|
9月28日 日本書紀研究会で研究発表
9月28日の木曜日、京都で開催の日本書紀研究会で研究発表を行っていました。
題目は「景行天皇の九州西征記事について」である。ヤマトタケルがあちこち遠征
することは有名だが、父親の景行天皇も遠征していて、九州東海岸を南下して、今
の宮崎→都城→人吉経由で西海岸に出て筑後川流域で話は終了。最後は日向から帰
還する。
これは事実なのか?
景行天皇は実在した場合、4世紀半ばの人物になるが景行の后にヤマトタケルの
曾孫のカグロヒメの名が見え、応神の后にもカグロヒメが見える不自然さから、事
実ではないとした上で、おおよそ以下のことを述べた。
磐井の乱の平定と南九州の平定
おおよそ東海岸南下の話は熊襲など南九州の平定。土蜘蛛討伐や直入郡などが見
えることは、磐井の叛乱の際の残党制圧や、筑後方面を背後から攻めた経緯。
また西海岸は磐井の叛乱とその直後の事情が述べられているし、日向から帰還す
ることについては、神武東征の記事の先駆け的色彩があるようだ。
二段階の説話形成
欽明前後に出来たオシロワケとしての景行については、磐井の叛乱と直後の記事
が多く、七世紀後半に作為されたオオタラシヒコが付加されて、記紀のオオタラシ
ヒコオシロワケが完成するのだが、天皇が遠征することは白村江の戦いの際の斉明
の遠征が考慮できる。
この七世紀後半の事情が付加されていることについては、景行が天智と同様に近
江に宮を移す記事にあらわれる。
だが古事記に記事がないことや、大分に入るが宇佐宮の話が出ないこと、薩摩や
大隅の話が出ないことは8世紀の事情までは反映されていないことも考慮できそう
である。
|