自由への長い旅も一段落付きました。

jimです、悲しみ苦しみの果てに真の自由が待っています。

吉野吉水神社宮司様

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素心宮司の一日一語




今日もよし 明日もまたよし 明後日も よしよしよしと 暮らす一日(赤根祥道禅師)




<今日を生きる言霊>

「今日も一緒に 生きてくれて ありがとう」(赤根祥道禅師)

「あなたが、この世に生きていてくれるお蔭で、私は、今日一日楽しく生きられました。」

「ありがとう」


「あなたがこの世に、生まれてくれてあなたのご両親と、神に感謝します。」

「ありがとう」


毎日寝る前に、「ああ、きょうはよかった、ありがたいなあ!」と思って寝ると夢見もよく、朝の寝覚めもすっきりする。

寝る前に今日あった出来事で「いいことだけ7つ数えて」から眠りに付きなさいと、「赤根禅師」は、指導された。

朝起きたら

まず一番に

太陽に向かい

「私は 元気です」

「私は 運がいい」

「私は 美しい、私は生かされている」

と言う癖をつける。


<元気を呼ぶ言霊>

「できる できる 必ずできる」

「あせるな 負けるな くじけるな」

「あればあったでよく、無ければないでいい」

「明日の自分に 今日は勝とう」

「生きる 生きる力いっぱい生きる!」



泳ぎもせず

漕ぎもしないで

一生を終わるな!

(赤根祥道禅師)
石橋をたたいて、渡らない人になってはいけない。失敗も冒険も無謀も人生にあれば楽しい。

人生には、いろいろな苦労や災難が降りかかるけれど

「憂きことの なお この上に積もれかし 限りある身の 力ためさん」(山中鹿之介)

の覚悟で、神様が能力があると認めて下さり

この人間は、これくらいの試練に「へこたれない強い力」があるから

耐えていけると

試練を与えていただけたものと

喜んで生きて生きたいものです。


天風先生の指導のように

「明日は、きょうよりも もっといい日が来る」と鏡に向かい言って今日は寝る前に言ってみよう 




1、雲のかなたに虹を見た

2、神さびたブロッケン
 

転載元転載元: 世界遺産の吉水神社から「ニコニコ顔で、命がけ!」

素心宮司の一日一語




「朱子学は 頭を中心とした学問」で「陽明学は 心を中心とした学問」です。だから私は 陽明学徒です。


「 山中の賊を破るは 易く、心中の賊を破るは 難し」
(王 陽明)
目に見える、賊は すぐにでも退治できるが、心の中に現れる邪悪な賊は、なかなか退治しにくい。

<陽明学の基本思想>

致良知(ちりょうち)
良いと知れば実践する・・・良いと知れば、迷わず、毀誉褒貶もいとわず誠を尽くす。
「自分の心」に嘘をつかない行動。本音とか建前をなくし、ただ、良いと思うことをやる。


知行合一(ちぎょうごういつ)
知って行わなければ、なお知らざるなり、知識だけの頭でっかちにならないこと。実践の伴わない知識は無い方がましである。
教科書や経書や聖書の言葉ほど希薄なものは無い。
悟りを開いたかのようでも、絵に描いた餅でしかない。認識と体験が一体とならねばならない。

心即理(しんそくり)
心こそ万里万物の源泉です。心の鏡に照らし、正しいものは正しく、邪悪なる物は邪悪である。心の鏡を常に磨いていれば全ての森羅万象は即座に映し出される。心の外に「理」があるのではなく、心こそ「性と情」を合わせた「理」に他ならないとした。

事上磨錬(じじょうまれん)
事の上にこそ修養の原点がある。学問は頭でしてはならない、日常の生活・仕事の中で、良知を磨く事が大事である。読書や静座や講演からの単なる知識では、駄目であり行動からの体験が無ければ意味が無い

陽明学は、朱子学とは異なり、「やるしかないのである、やりもしないで・・ほざかしい事を言うな!」
と言う学問である。

偉そうに悟りを開いたかのごとく

怒るな、恨むな、妬むな・傷つけ合うな・・等と聖人君主のような、わかりきった言葉ではない!
自ら省みて、正しいと思うならば、怒ることも、恨むことも、憎むことも、妬むことも「自分に嘘をつくことなく戦うべきだと言うのが・・・陽明学の魅力である。

朱子学者は、時に抹香臭く・・・「愛だの平和」だのとのたまうが、その言ってる本人の心の中に、まぎれも無い「邪悪」が見える場合も多い。

何も好き好んで、日本も戦争したのでは無い。むしろアメリカの挑発に乗せられたのだ。戦いは、戦わなくていい場合は避けて通りたい。しかし自分の誇りを守るために、自分の愛する者を守るため、立ち上がりサリンで失った「夫の怨み」を「怨みとして返さねば」ならない。その方が人間らしいのである。

