奈良の探訪

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奈良県の都

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平城宮跡

 
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 今年は残暑きびしく、ようやく秋の兆しが見えてきました。
 
 すると今度は、いきなりの寒波。
 
 遅れていた紅葉も、一気に進みそうですね。
 
 まさか、秋を通り越して冬ってことにならないですよね。
 
 
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 この日はお天気にも恵まれ、いいハイキング日和♪
 
 
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 平城宮跡の南東部は、ススキや紅葉が見ごろです。
 
 
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 この日は、天平祭2013 秋 が行われていました。
 
 この日一日で13925歩。    久々の1万歩超えでした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
■撮影日  2013年11月9日(土)
 

推古天皇

推古天皇(第33代天皇)


□よみ     すいこてんのう
□在位期間     593年1月15日 - 628年4月15日
□在位中の皇居   豊浦宮・小墾田宮
□別名       豊御食炊屋比売命・豊御食炊屋姫尊
□出生       554年
□死没       628年4月15日
□陵墓       植山古墳→磯長山田陵
□皇子女      菟道貝蛸皇女・竹田皇子・小墾田皇女・尾張皇子・田眼皇女
□夫        敏達天皇
□父親       欽明天皇
□母親       蘇我堅塩媛

豊浦宮
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磯長山田陵
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 その年の9月20日に喪礼が執り行われ、遺令によって女帝の亡骸は息子・竹田皇子が眠る墓に合葬され

た。その所在は奈良県橿原市五条野の植山古墳とされている。後年、時期は不明ながら、大阪府南河内郡

太子町山田にある河内国磯長山田陵(しながのやまだのみささぎ)に改葬された。

                   【フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より抜粋】

崇神天皇

崇神天皇(10代天皇)


□よみ       すじん
□在位期間     紀元前97年2月17日 - 紀元前29年1月9日
□在位中の時代   古墳時代
□在位中の皇居   磯城瑞籬宮
□別名       御間城入彦五十瓊殖天皇 御肇國天皇 
          御眞木入日子印恵命 所知初國御眞木天皇 美萬貴天皇
□出生       紀元前148年
□死没       紀元前29年1月9日
□陵墓       山邊道勾岡上陵
□皇子女      垂仁天皇 彦五十狭茅命 国方姫命 千千衝倭姫命 倭彦命
          五十日鶴彦命 豊城入彦命 豊鍬入姫命 大入杵命 八坂入彦命
          渟名城入媛命 十市瓊入媛命
□皇后       御間城姫
□父親       開化天皇
□母親       伊香色謎命

磯城瑞籬宮
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 都は磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや、奈良県桜井市金屋の志貴御県坐神社が伝承地)。

 『古事記』には、「師木の水垣宮(みづかきのみや)に坐しまして、天の下治めらしめしき」とある。

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 山邊道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)に葬られた。

 『古事記』に「山邊道勾(まがり)之岡上」。

 現在、同陵は奈良県天理市柳本町の柳本行燈山古墳(前方後円墳・全長242m)に比定される。
 
 しかしながら、それより少し前に造られた西殿塚古墳(前方後円墳・全長220m)を、その真陵とする考

え方もある。

 行燈山古墳は、形状が帆立貝形古墳(初期の前方後円墳。前方部が小さく造られている)のようになっ

ているが、これは江戸時代の改修工事によるものとも言われている。


                   【フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より抜粋】

綏靖天皇

綏靖天皇 (2代天皇)


□よみ      すいぜい
□在位期間    綏靖天皇元年1月8日 - 同33年5月10日
         紀元前581年2月23日? - 紀元前549年6月28日?
□在位中の皇居   葛城高丘宮
□別名       神渟名川耳尊・神沼河耳命
□出生       神武天皇29年(紀元前632年?)
□死没       綏靖天皇33年5月10日(紀元前549年6月28日?)
□陵墓      桃花鳥田丘上陵
□皇子女     安寧天皇
□皇后      五十鈴依媛命(川派媛(第1の一書)、糸織媛(第2の一書)、
         河俣毘売(『古事記』))
□父親      神武天皇
□母親      ヒメタタライスズヒメ

葛城高丘宮
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 都は葛城高丘宮(かずらきのたかおかのみや。現在の奈良県御所市森脇か)。


桃花鳥田丘上陵
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 桃花鳥田丘上陵(つきたのおかのうえのみささぎ)に葬られた。『古事記』に衝田岡(つきたのおか)。現在、同陵は奈良県橿原市四条町字田ノ坪に所在する塚山古墳(円墳・径16m)に比定される。中世には山陵が荒廃して所伝を失い、元禄時代の探陵に諸説生じ慈明寺町のスイセン塚古墳(前方後円墳、墳丘長55m)があてられたりしたが、幕末修陵に際して現陵を擬し、明治11年(1878年)治定。

                  【フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より抜粋】

平城宮跡

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朱雀門(復元)
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当時の平城宮
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 朱雀門(復元)平城宮は710年に遷都した奈良の都平城京の大内裏。平城京の北端に置かれ、天皇の
住まいである内裏と、儀式を行う朝堂院、役人が執務を行う官衙(役所)から成り、約120haを占めて
いた。
 平安京遷都後は放棄され、農地となっていた。明治時代に建築史家、関野貞が田んぼの中にある
小高い芝地が大極殿(第二次)の基壇であることを発見、平城宮址(へいじょうきゅうし)は1922年
に国の史跡に指定された(後に特別史跡)。のちに址(し・あと)が常用漢字外であるため平城宮跡
(へいじょうきゅうせき)と書かれるようになる。
 なお、唐招提寺の講堂(国宝)は平城宮朝堂院にあった建物の一つである東朝集殿を移築したもので
ある。切妻屋根を入母屋にしたり、鎌倉時代の様式で改造されている箇所もあるが、平城宮唯一の建築
遺構として貴重である。
 平城宮跡では発掘成果に基づき、朱雀門(1998年竣工)や宮内省・東院庭園などが復元された。
また、2010年の完成を目指して、もっとも重要な建物である大極殿(第一次)の復元工事が行われている。1998年12月、「古都奈良の文化財」として東大寺などと共に世界遺産に登録された。
(考古遺跡としては日本初)


□平城宮跡施設

 東院庭園朱雀門 - 復元朱雀門。
 兵部省 ・式部省- 基壇・礎石が復元されている。
 平城宮跡資料館 - 全体模型、大極殿院模型など。
 第一次大極殿 - 復元工事中。
 第二次大極殿 - 基壇を復元。
 遺跡展示館 - 発掘された遺跡の上に建てられており、見学できる。
 宮内省 - 建物群、築地が復元されている。
 東院庭園 - 庭園・楼閣などが復元されている。


                 【フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋】
 

 平城宮跡は歴史でみなさん覚えたと思いますが、奈良の都の中心地。2010年には平城遷都1300年を迎えます。それにあわせ急ピッチで、道路網の整備や大極殿をはじめいろいろな復元工事をすすめています。 最近 お騒わがせしている『遷都くん』もそのひとつでしょうか。
 今はまだ、だだっ広い空き地? 桜の季節は桜の名所にもなっていましたよね。
 そうそう!最近では、『鹿男あをによし』のファイナル。三角神獣鏡でナマズを封印した場所がここ平城宮跡の朱雀門でしたよね。 
 北には天皇陵も多くあり、いいハイキングコースにもなりますよ。





■撮影日  2008年4月8日(火)
■所在地  奈良市佐紀町

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