日は、クラーク、アンヘレスに行って来ました。



理由は毛さんが奥さんを連れてビザの更新に行かれるという事だったの

で、「ひろし」も後学の為に彼女と一緒に連れて行ってもらったのです。



午前11時半にカバナを出発して、午後1時にはクラークにある入管に到着

して更新はたったの10分で終わってビックリしました。



その後、昼食を取りに韓国レストランに行って焼肉を食べてからクラークの

SMで洋服を買ってから、円が高いというので毛さんが円をペソに両替する

という事で何軒かのマネーチェンジャーを見て回って1万円が5470ペソが

一番レートが良かったのでそこで両替をされてから、韓国食材店に行って

日本食材や煙草を買ってからカバナに戻ってきました。



途中でアガサの子供図書館を運営されているBUNBUNさんの所へ尋ねて

みましょうと話を毛さんとかねがね話をしていたので、「ひろし」が提案した

ら、毛さんがBUNBUNさんのブログをいつも見ておられる様で、驚いた事に

日本でBUNBUNさんは毛さんは近所だそうで、「どうしてそんな事がわかる

んですか?」尋ねるとBUNBUNさんは最近日本に帰国されていて投稿され

た記事の写真を見たらBUNBUNさんの実家のすぐ近くに毛さんが商売され

ている店舗があるそうで、「BUNBUNさんは日本からピリピンに戻られたば

かりでお疲れだし、ある件でお礼を申し上げたいのでもう少し時間を置いて

キチンとアポイントを取ってからお会いしないと失礼だから」と言われたの

で真っ直ぐカバナに戻って来ました。



BUNBUNさん、お疲れが取れた頃に毛さんと一緒に伺いますので宜しくお

願いします。




『「ひろし」のピリピン人に対する接し方(考え方)』




まず最初に本日のタイトルに対して説明させて頂き、ご理解頂かなければ

なければならない。



此処でいうピリピン人というのは貧困層(彼女やその家族・ザップスで働く

スッタフ)のピリピン人を差しており、例え貧困層でも違うピリピン人もいらっ

しゃるし、たとえ日本人でも同じ様な人達を数多く見て来ているのでその事

を頭の隅に入れて、あくまでも参考例として見て頂きたいと考えている。



最近ピリピン系のブログを見ていると一部であるが、ピリピン人の奥さんを

もらわれピリピンに住んでいながらピリピン人の事を頭ごなしに悪く言った

り、在比の日本人に対してかなり屈折した見方をして滅茶苦茶な事を書い

ている人を見かける。



いくら表現の自由があると言っても、「貴方はどうなの?」と憤りを覚えてコ

メントで文句を言ってやりたい衝動を抑えてそんな馬鹿と諍いを起こしても

時間がもったいないと思って無視をしているが標的にされている同胞の方

の気持ちを考えると何とも言えない気持ちにさせられてしまう。



本題に入らせてもらうが、ピリピンに来て彼女に商売をやらせて約7年にな

るが、小さなレストランからモール内に現在の前身のザップスと店をオープ

ンしてその後、現在の店も入れて延べで254名のスタッフを採用して働い

てもらっている。



現在、34名(ガード、バンドメンバーを除く)のスタッフが働いてくれている

ので220名は辞めて行った事になる。



しかし「延べ」という言葉を使わしてもらったのは過去に一度辞めて再雇用

した場合もスタッフナンバーは以前の番号を使っていないので正確には判

らないが200名位のスタッフが辞めて行った事になる。



辞めて行った理由は様々だが一番多かったのが、①、今よりも良い条件の

まともな昼間の勤務先が見つかったというケース、②、学校に行くケース

③海外に仕事に行くケース④、仕事が嫌(怠けて)で辞めて行ったケース、

⑤、不正を働き解雇(首)にしたケース、⑥女子スタッフの妊娠など他にも

様々なケースがある。



①〜③のケースは前向きな事柄で辞めて行ったので何の問題も無いが

④〜⑥のケースの場合は、正直言ってかなり落ち込んでしまう。



彼女のレベルアップを大義としてスタートさせた商売であったが毎日を一緒

に過ごす様になると段々と情が湧いてきて可愛くなってしまうのが人情とい

うものではないだろうか。



日本では社会人になってから飲食店やホテル業やサラリーマン、独立して

社長業を通じて多くの日本人と一緒に仕事をしてきたが、月々の収入や賞

与や会社の福利厚生や国の社会保障制度など様々なモノに守られている

日本のサラリーマンと違ってピリピンでは大企業を除いて基本的には殆ん

どのスタッフが日給月給で福利厚生も社会保障もレベル的にも規模も無い

に等しいもので彼等の給料は驚くほどに安く、日々食べて行くのがやっと

で自身の病気、家族の病気など問題が発生した場合、親戚を含めて家族

で助け合うが限度を超えた場合、最悪の場合は「死」に直結してしまう。



そんな事があって商売をスタートしたばかりの頃は色々な意味で日本の制