ただ、偉い高僧のように、奇麗ごとを言う人は、地獄の辛さや修羅場を超えてこず、死ぬような病気もせず・・・言葉遊びをする人があまりにも多い。
ただし、全財産をなくしたり、愛する人と別離したり、死ぬような病気したりの体験を乗り越えた人の言葉は体験があるから・・感動もするし、説得力もあるのです。

<四句教>
善無く 悪無きは「心の体」
善有り 悪有るは「意の動」
善を知り悪を知るは これ「良知」
善を為し悪を去るは これ「格物」

心の本体は、即ち善悪を超越したものです。善悪が心の中の生じるのは、人間の損得、毀誉褒貶の心や虚栄心とか虚飾によるものです。
だから、善も悪も心の中には無いのです。有るというのは人間の欲望です。善悪を識別するのは「良知」です。天理を在して人欲を去ることが「格物」です。

陽明学は、理論よりも行動を重んじます。拉致問題でも、そのような「活動に加担」すれば、北朝鮮関係者から怨みを受ける・・・だから神社やお寺が関わらないことだという。

早い話が、自分の神社やお寺が安泰であれば、横田さんの娘さんや、有本さんの娘さんが拉致されて、泣いて苦しんでいても、手を貸さないのである。それよりもお寺の金儲けが大事なのである。
そのくせ、御説法では、「愛だの平和だの戦争はしてはならない・・」と人々に申すのである。

正義の主張であれば、断じて正しいことを主張せねばならない!利害など関係ない。相手が多かろうとかまわない・・自ら省みて直くんば・・・何万の敵にも、突撃しなぎ倒さねばならない。

<格物致知>

「物を格す」物を正すのである。すなわち、是は是であり、非は非なのである。
そこに、妥協をすると、世の中が正しく見えなくなるのです。


「宮司さんは、いつも、敵を作られますが・・しんどくありませんか?」という。

「私の、元気の源は、正義感です。警察官の時は、社会正義のために極左暴力集団と火炎瓶や投石、角材と戦った。怒りは、エネルギーでした。彼らはマルクス主義の旗をかざしました。暴力団や人質事件にも火の中に飛び込んで行きます・・・何故なら正しい事をすることは、何も恐れないでいいからです。だから私は「陽明学の旗をかざしたのです」

「吉野の吉水神社の宮司は、いったい何者か?」と問われたら
宮司は、迷わずに答えます。

「私は、陽明学者です」と


わが教典は、経典でも神道概論でも古事記でもなく、ましてや、聖書ではなく,モーゼの十戒でもない。

その名は、王陽明の「伝習録」でございます。

転載元転載元: 世界遺産の吉水神社から「ニコニコ顔で、命がけ!」

素心宮司の一日一語





「ある ある みんなある」「私を本当の人間にしてくれたのは、手足のないこの身体でした」(中村久子)


「人生に、絶望はない 如何なる人生にも 決して絶望はない」

人間は如何なる場合でも
如何なる職業でも
魂を磨くことを忘れてはならない
自分を卑しめることが 一番の憎悪だ
泥の中に咲く蓮の花の誇りを持って 生きよう!

中村久子は、まだ幼い3歳の時に、霜焼けから「突発性脱疽」にかかり、両手と両足を切断してしまいました。足が落とされ・・手が切り落とされたのです。

不幸は続いて、久子が7際の時に、父を亡くし、10歳にして弟と生き別れる悲しみに耐えました。

母の再婚で苦労の連続でしたが、母はあえて一人で生きて行けるようにと、厳しく久子に接っした。誰の手も借りずに生きていかせるために、母は、心を鬼にしたのです。

母は、久子の食事も、トイレも風呂も身の回りの一切を、手のない足のない久子に、自分一人で何もかもさせた。

また、裁縫や編み物も口で針をくわえさせてさせた。久子は泣きながらもついに炊事も洗濯もするようになった。

20歳になると、両手足がない「だるま娘」として見世物小屋に出され、みんなから笑われた。

日本や台湾・朝鮮・満州にと興行のために連れ回され渡り歩いた。
興行主の中には、手もない足もない久子に過酷な出番を設けて満足な食事も与えず金だけを騙したりもした。

それでも耐えて、子供を産み、おしめを口で交換したり、赤ちゃんのおしっこも、うんちも口で拭いた。ミルクを口移しでやって子供を育てた。
そして、47歳に、見世物芸人から別れを告げて、以後72歳で亡くなりました。
昭和12年4月、日本にヘレンケラーが訪れた時に、久子に会う。ヘレンケラーは涙を流しながら・・・久子に言った「私よりも不幸な人、そして偉大な人」と


<中村久子の歌>
「さきの世に いかなる罪を犯せしや 拝む手の無き 我は悲しき」

<「ある ある ある」>
さわやかな 秋の朝
「タオル取って頂戴」
「おーい」と答える 良人がある
「はーい」と答える 娘がおる
歯を磨く 義歯の取り外し 顔を洗う
短いけれど 指のない 丸い 強い手が
何でもしてくれる
断端に骨のない やわらかい腕もある
何でもしてくれる
短い手もある
ある ある ある みんなある
さわやかな 秋の朝

