ブログプロフィール
ブログ紹介文
その日、世界はどこか違っていた。 たそがれの色も、吹き抜ける風の匂いも…。
カーニバル → カルナバル → カンニバル → カニバリズムと、人肉食いの好きな 「お祭り」 おじさんです。 西洋かぶれですかね。 いえいえ、本質は和魂洋才。
尊敬する人物は、宮沢賢治と、やはりハンニバル・レクター教授。 美味しそうなのはクラリス・スターリングこと、ジョディ・フォスター。
しかし、他人の肉よりも、けっこう自分の肉ばかり食べて、自己完結的な終末論の世界に迷い込んでいます。
まさに賢治が描いた、<水に流れる 「修羅」>。
もちろん肉好きは精神世界のもので、実際の生活はほとんどベジタリアンです。 植物から抽出した液体を醗酵、蒸留した物を主食にしています。
あはははは。 ほとんどビョーキの、こけおどし。 さあ、どこからでもかかってきなさい!
カーニバル → カルナバル → カンニバル → カニバリズムと、人肉食いの好きな 「お祭り」 おじさんです。 西洋かぶれですかね。 いえいえ、本質は和魂洋才。
尊敬する人物は、宮沢賢治と、やはりハンニバル・レクター教授。 美味しそうなのはクラリス・スターリングこと、ジョディ・フォスター。
しかし、他人の肉よりも、けっこう自分の肉ばかり食べて、自己完結的な終末論の世界に迷い込んでいます。
まさに賢治が描いた、<水に流れる 「修羅」>。
もちろん肉好きは精神世界のもので、実際の生活はほとんどベジタリアンです。 植物から抽出した液体を醗酵、蒸留した物を主食にしています。
あはははは。 ほとんどビョーキの、こけおどし。 さあ、どこからでもかかってきなさい!
おじさんさんのプロフィール
| 名前 | 非公開 | ||
|---|---|---|---|
| 年齢 | 非公開 | 性別 | 非公開 |
| 誕生日 | 非公開 | 血液型 | 非公開 |
自己紹介
1954年2月、香川県の橋の下で拾われました。 だから本当の年齢はよくわかりません。
戦災孤児だと思われていました。
その話が地方新聞に載り、執事が駆けつけてまいりました。 京都からです。 実はわたしは、京都公家、猫又伯爵家の跡取り息子でした。 崇徳天皇ゆかりの地、、香川に疎開する途中、両親と鉄道事故ではぐれたのです。
拾ってくれた育ての親から引き離され、育ての親はわたしの実家からの包み金で豪邸を建てたといいます。
わたしには、育ての親と生みの親の二組がいます。
京都の家はその後、GHQの進駐とともに没落し、成金の家のほうに再び引き取られました。
しかし、その家もアメリカ占領軍の農地解放でスッカラカン。 父は飲んだくれのニコヨン暮らし。 母はミシン踏みで私を育ててくれました。
ありがたい話です。 なさぬ仲なれど、子を慈しむ姿は美しい。
が、貧乏は幼いわたしの心を捻じ曲げ、学校をサボって町の愚連隊に入り、 ケンカとカツアゲの才能を伸ばしました。
そんなわたしを拾ってくれたのが、山口組三代目の田岡一雄組長でした。
三下からの修行に明け暮れ、とうとう 「親分」 と呼ばれるまでになりました。
わたしを変えたのは、いわゆる 「山一」 戦争でした。 組員の命を危険にさらしたくなかった。
わたしは兵庫県警に 「猫又組」 の解散届を出して、カタギになりました。
わたしは神戸から、名古屋に居を変えて、いまやパートのおじちゃんとして細々と暮らしています。
神戸の六麓荘にあった豪邸は、バブル崩壊前だったので10億ほどで売れました。 運転手の組員もいなくなったので、キャデラックやベンツ、フェラーリも売り払いました。
すべてのお金は赤十字に寄付しました。 すっからかんです。
今は6畳一間のアパートでパソコンとともに暮らしています。
でも本当は、1億残してあります。
世間体もあるので、毎日近くの工場にパートに出かけています。
ご近所の皆さんには、逢えば必ずにこやかに挨拶します。
柔和なおじさん、気さくなおじさんというのが評判ですが、欠損した左手の小指が気になります。
やるときには必ずやる男です。 不惜身命。 これぞ、山菱魂。
あはははは。
戦災孤児だと思われていました。
その話が地方新聞に載り、執事が駆けつけてまいりました。 京都からです。 実はわたしは、京都公家、猫又伯爵家の跡取り息子でした。 崇徳天皇ゆかりの地、、香川に疎開する途中、両親と鉄道事故ではぐれたのです。
拾ってくれた育ての親から引き離され、育ての親はわたしの実家からの包み金で豪邸を建てたといいます。
わたしには、育ての親と生みの親の二組がいます。
京都の家はその後、GHQの進駐とともに没落し、成金の家のほうに再び引き取られました。
しかし、その家もアメリカ占領軍の農地解放でスッカラカン。 父は飲んだくれのニコヨン暮らし。 母はミシン踏みで私を育ててくれました。
ありがたい話です。 なさぬ仲なれど、子を慈しむ姿は美しい。
が、貧乏は幼いわたしの心を捻じ曲げ、学校をサボって町の愚連隊に入り、 ケンカとカツアゲの才能を伸ばしました。
そんなわたしを拾ってくれたのが、山口組三代目の田岡一雄組長でした。
三下からの修行に明け暮れ、とうとう 「親分」 と呼ばれるまでになりました。
わたしを変えたのは、いわゆる 「山一」 戦争でした。 組員の命を危険にさらしたくなかった。
わたしは兵庫県警に 「猫又組」 の解散届を出して、カタギになりました。
わたしは神戸から、名古屋に居を変えて、いまやパートのおじちゃんとして細々と暮らしています。
神戸の六麓荘にあった豪邸は、バブル崩壊前だったので10億ほどで売れました。 運転手の組員もいなくなったので、キャデラックやベンツ、フェラーリも売り払いました。
すべてのお金は赤十字に寄付しました。 すっからかんです。
今は6畳一間のアパートでパソコンとともに暮らしています。
でも本当は、1億残してあります。
世間体もあるので、毎日近くの工場にパートに出かけています。
ご近所の皆さんには、逢えば必ずにこやかに挨拶します。
柔和なおじさん、気さくなおじさんというのが評判ですが、欠損した左手の小指が気になります。
やるときには必ずやる男です。 不惜身命。 これぞ、山菱魂。
あはははは。