度に近付けてみようと努力した時期もあったが、悲しいほど全てが上手く

行かず空周りで、スタッフが辞めて行く度に虚しさで一杯になったものだ。



昇給システム(3ヶ月に一度の日給の見直し)やインセンティブ・有給制度

や親睦会(旅行)やSSSの奨励などを含めて色々な事やったのだがスポン

サー(陰の)が日本人でお金持ちだから「ラッキー」という位の感覚しかな

く、給料(日給)も3ヶ月に一度見直しやる気を持たせる様に動機付けをし

てもレベルは上がるどころか見えない所でサボり出し、終いには不正を働く

ようになってしまい、泣く泣く解雇したスタッフが何人もいた。




日本人というのはは良くしてもらったらその事に対して「恩」を感じ、その事

に感謝して感謝の気持ちを何だかの形で返そうとするのが人の道だと教

わって来たし自身も実践してきたという自負を持っている。



ピリピンにもウータンナローブ(恩を心に刻む)という言葉はあるのだが、そ

れは親(家族)に対してだけはあるみたいだが、それ以外の人に受けた恩

を忘れないで頑張るという事を実践しているピリピン人が居ない事はない

と思うが、日本人と比較した場合、「ひろし」の周りにいるピリピン人は少な

いのではないかという感じがしている。



また人間関係に於いても仕事上に於いても「信用」というものを重んじて

生活や商売をしている、ピリピン人やピリピン人の商売人も日本のそれと

比較するとかなり気薄であると感じる事が多い。



これはピリピン人の「悪口」を言っているのではなく、あくまでも私が日本で

生活をして知っている日本人の方々との比較で話をさせて頂いているので

誤解のない様にして頂きたい。



では、その原因が何処にあるのか?と考えた場合、宗教であったり、親の

教育であったり、国の教育制度だったり、貧困や歴史的背景が原因だとか

議論の分かれる所だと思うが、自分なりに10年近くピリピンと関わってき

て思うのは先ず「ひろし」が日本人(外人)であるという事がその様な事を

感じる一番の原因ではないか、と思うようになってきている。



彼等ピリピン人から見たら、戦後の日本人が米国人に対して持ったある種

の観念というか具体的に言うならば「豊かな国」「お金持ち」だというイメー

ジで見ていたのと同じで、我々を人の良い「お金持ち」とこちらが同じ人間

だと思って接しても、彼等は先進国での仕事の厳しさや、豊かさや、福祉

の充実や、平等で公平な教育が当たり前だという扱いを経験した事がない

人達なのである。



その意味で短期間で日本人の価値観や習慣や道徳を押しつけても理解の

しようがないのである。



その事が分かるまでは失敗の繰り返しだった。(分かってはいても)



最初にぶつかった壁は、相手の立場になって考えるという日本人独特の

習慣で平たく言うと「相手を信じる」という事でもっと言えば疑った見方をし

ては相手に失礼だし、嫌な思いをさせてしまっては相手に申し訳がないと

いう思いから様々な問題が起こっても自分の非として店側が全て負担をし

ていた。



しかし、その事を実践して継続している内は何の問題解決をしなかったの

である。



ある意味スタッフを疑って全てを調べて、チェックを繰り返し仕事が終わって

帰宅する前には持ち物を検査して、ミスや欠品が発生した場合は全てその

個人やチーム負担にして、お金の貸し付けにしても給料の範囲内で、しか

も金利を取るなど、徹底してやり始めてから、ようやくまともに組織が機能

し始めたのである。



こちらに来た当初はスタッフをまるで信用していないピリピンの商売人を見

て、ある意味「軽蔑」をして見ていたが、貧困層のスタッフを雇用するという

事は悲しいがそう言う事だったのである。



ここまでをお読みになって「そうじゃないよ」と思う方もいるかもしれないが

少なくとも「ひろし」が10年生活するなかで、彼女を通して7年間商売をや

らせて来て感じた率直な感想を書かせて頂いたまでである。



では徹底して疑って常に彼らを見て、情を入れないでスタッフと接している

のかと言えば残念ながら、50年近く日本人をやっているので現在でも間違

いを犯し、時々であるが虚しく寂しい気持ちを持ちながら生活をしているの

である。(涙)



その最大の原因は、心のどこかで同じ人間である以上、殴られれば痛いし

嘘を憑かれたら嫌だし、自分がされて嫌な事は相手にしないだろう?とい

う気持ちがあって相手の事を信じてしまい、自分の気持ちが少しでも入る

と、その子の幸せや将来の事を考えてしまい、その子の気持ちや背景を

無視して時には厳しくなったり、ある時には過分にやり過ぎてしまい、その

事に対してその子が理解出来ない行動を取った時など自分の尺度で捉え

てしまい勝手に怒ってみたり、落ち込んだりしている。(汗)



