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まっ黒けーーー。ああ、色白だけが取り柄だったのに。(T-T)/東京

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2007年8月6日

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中国美人物語 北斉 胡太后2

承前

胡氏、皇后となる

こうして、同年五六一年、高湛は即位し、北斉第四代皇帝武成帝となった。
そして、即位二年目の正月、高湛の妃胡氏も順当に皇后に冊立される。

胡氏は安定郡(今の寧夏固原)の人胡延の娘であった。
彼女が生まれる時、外のテントの上でふくろうが鳴いたという。
当時の人々はこれを不吉な予兆であると噂した。
今ならさしずめ烏が鳴いたというところかもしれない。

胡氏は笄挙げを済ませるとすぐに、長広王であった高湛の妃に選ばれていた。
皇后になった頃は二〇代の半ばである。
彼女の容姿は平凡だが、性質はすこぶる淫蕩であったという。
高湛も好色であったので、この妻を得て、両者は互いの好色に拍車がかかったのかもしれない。

さて、胡氏が皇后に冊封されたその晩、後宮では宴の席が設けられていた。
高湛はその晩、すでに半ば酔っていたが、ふらふらと宴席に向った。
彼が入ってくると、後宮の女たちはみな立ち上がって高湛を迎えた。

すると高湛は笑って言った。
「よいよい。みな家族のようなものではないか。そんなにかた苦しくせずともよい」

それから一通り女達を点検すると、ふと艶やかな中年女性が目に入った。
よく見るとそれは兄嫁の李祖娥である。
彼女は文宣帝高洋の皇后であり、廃帝高殷の母でもあったが、
両者共に亡くなった今は、寄る辺ない身の上である。
 
高湛は思わず唾を飲み込んだ。
どうにも居ても立ってもいられないような心持ちになる。
しかし周囲には人が多い。
この場で攫ってゆくわけにもゆかない。

仕方なく手ぶらで帰った。
その晩は皇后胡氏と同衾しても、どうにも味気ない。
「手折った花は野の花の香りには及ばない」というわけ。

さて、翌晩、高湛はお付きの者たちをまいて、一人で李氏の住む昭信宮におもむいた。
侍女が急いでそのことを李氏に告げると、彼女はいったい何の用であろうかと猜疑した。
しかしうすうすそのような予感もあったのである。

もともと彼女の夫高洋は、同母兄高澄の死後その妻を犯したし、
しかもそれは高澄が高洋の妻を犯したことの仕返しであった。
北朝にはそのような下地があったのである。

続く

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中越地震復興染織展

昨日は妹と、有楽町の交通会館へ出かけました。

3、4、5日と中越地震復興のきものフェアが有り、
5日は美川憲一さんのショーも付いていました。

ショーは小さな会場に人がたくさん詰めかけ、私たちは後ろで立ち見でした。
でも会場が小さいので、すぐ近くで見たり聞いたりしているように感じられて、よかった。

美川さんはサービス精神旺盛で、被災地の十日町の着物が売れるよう、
みなさんに、上手に声をかけていらっしゃっいました。

そして、ご自分の着ていらしたお着物がみなさんによく見えるよう、
姿勢を変えたり、台上をあちこち移動したり。
プロだわー、と感心しました。

さらりと歌った「さそり座の女」を聞いた後、2曲目の途中で私たちは出ました。

それから新作の着物や、織りの実演などを一通り見て、
近くの帝国ホテルにお茶に行きました。

ラウンジは混んでいたので並んで待っている間に、野村さちよさんを見かけました。

日曜日はホテルのお茶も混むようですね。
先日友人と東京ミッドタウンのリッツに行った時も、とても混んでいて
結局、お茶は飲めなかったんです。
予約しないとダメなようですね。

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