ブログプロフィール
ブログ情報
| ブログタイトル | 泰弘さんの【追憶の記】です・・・ |
|---|---|
| 一言メッセージ | 大東亜戦争前後の、遥かに遠い遠い・・・子供の頃を思い出して書いております。 |
| 検索キーワード | 戦時中,内子町,松山市 |
| 名前アイコン | 未設定 |
| ブログバナー | 未設定 |
ブログ紹介文
【 追 憶 の 記 】
大東亜戦争が近づき、戦争が終わる頃までに私の家族や周辺の親族が歩んだ姿を、幼少の目で見た私は、繰り返し思い起こす度に、その情景が脳裏に焼き付いてしまいました。
戦没者家庭の非常に多かった世間でしたが、私方も5歳の時に母の死、7歳の時に父の戦病死と不幸が続き、併せて地方都市の松山でも、戦時下での空襲に逃げ惑う幼児の目に映ったものは、さすがに強烈なものだったからでしょう。
せめて私の目で捉えたものだけでも、親の顔もあまり知らない2歳年下の俊光と4歳年下の孝芳、二人の弟に忠実に伝えておいてやりたいと、私が30歳を過ぎた頃よりまとめておいたものです。
忠実に表現したつもりですが、所詮は幼児の目を通しての記憶が原点でしかありません。
幼児が捉えた貧弱な内容とは思いますが、宜しくご理解の上、ご覧戴きますようお願い致します。
併せてこの時代とは云え、この国は国民の命と忍耐を頼り切って戦争をしながら、国民に何一つ与えていなかった残酷無情な時代であったんだなぁと、しみじみと痛感している次第です。
せめて私の目で捉えたものだけでも、親の顔もあまり知らない2歳年下の俊光と4歳年下の孝芳、二人の弟に忠実に伝えておいてやりたいと、私が30歳を過ぎた頃よりまとめておいたものです。
忠実に表現したつもりですが、所詮は幼児の目を通しての記憶が原点でしかありません。
幼児が捉えた貧弱な内容とは思いますが、宜しくご理解の上、ご覧戴きますようお願い致します。
併せてこの時代とは云え、この国は国民の命と忍耐を頼り切って戦争をしながら、国民に何一つ与えていなかった残酷無情な時代であったんだなぁと、しみじみと痛感している次第です。
【参 考】
父母・・・・福島 泰山(父) 芳子(母)
父の職業・・愛媛県・警察官(内子警察署、大瀬村駐在所、天神村駐在所、岩城村駐在所)→→昭和16年召集出征(満州牡丹江省、東寧市、城子溝での従軍から→17年12月ラバウルへ転戦従軍した)
父の実家・・愛媛県松山市琢町(みがきまち・今の緑町)(祖母)福島浦子(曾祖母)ヒサヨ
母の実家・・愛媛県喜多郡内子町 (祖父)森並忠兵衛 (祖母)タキノ(曾祖母)マツ
兄弟・・・・泰弘(本人)、俊光、孝芳、
父母・・・・福島 泰山(父) 芳子(母)
父の職業・・愛媛県・警察官(内子警察署、大瀬村駐在所、天神村駐在所、岩城村駐在所)→→昭和16年召集出征(満州牡丹江省、東寧市、城子溝での従軍から→17年12月ラバウルへ転戦従軍した)
父の実家・・愛媛県松山市琢町(みがきまち・今の緑町)(祖母)福島浦子(曾祖母)ヒサヨ
母の実家・・愛媛県喜多郡内子町 (祖父)森並忠兵衛 (祖母)タキノ(曾祖母)マツ
兄弟・・・・泰弘(本人)、俊光、孝芳、
平成22年2月 福島 泰弘
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【タイトル画像の説明】
この写真は松山市、城北練兵場から南西方向を写した写真です。
恐らく、昭和7〜8年頃に写されたものでしょうが、戦時中に私が見た城北練兵場の風情を、最も適格に捉えている写真だ・・・として採用しました。
・松山城天守閣が写っている。
・写真の右側に、練兵場の南西隅にあった欅(ケヤキ)の大木の木立が写っていて、その向こう側が鉄砲町停留所でした。
・城北線沿いに練兵場南側に沿って櫨の木(ハゼノキ)が植えてあるのも確認できます
この写真は松山市、城北練兵場から南西方向を写した写真です。
恐らく、昭和7〜8年頃に写されたものでしょうが、戦時中に私が見た城北練兵場の風情を、最も適格に捉えている写真だ・・・として採用しました。
・松山城天守閣が写っている。
・写真の右側に、練兵場の南西隅にあった欅(ケヤキ)の大木の木立が写っていて、その向こう側が鉄砲町停留所でした。
・城北線沿いに練兵場南側に沿って櫨の木(ハゼノキ)が植えてあるのも確認できます
泰弘さんさんのプロフィール
| 名前 | 福島 泰弘 | ||
|---|---|---|---|
| 年齢 | 82歳 | 性別 | 男性 |
| 誕生日 | 7月28日 | 血液型 | A |
自己紹介
非公開