ある意味、この事はピリピン人に限らず、日本人同士である時は友人関係

や夫婦や親子関係でも同じ事がいえるのかもしれないし、同じ日本人の中

にも恩知らずや、平気で嘘をつき人を裏切る人間がいる事を知っているが

総じて、その様な人は不幸で寂しい人生を送っている人を見て来て、尚更

の事、身近にいる若いピリピン人の人達に、その様な虚しい人生を送って

欲しくないという思いが強くなってしまうのだ。



しかし、最近は以前から比べると極めてクールに彼等と接する様に努めて

いるが、そうすればそうするだけ彼等は日本人とかピリピン人とかいう国

の違いを感じさせない態度で本当に素直で明るく、安い賃金にも関わらず

一生懸命に仕事をしてくれるのである。



そしてそんな彼等を見ていて再び「情」を入れて、再び同じ失敗を繰り返

すのである。



何を言っているか解らない方もいらっしゃると思うが、この絶妙な距離感を

持ち続ける事がストレスを溜めないで生活をする「ピリピン人とのピリピン

に於ける日本人の付き合い方」ではないかと思っている。





以上。





バカンスでピリピンに旅行に来られた方や「ひろし」もカバナ(生活圏)以外

の場所に行った時は、その時限りという気持ちから過分なチップを弾んだり

してマスターベーション(自己満足)をしていますが、いざ自分の生活圏に

戻るとやり過ぎると相手から当り前と錯覚され感謝されるどころか常にアテ

にされてしまい、距離を置くと恨まれてしまうなど、お互いに残念な結果に

終わってしまう事が多いです。



これは冒頭に話をさせて頂いた様々な要因があると思いますし、私自身に

も問題があるとも思いますが、ある程度の時間を掛けて相手のレベルや

背景などを見極めながら付き合って行く事が肝要だと思っております。



価値観や道徳観が違うもの同士が上手く付き合っていく事の難しさをこの

国で「ひろし」はピリピン人の方からだけではなく日本人の方からも教えて

頂いた様な気がしております。



「我は我、人は人、されど仲良く」
子供の頃に道徳の時間に習っ

たこの言葉が今更ながら「五臓六腑」に沁み渡る今日この頃です。




本日も最後までご覧頂きまして誠にありがとうございました。

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『「ひろし」のピリピンでの日々の過ごし方の変化』



皆様、いつもご覧頂きまして誠にありがとうございます。




昨日の夜、少し酔ってブログの投稿を終えてから11時半頃横になったの

ですが、その後も世界の行く末やヨーロッパの経済不安やここ最近の韓国

の株価の値下がりなど国内外の諸問題を考えていると朝方まで眠れなく

なってしまい寝付いたのが早朝の5時過ぎてした。



本当の事を言うと若い娘のオメコの事ばかりを考えていると興奮して眠れ

なかったのです。(恥)



遅く寝てしまったので目が覚めると時計を見ると11時を回っており慌てて

毛さんに電話をしてそれから、豚汁にご飯をぶっ掛けて胃の中に込んでか

ら車をぶっ飛ばして毛さんの別宅の作業場に向かいました。



現在の農作業は堆肥作りをやっておりまして、藁を剪定鋏(せんていハサ

ミ)で5〜6センチの大きさに手作業で細かく切っており、もちろん「ひろし」

は機械に依る裁断を提案しましたが毛さんはあくまでも人力に依る作業を

すると言って譲らなく、それも最初は一本のハサミしか買って来ませんでし

た。



膨大な量の藁をたった一つのハサミで細かく刻めば、気が遠くなるような

歳月が掛かってしまうのは作業初日に流石の毛さんも判った様で次の日

に2本に増やして「ひろし」の相方はシリンちゃん、毛さんの相方は奥様と

4人で作業を日々送っております。(汗)



これから先、毎日やったとしてもひと月以上は掛かってしまうのでその話を

農作業日記として投稿しようがないので作業自体に変化があった場合に

改めてお知らせしたいと思っております。(爆)



そんな作業をしてると物珍しいのか高級車に乗ったお金持ちのピリピン人

が車を停めて色々な質問をして来ます。



先日は近所の大邸宅に住む医者が毛さんに色々と質問をして無農薬で日

本の種を使って野菜を栽培する為にやっていると説明すると、出来たら是

非とも買わせて欲しいとお願いされていて、毛さんは趣味でやっているの

で出来た暁には差し上げますと言っているのを聞いて、の我々日本人には

原始的な機具で作業をさせてピリピン人に対しては優しく気前のいい話を

していたのでその日はあまり口を聞きませんでした。(爆)



それでは本題の方に入りたいと思います。




『「ひろし」のピリピンでの日々の過ごし方の変化』





先日の様にネットワークが繋がらないだけで1日のサイクルが狂ってしま

い、かなりストレスが溜まってしまった。(爆)



改めて考えるとピリピンに関わらず海外に住んでいらっしゃるる日本人の

殆んどの方がインターネットから色々な情報を得ている筈で、その情報が

突然遮断されてしまうとパニックとまでは行かないまでもかなりのショックを

受けてそまうものである。(笑)



そうやって考えてみるとピリピンに来て9年半が過ぎようとしているが最初

の5年位ははピリピンに於いてパソコンを一切使用しない生活をしていた。



日本の情報は当時カバンツーアンは衛星放送でNHKワールドが見れたの

でそれだけで会社や妻とのやり取りは電話のみで最初の頃はかなりズレ

た責任感と自分の存在価値を確認する為に一日数時間も話をする事が

あった。



日本に帰国する度に社の人間たちから報告はメールでするのでパソコンを

持って行ってくれと哀願されたが頑なに拒否をして電話のみのコミュニュ

ケーションでやってきたが、カバナ郊外からカバナ市内に引っ越しをして暫

くすると流石にパソコンを使う事を決意して会社の人間にセッテングをして

もらいピリピンに持ち込んで、最初の1年位はメールの確認の為だけに使

用するツールとしてパソコンを使っていた。



こちらはメールを確認して疑問や指示があると日本から話をして掛け直さ

せて電話で話をするという事は現在でも行っている。(爆)



ではどの様にして最初の5年間を過ごしたかと思いだすと最初の2年間は

家を建てたたので昼間は現場監督をやったり、メガセンターというデパート

のビンゴに行ったりして、家に帰ると夜はパーティーを毎晩のようにやって

おり、パーティーがない日は「トンイット」と言ってマージャンの様なトランプ

博打を朝方までやっていて、ある意味毎日が忙しく、あっという間に過ぎた

2年間だった。(爆)



ピリピンで家を建てた経験がない方は家の完成に2年間も掛かるのか?と

思われるかもしれないが、設計図や見取り図すらなくスタートしたので思い

つきでスポーツジムやステージやバーラウンジ、ビリヤード場、ビンゴ掲示

板事を作ったり、色々なことした為に結局完成までに2年の歳月を要した

のだ。(苦笑)



