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ここは戦国時代秋山氏が治めており、詰め城とした山城です。 豊臣秀吉が天下を取ると豊臣秀長が 大和を治め、大和郡山に入封します。 それと同時に秋山城も秀長の家臣、伊藤義之が入封して秋山城 を居城としました。その後、加藤光泰、羽田正親、多賀秀種ら豊臣氏配下の大名が治め城を整備しまし たが、関ヶ原以降は徳川が天下を取り、東軍方の多賀秀種が入封します。 しかし多賀秀種は15年後 改易に合い城は破却されました。 その後織田信雄が入封しますが城には一切手をつけず放置されまし た。 現存する遺構は1615年当時のもので、石垣が僅かに残る程度です。 石垣には、切り出した跡がしっかり残っています。 天守からは大宇陀が一望。 敵からの進攻が手に取る様にわかります。 また、ここからの景色は信州の山々を見てるようですよね♪ この遺跡はなんなんだろう。。。。 お城の遺跡ではなさそうですよね。 寒いので、手袋着用〜♪ これでお手々もぬくぬく〜♪ 天守が建つ郭をぱちり! この日は寒かったが、青空はめっちゃきれい♪ ■撮影日 2011年1月30日(日)
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奈良県のお城
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久しぶりの『お城ネタ』です。 皆さん知ってましたか? 明日香村に11のお城(砦)があったことを。。。。 橿原の香久山方面から入ると、小山城・雷ギヲ城・雷城、雷の交差点を桜井方面に向かうと 飛鳥城・奥山城・八釣城、石舞台方面に向かい、岡城・祝戸城、天武・持統天皇陵方面には、 野口植山城・野口吹山城、高松塚古墳付近に平田城があるんですよ。 |
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稲渕から見た岡道城です。 万葉展望台から明日香の岡寺方面に大きく伸びた城で、堀切を中心に橿原方面に防御線を広げています。 多武峰城砦群の最前線になります。 万葉展望台の南側にある二重堀切の南側を写した堀切です。 調度、城の中央付近にある堀切です。 この堀切が最大規模の堀切となります。 自然地形もうまく利用しており、写真からでは規模の大きさはわかりませんが相当の高低さがある堀切です。 万葉展望台から少し下ると、奈良県下が一望できる場所に出ます。 麓には石舞台古墳があり、南には高取城、中央には岡寺参道が真っ直ぐ伸びており二上山、信貴山、生駒山が見渡せます。 最高のパノラマです。 談山神社から、上居へ向かうハイキングコースになっています。 目印は、万葉展望台です。 この展望台も郭で、展望台の裏の小山も帯郭を配した郭になります。 防御線は、南側に二重堀切と空堀を配置し、西側の尾根沿いに堀切を幾重にも配置し、郭を配置した城郭となります。 城というより、幾重にも独立した砦が尾根沿いにいくつか配置された砦群と言ったほうが正しいのかもしれません。 桜が満開の4月3日、大和コクジン連合の方2人の方と3人で岡道城を探索する事になりました。 立ちはだかる草木を鉈やのこぎりで切り倒し遺構を探す楽しさ、青空の下滲む汗、爽快な風、何ともいえない感動を覚えたものです。 今まで私が回ってきた城廻りはなんだったのか、レベルの違いや内容の濃さに驚き、感動の連続でした。 これを気に、今までの探索した城廻りの考え方やブログの造り方を大きく修正させられる転機になり、『大和コクジン連合』様のHPを参考に、編集させていただくことに。 まだまだ、丸写し状態のブログですが、少しづつ少しづつ、自分のカラーを出せるようがんばりたいと思います。 □別称 岡道砦、高家砦 □所在地 桜井市高家および高市郡明日香村上居、細川 □形式 山城 □高さ 標高489メートル 比高190メートル □規模 南北260メートル、東西510メートル □築城年代 承安三年(1173)以降か □築城者・城主 多武峰寺衆徒か □遺構 郭、空堀、竪堀、堀切、土塁、土橋 ■登城日 2007年4月3日(火) |
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非常に判りづらいところに、この石碑が立っています。 だいぶ探しましたよー 西側は、筒井の住居が立ち並び、細い路地を入り畑が開けたところにポツンと立っています。 筒井城の主郭があった場所に菅田比売神社が建っていました。境内には土塁などの痕跡がいたるところにあります。 菅田比売神社の周りには空堀で囲まれています。 写真は東側の空堀跡を写したものです。 城址碑の南西側は一面蓮池になっています。 当時から湿地帯であったようです。 筒井の町並の北側には土塁が今も残っています。 筒井城は、筒井氏の本城でした。 この城は、松永久秀との攻防で何度か落城しましたが辰市の合戦で勝利して以降、奪回に成功し織田信長の一国一城令が出るまで存在していました。 場所は近鉄筒井駅から東側にあり、空堀跡や土塁などが今も残っています。 光専寺には筒井順慶の木像が祭られており、一般の方でも見ることができます。 □別称 筒井平城 □所在地 大和郡山市筒井町 □形式 平城 □高さ 標高47.8m 比高0m □規模 南北400m 東西500m □築城年代 室町時代か □築城者・城主 筒井氏 □遺構 郭、水濠、土塁 ■登城日 2006年10月31日(火)/2007年5月8日(火) |
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『千年桜』で有名な仏隆寺。その駐車場の裏山が、赤埴下城です。 赤埴下城は、東西に伸びた丘に築かれており、中央に主郭を配置。東側に郭を土橋で結び西側には、だいぶ埋もれてしまっていたが二重空堀を配置。北側には主郭に沿って、帯郭を配置された東西90m程の城です。 東郭と主郭を結ぶ土橋です。 この土橋が架かる空堀は、南側が竪堀状になっており北側は帯郭になり周り込んでいました。 主郭は植林されており、下草も少なく遺構の様子が判り易い。主郭は長細く、中央がわずかに高くなっているのが判ります。 主郭に沿って、北側に帯郭が築かれています。 帯郭は東側と西側の二重空堀の内側に繋がっており、また仏隆寺の駐車場のすぐ横までぬける道にもなっていました。 仏隆寺の駐車場から道を登るとすぐに、城に入れます。奥の林の中に見える丘が調度、東郭にあたります。 非常に簡単に入れる城でした。 赤埴下城は、『千年桜』で有名な仏隆寺の駐車場の裏にありました。車で行けば1分もかからず城内に入れ、非常に行きやすいお城です。(仏隆寺までの道のりはあるが・・・)遺構は東郭・土橋・空堀・主郭・帯郭・二重空堀と小規模ながら見るところも多く、お勧めできる城です。 赤埴上城とセットで行けば、充実できることまちがいなしです。 桜のシーズンに行くと、大変混雑しますが『千年桜』も非常に見応えがあるとの事です。 □所在地 宇陀市榛原区赤埴乙 □形式 丘城 □高さ 標高507m 比高27m □規模 南北30m 東西90m □築城年代 不明 □築城者・城主 赤埴氏か □遺構 郭、空堀、土橋 ■登城日 2008年3月11日(火) |






