年間祭事 1月01日 歳旦祭
1月02日 二日祭
1月03日 元始祭
1月05日 地久祭
4月15日 桃花祭
4月16日〜18日 桃花祭御神能
5月18日 推古天皇祭遙拝式
旧暦6月05日 市立祭
旧暦6月17日 管絃祭 - 例祭
旧暦7月14日 玉取祭 - 8月正午満潮時の日曜日
10月04日 献茶祭
10月15日 菊花祭
12月23日 天長祭
12月31日 鎮火祭
豊国神社本殿
明治以降は豊国神社となっているが、もとは大経堂で、豊臣秀吉が天正15年(1587年)に戦没
者の供養のために発願した建物である。秀吉が毛利輝元に命じて建立させ、実際の建築の指図
は安国寺恵瓊によって行われた。この建物の鬼瓦には天正17年(1589年)の銘を有するものがあ
り、この頃までには建物の形ができていたと思われるが、その頃、秀吉が朝鮮への出兵を決意し
たことにより建築工事は中断し、細部の造作は未完成のまま今日に至っている。入母屋造、本瓦
葺。柱間は桁行13間(背面は15間)、梁間8間、実長は桁行39.5メートル、梁間21.1メートルの規
模を有し、外周には軒の出を支えるため軒支柱をめぐらせている。この建物は規模の大きさから「
千畳敷」と通称されるが、床は畳敷ではなく板張である。内部は2間ごとに独立柱が立ち、中央奥
に須弥壇を設ける。
ウィキメディアより転載
大鳥居
境内の沖合約200mの地に立つ。
現鳥居は明治8年(1875年)の再建である。棟の高さ16.6メートル、柱間10.9メートルの、大型の
木造両部鳥居(各主柱に2本ずつの控柱がつく)である。主柱はクスノキの自然木で、控柱はスギ
材である。主柱は1本が宮崎県岡富村(現西都市)、もう1本が香川県和田浜(現観音寺市)で切り
出された。両柱とも、1950年の修理時に根継ぎを行っており、根継ぎ材は東柱が福岡県久留米市
、西柱が佐賀県佐賀郡鍋島村(現佐賀市)で切り出されたものである。各主柱の立つ基礎は、千
本杭といって、松材の丸太の杭を密に立てて打ち込んだもので、現在はその上をコンクリートと花
崗岩で固めてある。鳥居はこの土台の上に自重で立っている。島木と笠木は箱状の構造で、これ
らの内部には拳大の石が多数詰め込まれており、その重みによって大鳥居は自立し、風や波に耐
えるようになっている。
奈良の春日大社・敦賀の気比神宮の大鳥居とともに「日本三大鳥居」に数えられる。現在のもの
は平清盛の造営時から8代目と言われる。扁額は有栖川宮熾仁親王の染筆で、沖側は「嚴嶋神
社」、神社側は「伊都岐島神社」と記されている。
2012年以降、大鳥居にできた亀裂の部分に、一部の観光客によって硬貨が差し込まれるケース
が多発している。神社側は「鳥居の柱の老朽化が進む虞があり、止めてほしい」と呼び掛けている。 ウィキメディアより転載
■撮影日 2014年7月1日(火) |
他府県情報
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言葉なんていりませんよね。
旅先で出会った、浴衣娘。。。。。。。。。
もうそれだけで。。。。。。。
■撮影日 2014年7月1日(火)
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浅草から徒歩でスカイツリーへ。。。。
途中、なりひら橋でこんなものが。。。。。
スカイツリーに到着〜(^O^)/
はじめての東京スカイツリー(^O^)/
もっと大きいものだと思ってたけど、ちょっと期待外れ。。。。
入場券は展望デッキまでは2000円。
展望回廊はプラス1000円で入場できます。
ちょっと中途半端な時間でしたね。
ライトアップまで居たかったけど、今日の宿は成田。
次回は、夜のライトアップの時に来たいですねぇ〜。。。。。。
■撮影日 2014年2月20日(木) |
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息子の転勤先の家に行った帰りに、観光がてら長浜に寄ってきました。
以前ブロ友さんたちと、メタセコイヤの撮影後に来て以来の長浜です。
朝食が遅かったので、お腹が空いてはいなかったんですけど、このまま帰るのも味気ないので、
前回から気になっていた、のっぺいうどんをいただくことに。
結構店内は広い。
お昼の3時頃と、中途半端な時間でしたから、店内は貸切〜(^O^)/
おぉー 開店当時のメニューですね。
蓋がついての登場〜 (^O^)/
この大きなシイタケが、すごくおいしかった〜♪
ひとことで言うと、天津飯のうどん版って言う感じ。
お椀にも、のっぺいうどんって。。。。。
■撮影日 2013年4月21日(日)
■所在地 滋賀県長浜市 |
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息子の転勤先にソファーの受け取りに行ってきた帰りに、立ち寄った賤ヶ谷。
ここは信長が亡き後、秀吉軍と柴田勝家軍が戦った地。
この戦いで、秀吉は天下統一の第一歩を踏み出すこととなった。
ロープウエイ乗り場にあるお土産屋さん。
往復750円。
スキーのシングルリフトで頂上に向かいます。
ロープウエイから降りて更に300m。
そこには、本丸。。。。頂上があります。
本丸〜♪
当時の縄張り図
頂上からは琵琶湖の絶景が〜(^O^)/
奥に見える小島は、竹生島。
賤ヶ岳は、桜が見頃でした♪
賤ヶ谷合戦の図
たぶん柴田勝家の像だったような。
持久戦でしか勝算のなかった勝家が、佐久間盛政軍の敗退で北ノ庄に撤退を余儀なくされた勝家。
木之本側の景色。 左奥の山は伊吹山。
激戦が繰り広げられた、余呉湖。
佐久間盛政軍が快進撃を繰り広げたのだが、前田利家の塩津への撤退で左翼の守りが無くなり
総崩れとなった。 このことが勝家軍敗退の原因となった。
歴史って、知れば知るほどのめりこんじゃいますね♪
■撮影日 2013年4月21日(日) |