全てが完成してから半年経った頃に、建て終わったばかりの家を出る事を

決意した。(爆)



理由は愚痴になってしまうのでここでは割愛させて頂くが、諸先輩が経験さ

れた事を経験したのである。



その時の気持ちは工事現場の仕事を終え、施主に家を引き渡した棟梁の

様な気分だった。(血涙)



その後は彼女に商売を教えようとカバナ市内にアパートを借りてモールの

フードコートの中で小さなレストランを開店させたがツーリストビザにも関わ

らず狭いキッチンの中に入って盛り付けやスパゲッティーやマミの担当コッ

クとして辣腕を振るってある程度形が出来ると朝の仕込みだけを手伝って

ピークアワーを見守った後、今度はそのモールの2階にあるビンゴに出掛

けてビンゴをやって6時頃まで時間を潰してモールの閉店まで待ってアパ

ートに帰ってその当時、酒はあまり飲んでなかったので自称趣味の読書を

したりして過ごしていた。(苦笑)



レストランのオープン当初は、チェーン展開やFC展開などを夢見ていたが

彼女や彼女の家族の能力を見たら完全にモチベーションが下がってしまい

何度も彼女にある程度の金を握らせて日本に逃げて帰ろうと悩んだ時期

でもあった。



そんな時にモールのアドミンからモールオープン以来一度も成功した事が

ないスペースを借りて日本人の知恵で何とかしてもらえないか?と打診さ

れたのである。



「日本人の知恵」という言葉に心動かされた「ひろし」は無謀にもやる事を

決意したのであった。



ピリピンの商売は少し物珍しい事をやれば客はバンバン来てくれて帳票上

は利益は出るのだが、オーナーである彼女や家族の不正やスタッフに対

するマージメントが上手く出来ない為に赤字の連続であった。


変化が出始めたのは彼女に商売をスタートさせてから4年位経った時から

である。


どの様な変化が起こったのかというと日本人の「ひろし」の言う事を素直に

受け入れていう事を聞くようになって、その影響でピリピン人スタッフにも変

化が出て来てそれからは現在に到るまで一度も赤字になった事はない。



全ての責任は自分にあるものの最初の2年間が響いて本当に苦労した。



この辺の内容は以前にも投稿したが時間の過ごし方という事に関して考え

てみると大きな変化はインターネットをやるようになってブログという存在

に気付いてこのピリピンで自分と同じ様な失敗や苦悩を乗り越えた同胞が

いる事やカバナで日本人の人達と知り合う事が出来て、時間の使い方が

激変した。



ある意味それまで自分の経験則や、狭い知識の中でピリピンで生活して

来た自分の見識が急に広がって何もかもが新鮮で、それまで彼女に商売

を教える事に没頭していた自分が、そんな事はそっちのけで日本人の方

の付き合いやブログに没頭する様になってしまった。



それからは皆さんご存じの様にいつの間にかタイトルにある「ロクデナシ」

を演じるような行動を意識して取るようになった。



元々がロクデナシであった為に何の苦労も無かったが、一つだけ嫌だった

のがブログを始めてからお会いする方の中にブログに書かれている内容

だけが「ひろし」の全てであるような思いで接してこられる方がたまにいらっ

しゃったって何度か嫌な思いをするようになった事があったが、全くの作り

話を投稿する訳に行かないのでリアルにそれもユーモアを交えながら投稿

を続ける様になって行き、次に色々な嫌がらせコメントや「ひろし」の行動な

どを直接彼女の事を心配する振りをして伝えたりする人が現れ出し結果と

なってしまいどうすれば良いのか悩んでしまった。



もし日本に住んでいたらもしかしてブログの存在さえもも判らなかったかも

しれないし、相変わらず金儲けに翻弄され接待浸けの生活を続けて肉体

的にも精神的にもボロボロになっていたであろう自分がブログを始める事

になり綺麗事ばかりを並べ立てて投稿するのは簡単だが、日本から現実

逃避してピリピンに来て以来、コンプレックスと虚栄心の塊だった自分から

解放されて人間らしさを取り戻し、人から卑下されてしまう事を承知で自分

の恥部もさらけ出して同胞の読者の皆様の何かしらの機微に訴える事が

出来ればとの考えで投稿を再開させてもらい現在に到っている。



ブログをストップしている間はブログの投稿の記事の打ちこみ掛かってい

た時間が自由時間と成り、DVDやYhuチューブなどを観たり、読書などした

りしながら、農作業で健康的な汗を掻き、時間を気にせず毛さんと酒を飲

み交わさせて頂きながら有意義な時間を過ごしていた。



有意義な時間の過ごし方は人それぞれだと思うが、色々な事を経験されて

きた方に勧めるのは「農作業」である。(笑)



意味は3つあって、ひとつは健康的な清々しい汗が?けるという事と、もう

1つは、取れたての新鮮な有機野菜を食べれる事、最後に一番良いと思っ

た事は「金」を全然使わないで楽しい時間消費が出来るという点である。



世の中には色々な時間の消費の仕方があり、「ひろし」も色々な時間の過

ごし方を経験してきたが、歳のせいもあるかもしれないが、今、自分では

これが一番最高だと思っている。(爆)





以上。




明日は、所用でクラークに行きます。



本日も最後までご覧頂きまして誠にありがとうございました。



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小学校4年の時に柔道初段になった「ひろし」


皆様、いつもご覧頂きまして誠にありがとうございます。



本日も農作業を中止して昼から毛さん夫婦と彼女と4人でモールの中にあ

る映画館に行って映画を見てきました。



映画を見終わって皆で事務所に戻ってから冷凍してあったカレーを解凍し

て4人でカレーうどんを食べてから、色々な話をしていると盛り上がってしま

いビールを飲みながら、農業談義に花を咲かせました。



本日は少し酔っているので内容はありませんが、幼い頃の思い出を投稿さ

せて頂きたいと思います。






『小学校4年の時に柔道初段になった「ひろし」』





昨日の記事の続きの様な感じになるが急に思い出したので忘れない内に

記事を投稿しようと思って今、この原稿を打っている。



女の姉妹しか居なかった「ひろし」はいつも泣き虫で困った様子の母親は

「ひろし」に格闘技を習わそうと思ったみたいだった。



父親に相談をして家族で佐世保市内の四ヶ町というアーケードに行った時

にSSSスポーツ店という所で一番安い子供用の柔道着を買ってくれた。



それから佐世保の街中にある月謝300円位で柔道を教えてくれる青少年

センターという所に母親と一緒に申し込みに行った。



ヤル気マンマンの「ひろし」は翌日からバスに乗って練習開始30分前に到

着し、正座して精神を統一して練習のスタートを待っていた位だ。



その間に蒲鉾の板の様なモノに名前を書いてある札が道場の壁に並べら

れていたのを見た。


初心者の10級からスタートして9級と順番に並べられており左端に行けば

行くほど位が高くなり初段から4段普段まで色のあせた札が並んでいた。


いよいよ練習がスタートした。


黒い帯のオッサンがコーチで見本を見せて受身の練習だった。



背中から倒れて両手を広げてパンと畳を叩く練習を2時間余りやらされた。



初めての練習を終えて最初はそんな感じだろうと思って柔道着から普段着

に着替えて帰ろうとした時に色々なカラーの帯がある事に気が付いたが、

初日という事もあって知り合いが一人もいなかったので確認出来ないまま

バスに乗って真っ直ぐ家に帰った。



家に帰ると母親が「どがんやったね」と聞いて来たので「楽勝ばい」と返事

をした事を覚えている。



次の日も学校が終わると急いで家に戻り、柔道着を丸くたたんで帯で締め

て背中に背負ってバスで街中の道場へ向かった。



その日の練習も受け身だけを2時間やらされたが、「ひろし」より年下だと

思われる子供が黄色の帯をしてウロウロしていたので「帯の色は何の意

味のあっとやろか?」と聞いたら強くなれば帯の色が変わっていくという事

を教えてもらった。



子供の頃の話なので正確には覚えていないが、白・黄色・緑色紫色・茶色・

黒帯の順番だったと記憶している。



その事を知った「ひろし」は一日も早く色付きの帯を締めたくて3日目から

は1時間前から行って一人で受け身の稽古をしていた。



3日目も受け身だったが回転しながらの受け身の練習に変わったので誰よ

りも必死で練習に取り組んだ。



その日の帰りはバス代を浮かせてトレーニングを兼ねて柔道着を背に背

負ってバイパスを走って家の近所の佐々木商店によって20円のアイスク

リームを買って帰ろうとしたら、佐々木のオジちゃんから「柔道ばしよっと

ね?」と聞かれたので「ハイ」と返事をすると「強か男にならんばばい」と言

いながら、おでんのコンニャクをサービスしてくれた。



佐々木商店から家までの道のりを意気揚々とアイスクリームとコンニャクを

食べながら帰ったのをハッキリと覚えている。



もちろんその翌日も早めに行って受け身の自主練習を行って子供心にコー

チに対してひた向きさをアピールしていた。


しかし、4日目も終始受け身の練習だった。


その時「ひろし」心境は一体いつになったら試合形式の練習が出来るのだ

ろう?と焦りにも似た感情を抱いていた。



その日もトレーニングを兼ねてバス代を浮かす為に桜木健一が主演だった

「柔道一直線」のテーマソングを歌いながら走って帰った。(苦笑)



そして運命の5日目がやってきた。



その日も早めに行って受け身の稽古を一人でやった後、正座して精神統

一をしていると40〜45歳の黒帯を締めた人相の悪いオッサンに「ちょっと

揉んでやろうかぁ〜」と声を掛けられたので「宜しくお願いします!」と元気

に返事をして生まれて始めて試合の様な形式で練習をやった。



今考えてみても怖ろしい話だがいい年こいたオッサンが小学4年生の「ひ

ろし」に対して何の躊躇もなくバンバン投げ飛ばし始めたのだ。



途中で怖ろしくなって泣き出したが、そんな「ひろし」を見てやめてくれるか

と思ったら「なんば泣きよっとかぁ〜」とか言いながらコテンコテンに投げ続

けられたのである。



練習開始時間になったのでやっとの事で終わったが、そのあとの練習がど

んなものだったか、今となっては記憶に全く残っていない。



そんな事があって「ひろし」の柔道人生は僅か5日で終わったのである。



本当の事を話すともう一つ大きな理由があった。



4日目の練習の時に歳取ったオッサンが「ひろし」の足の裏をを見て「お前の足は偏平足ばい」と言われ「昔やったらその足は兵隊にも行かれんやった足ばい」と言われて周りの初心者の子供達にも笑われてショックを受けたのだ。(涙)



今思えば傷つきやすい子供に何のデリカシーもない糞ジジイだと思う。


それからが大変だった。


両親にせっかく買ってもらった柔道着を無駄にしてはいけないという気持ち

と本当の事を言ったら母親や姉達から何を言われるか判ったものじゃない

し何よりも父親から足腰が立たなくなるまで殴られるのは目に見えていた。



歯は痛くなかったのだが虫歯があったので痛いと嘘をついて柔道の前に

佐世保市内の京橋にあった野口歯科という歯医者に通い始めた。



歯医者が終わった後、は当然練習に行かないのだから時間潰しの為に下

京町の市場や島ノ瀬という繁華街をブラブラしている時に「飛行機坊や」と

いう飛行機の真似をして走りまわる少年や、島ノ瀬の「消防車坊や」という

耳の所で手を回しながら「ウゥ〜ウ〜〜」とサイレンの音を鳴らす少年を眺

めながら練習が終わる時間まで時間を潰してから、時間を稼ぐため走る

のを止めて歩いて家まで帰る日々が続いた。



家族に嘘を付いていた為に本当は要らないのに柔道着をもって歯医者に

行っていたのでその内に先生や看護婦さん達から柔道の話をされ始めて

習っているとそこでも嘘を付いてしまった。



現在は解らないが昔の歯医者は一本の歯の治療にやたら時間が掛かり

穴を空けて詰め物を交換して終わりという日々が続いた。



その内、「ひろし」は何を思ったのか台所の棚の上にあったこぶ茶の空き缶

に母親が貯めていたデッカイ50円玉と稲穂がコインに刻印してある昔の

100円玉を貯めているのを知っていた「ひろし」はその中からお金を盗ん

で油性の紫のマジックを何本か買って帯の片面を紫色に塗って歯医者に

出掛ける様になっていた。(汗)



その後2週間でもう片面を茶色のマジックで塗りつぶして歯医者に通った。



それからアソコも痛い、ココも痛いとか言いながら引っ張るだけ引っ張って

姉の習字の墨汁に帯を浸してドライアーで乾かして僅か一ヶ月ちょっとの

歳月で見事に柔道史に残る最年少の有段者が誕生したのである。(爆)



今になって考えれば、僅かひと月余りで柔道の有段者になった幼い「ひろ

し」を見て野口歯科の先生や看護婦さんを始め特に受付の人はどう思って

いたのだろう?(爆)



両親に対しては、父親の何回目かの浮気が発覚し、段々と両親の夫婦仲

が悪くなっていった頃なので、それに便乗してタイミングを見計らって柔道

を止めた事を話しても叱られる事はなかった。



その頃、両親にとって子供の事より自分達の事で頭の中が一杯であった

のだろう。



以上。





この記事を打ちながら、子供の頃、町内の公民館で習字やそろばんを習っ

た事や中学生の時に高校など行けないと分かっていましたが塾というもの

に憧れて恐喝した金で月謝を払って定年退職した元教員の自宅に行って

塾というものを始めて経験した時の思い出が蘇ってきました。




次回、ネタに詰まった時にでも投稿したいと思います。(笑)





本日も最後までご覧下さいまして誠にありがとうございました。


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毛さんが五月蠅いので、、、。

皆様、いつもご覧頂きまして誠にありがとうございます。



本日は微熱があり、ゲーリー大佐気味だったので朝から毛さんに電話した

ら「遊びでやっているんだから無理をしないで明日も休みにしましょうよ」と

優しく言ってくれたのでその言葉に甘えて休ませてもらいました。



電話を切った後でネットに接続してみるとまだ繋がりません!!


我慢出来なかったので開店と当時にパソコンを抱えてSUNの事務所に乗り

込みました。


彼女には強気の「ひろし」も実をいうとタダの小心者。



SUNの隣にあるNEのパン屋さんに寄ってお菓子やパンを600ペソ程買っ

て恐る恐るSUNの事務所に行って、マネージャーを呼び出して先ず買った

パンを差しだしてから声をうわずらせながら事情を説明しました。

ピリピン在住歴10年の「ひろし」のメリエンダ攻撃は功を奏して、マネージ

ャーの個人的な繋がりで電話をマニラに掛けてもらい直ぐに接続が可能に

なりました。



月々たった799ペソの接続料金の支払い忘れで600ペソのワイロ(パン)

を払ってやっとのことで接続できるようになったのは良かったのですが、事

務所に戻って頂いていたコメントの返事をしようと思ったら、とにかく送信ス

ピードが遅くて参ってしまいました。



朝から停電だったのでその影響かと思ったのですが、ジェネレーターを運

転させて電気的には問題無いとは思ったのですがとにかくストレスが溜ま

ってしまいました。



頂いたコメントの返事を根気強く打っていると彼女が出勤して来て「ツナ

ガッタノ?」と聞いて来たので、SUNに単身乗り込んで唸りあげたらマネー

ジャーがビビって直ぐにマニラに電話して繋げてくれた、と話すと彼女は

「ナカカヒヤナマン・タラガ」(本当に恥かしい)と言っていましたが、「これが

サムライスピリッツだ!!」と言ってやりました。(恥)



本日のテーマはこの「ひろし」の性格について、毛さんが記事を投稿しろと

ブログを休んでいる時からしつこく言うので思いっ切って投稿する事にしま

した。




「大袈裟な「ひろし」の性格」




自分ではその様な自覚は全くないし賢明な読者の皆様は判っていらっしゃ

ると思うが、毛さんに言わせると「ひろし」の性格を「大袈裟」だと言うので

ある。




盛んにその事を言い始めた切っ掛けは4月の5日と6日が休みだったので

毛さん夫婦とメイドのシリンちゃんと彼女の弟や従姉を引き連れてカバナ

郊外にある河原のリゾートにバーベキューなどを準備して遊びに行った時

の出来事以来である。




その時起こった、真実の話を忠実に再現させて頂きたい。




昼前に河原に到着すると早速バーベキューを焼き始めてビールをの飲み

始めたりしながら楽しい宴が始まった。




河原の水はきれいで爽やかな風が吹いて酒が進み、ビールからジャックダ

ニエルに移行していって毛さんと「ひろし」と彼女の従姉2人の4人で冗談を

言いながら盛り上がっていた。




シリンちゃんを始め一緒に行った面々が水の中に入り始め隣近所のクー

ボではカラオケが流れ始めたが、ピリピンらしさが増して最高の気分だっ

た。



毛さんが彼女の従姉の女の話が盛り上がりお互いの容姿の事で言い合っ

ていたが、ブスのピリピン娘と禿げて太った老人のふざけ合いだと思って

「ひろし」はその会話に入りたくても3人の持つ容姿と「ひろし」の容姿がか

け離れている為に参加資格が無くて入りたくても入れなかったといった方

が解りやすいかもしれない。



相手はブスだが、毛さんも負けていない容姿で2対1では段々と形勢がま

ずくなってきて、最後にはかなり酷い暴言で必死に応戦していた。



正直いって従姉の娘達が毛さんの容姿について正論を言っていると判って

も同胞でいつもお世話になっている毛さんの加勢をしたかったが、「ひろし」

が3人の容姿について触れると嫌味になってしまい場が白けるとの配慮か

らニコニコ笑いながら状況を静観していたのだ。



その内に酔いが回った従姉の娘の一人が煙草を吸いながら川の流れに足

を入れている毛さんの禿げあがった頭に氷水を掛けて上手にカバーした

髪が流れて落ち武者の様な頭を曝け出したのだ。(驚)



普通であれば「馬鹿野郎〜冷たい〜」とか言って笑って流せばいいのに毛

さんは違った。




年甲斐も無く自分も紙コップに氷水を入れて仕返しを企んだのだ。



結果は現地の若い娘のピーナに足腰の弱った初老の爺さんが追い付く訳

がなく、毛さんは執念深く隠れたりしながらジッと仕返しのチャンスを伺って

いたがお話にならなかった。



哀愁に溢れた落ち武者の様な頭をした毛さんの姿が哀れに思った「ひろ

し」は毛さんの為に一肌脱ぐ事を決意したのだ。




毛さんと違って若さ漲る「ひろし」は自慢の脚力を生かして猛然と正面から

彼女の従姉に向かって行った。



颯爽と追いかける「ひろし」を見た従姉の娘は一瞬怯んで流れが速い河の

中に逃げ込んだのだ。



若い頃、「九十九の飛び魚」と異名を取った「ひろし」は水中戦ならこっちの

ものだと考えて嬉々として河の中へ入って行った。



今思えば本当に馬鹿だった。



従姉は裸足で河の中を必死で逃げ、「ひろし」はゴム草履を履いて水の中

に入ってしまったので少し遅れを取ったので大自然の水の流れに逆らって

必死で従姉を追い掛けた。



従姉を射程距離に捉え後、数十センチに迫った時に悲劇は起こった。



プールの様に底が平らなら何の問題も無かったのだが本物の河原で大小

の石がごろごろしていてかなり大きい石に弁慶の泣き所を強打してしまっ

たのだ。



激痛が襲い一瞬骨が逝ってしまったしまったと思って毛さんに「痛い〜もし

かしたら骨が折れたかもしれない」と助けを求めた。



それに対し毛さんは助っ人として追い掛けたのに従姉と一緒に大笑いして

いたのである。



最初は息が出来ない程の痛みがでその後5分以上も悶絶して痛みと戦っ

た後、皆に心配を掛けてはいけないと思った「ひろし」は足を引きずりなが

らもバハイクーボに戻った。



赤く腫れた足を撫でながら足がなるのを必死でコントロールしながら類稀な

る精神力と運動神経と動物的な回復力に自分でも驚いたが、その後も普

通に皆と飲みながら帰る頃には普通に歩けるようなっていた。




お互いの車で別れて帰ろうとした時、毛さんが「今日の一連の出来事を見

て以前セブで淋病と併発して腕が上がらなくなって病院に行った事を知っ

た時は心から心配したが、損をした様な気分だ」と言われたのだ。




それ以来、農作業をやって熱中症で死にかけたのだが、次の日に無理を

押して作業に行って、作業の休憩中に改めて「改めて昨日の00さんを見て

本当に大袈裟なんだから〜」と言われたのだ。




シツコイ様だが「ひろし」の持つ常人に無い類稀なる精神力が仇になって

毛さんに「大袈裟」というレッテルを貼られてしまったようだ。





そう言えばこの記事を打っていて子供の頃から親や姉達から「女の腐った

様な男」とか言われ続け、先生や友達からは「ホラ吹き」と呼ばれ、2人の

妻からも「大袈裟」と言われていたのを思い出した。





ピリピンに来て彼女やスタッフや「ひろし」の事を「OA」と呼んでいるので自

分の中では「男前のアクター」と解釈していたが「オーバーアクション」=

「大袈裟」と言われていたのに今頃気が付いた「ひろし」である。





最後に人が何と言おうとも自分の中では類稀なる精神力が周りに誤解を

与えていると思っているので、今更この性格を変えたくても変わらないと

思っているし、毛さんからしてみたら実の弟の様に可愛がってくれるので

これからも、このままの「性格」で生きて行こうと思っている。




以上。





Q&Aが中断されてしまいましたが、2名の方から相談があるのですが時間

がないので時間がある時にきちんと調べてから掲載したいと思っておりま

す。




本日も最後までご覧頂きまして誠にありがとうございました。

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私のミスでインターネットに接続が出来ません(汗)


皆様、いつもご覧頂きまして誠にありがとうございます。




「俄然やる気が出た!!」というタイトルでまで謳って意気込んで投稿しよ

うと思っていたら出鼻を挫かれてしまいました。



一昨日の夜に久しぶりブログの投稿を終えて一杯飲んで寝てから朝起き

てから農作業に出掛けて作業を終えて終えて帰ってきてネットを開こうとす

るとネットワークが遮断されてしまいました。(滝汗)



その後、何度接続を試みても繋がらないのでおかしいと思って彼女を呼ぶ

とSUNの請求書を持ってきて「マダペイメントシテイナイヨ〜」と平然とした

顔で返事をしてきたので頭に来て「この馬鹿女がぁ〜」と怒鳴ると「ダレワ

ルイ?」と聞くので「イカウ!」(貴方)と答えると「バリュウ〜!」(キチガイ)

と逆切れされてしまいました。



皆さん、やはり「ひろし」はキチガイなのでしょうか?(苦笑)



「そうだよ!」と返事が聞こえてきた様な気がします。(汗)



その様な訳で沢山の方から頂いたコメントの返事も出来ないまま現在に

至っています。


そんな訳で昨日は農作業を終えて水シャワーを浴びてから何もする事がな

くて早めにZAPPSへ行って飲み始めてしまい店の中の荒探しをして彼女に

怒鳴りまくり、スタッフにデコピンの嵐を浴びせ続けてようやくイライラが治

まったのでいつもより早めに寝ました。(苦笑)


それから今朝目覚めてからインターネットに接続を試みたのですがまだ繋

がりませんでした。


しょうがないので農作業に出掛けて気持ちのいい汗を流して3時頃事務所

に行って接続をしてもまだ繋がらないので水シャワーを浴びて彼女が出勤

してくるのを待ちました。


彼女が出勤して来たので開口一番「ブログをリスタートしたのにお前のせ

いでナカカヒヤトロイ」「プゥタンイナモ!!」と暴言を吐いて怒鳴り散らした

いたらスタッフが出勤してきたので彼女がそのスタッフにSUNのレシートを

渡してモール内にあるSUNの事務所に文句を言いに行かせたと言ったの

で、その間、日本のサービス業の対応の素早さとサービスのレベルの話を

延々としているとそのスタッフが戻ってきてシステムがどうのこうのと言って

いてもう暫く待って欲しいとSUNのスタッフが言っていると報告があったの

で暫く様子を見ながら何度も何度も接続を試みましたがやはり繋がりませ

んでした。


その間も彼女を傍に座らせて色々な角度から説教をしていると彼女が急に

席を外して今度は弟のモーリスに行かせたと報告がありました。




その後も20分位、彼女に世の中の厳しさをテーマに説教をしながら待って

いるとモーリスが戻ってきて、ナント!今度は「プロセス」だとSUNのスタッ

フが言っていると抜かして来たので又々頭に血が昇って「プロセスとは何

のプロセスなのか?」と彼女とモーリスに向かって怒鳴り続けていたら自分

自身が虚しくなってきてモーリスを仕事に戻してイライラしながら何度も接

続を試みてもやっぱり繋がりません。



終いには「俺が行く!!」と言ってズボンを穿いていると彼女が「アコナラ

ン!」と言うので「お前たちに任せていたらいつまで経っても埒が明かな

い」と言うと、彼女がSUNのスタッフは店のレギュラーカスタマーだから貴方

が行って大きな声を出すと恥ずかしいと言うので、「そんならお前が行って

こんかい!!」と言うと、怠け者の彼女がとうとうSUNに向かいました。



暫くすると戻ってきてモール内のSUNは代金の支払いの受け渡しだけで全

ての接続の許可はメインオフィスでやっていて何度も催促しているのでもう

暫く待って欲しいという事でノコノコと帰って来たのです。


ピリピンに10年も住んでいるとそんな生温い対応で簡単に事が済まないと

判っている「ひろし」は「なぜ責任者を呼んで目の前でマニラの本社に電話

させて対応させなかったのか?」から始まり再び顧客を大事にしない企業

は必ず滅びるなどと延々と説教していると、いたたまれなくなった彼女は

ガードマンのSUNのSIMカードの携帯を借りて来てマニラに電話をしていま

した。(爆)


傍で聞いていた「ひろし」は「接続するまで絶対電話を切るな!」とか「責任

者と電話を代れ!」とか言っていると直ぐに接続するからもう少しだけ待っ

て欲しいと言って担当者が電話を切りたがっているのが覗えたので「担当

者のフルネームを聞け!!」と言って担当者の名前を聞かせて電話を切る

事を了承しました。


結局8時過ぎまで待っても接続は出来ません。


「ひろし」は彼女に「今からアカウンタントと3人でロングタイムミーティング

だぁ〜」と言うと彼女は目に涙を溜めながら「キョウハフライディデショ」「オ

キャクサンイッパイクルダカラ」などと抜かしていたので「それなら店を閉め

ろ」と無理難題を言っていたら弟のモーリスが常連客からグローブを借りて

来て30ペソで1時間だけだけど借りて来たと姉思いの行動を示したので少

しだけ軟化して彼女を解放してやる事にしました。


そん訳で投稿が遅れた言い訳とコメントの返事が出来なかった経緯を報告

させて頂きます。



モーリスの顔を立てて返さなければならないので取り急ぎ報告させて頂き

ました。



以上。




SUNが接続次第、頂いているコメントのお返事と記事の投稿を致しますの

でもう暫くお待ち下さい。


申し訳ありません。



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