手足なき 身にしあれども 生かされる 今の命は尊かりけり
久子は言う「この世に絶望は無い」という。


私が「中村久子女史」の存在を知ったのは、「黒瀬昇次郎著の中村久子の生涯」からでした。
本を読むや否や、私は著者の「黒瀬昇次郎氏」を大阪の福島区の自宅をあれこれと探して、突然訪ねた。
そして、何とコンタクトも取らずに訪問した私を見ながら「中村久子のどこに感動してここまで来たのか?」と黒瀬先生は尋ねた。

私は、手も足もない「中村久子」の生き様に感動しました詳しく知りたいのです」と言うと

黒瀬先生は「中村久子女史」を本に書かなければならないと思ったいきさつを語り始められた。

<黒瀬師の話>
「私はね・・・コーヒーの輸入会社の社長をしていたんだが、ある日突然血液検査でね、「白血病で、余命1年だろうと、医者から言われてね、すぐに入院してと言うことに成りましてね、そこで私は、頑固者でして,どうせ死ぬなら
入院もせず本を書いてみようと思ったのです。何かこの世に残して死にたいと思いましてね、そのとき知ったのがこの中村久子女史ですよ。岐阜の高山の真蓮寺の住職にすぐに会いに行き、久子の関係する人々に会い、その場所の足跡を訪ね歩かれた。
4年がかりで本を書き上げました・・・ところがですよ、医者から1年の命しかないと言われていたのに・・・4年も生きていたことに気がつきました。一生懸命が病気を忘れさせたのですよ。何だか元気になってねと・・・大きな声で笑われました。

私は、当時大阪府警察官の教育担当でしたので「人の優しさやいたわり、弱い人達に対して警官が親切に対応することを願い」黒瀬昇次郎先生に講演を依頼した。
それ以降・・・黒瀬師匠とは親しく指導してもらった。

でも警察官の中には、何不自由の無い身体なのに、情けを知らない警官がいたことを悔いている。

「警察官である前に・・人間であれ」と叫んで育てた警官がいつの間にか件数主義にどっぷりはまっていたりして、無力感も感じたが・・・でも「中村久子の生涯」の講演で泣いた警官も多かった。

どんなに心身が欠けていたとしても、不自由であろうとも、泥をかぶり、泥を飲んでも、蓮の花は・・泥の中からきれいな花を咲かせます。
自分の誇りを捨てず、強く凛として蓮の花は美しく咲くのです。
誇りがあれば、人生に 絶望はない。

今は、宮司として「中村久子の生き様」を人生に絶望して、「死にたい」と馬鹿なことを言う人や、心の病で苦しむ人に話して聞かせます・・そして・・・「まだ死にたいかい?あなたと中村久子とどちらが辛く苦しい一生かい?・・・・」と尋ねる・・・

すると・・・「宮司さん、もう一度生きてみます」と元気になり帰って行く。


1、中村久子が手の無い体で口に針をくわえて縫い物をしている
2、口で縫い、自分で作った人形
3、筆を腕にくくりつけて筆字を書く

(今であれば・・・義足や義手もあっただろう)

素心宮司の一日一語




かしこい人は 

燃える事が

出来ない

燃えるためには

愚かさがいる

愚かさには

力がある


「阿呆」「馬鹿」に成り切る事は、言葉で言うほど簡単ではない。

「自分を無にする」事は、言葉で言うほど簡単ではない。

世の中を賢く生きるということは「損か得か」の問題ではない。

情熱を燃やし日々を生き生きと生きるためには愚かさがいる。

計算では、割り出しえない愚かさや楽しさがいる。


人間は「欠けているから」 素晴らしい!

「完全無欠な人間」など この世には いない



人間は「失敗するから」どんどん試練を越えて 強く成る!

「失敗をしない人間」などこの世に いない



人間は「病をするから」感謝が生まれる!

「思いやり」が生まれ 

他人に優しくなれる。病気をしない人間は いない


離婚・倒産・リストラも・失恋・いじめも全て「人生に無駄は無い、無駄にするかしないかは、その人の心がけによる」

「離婚したからこそ、新たに素敵な人・心の美しい・やさしい人に、会うことができた」と言う人生を歩んで行こう。

「倒産したから、今の新しい会社を立ち上げた。社長・社員・顧客が全て豊かで楽しい会社が出来た」という会社を創建しよう。

「リストラにより、会社を去ってはじめて多くの学びがあった。「会社も大事」だが、「家庭も大事」だと気がついた。家庭も大事だが自分の趣味も大事だと気がついた」という心のゆとりの時間が出来た。

「失恋をしたから、本当の相手の心が見れた。人間のずるさや裏切りの悲しさを知った」と相手を外見で
判断してはいけない事を学んだ。今の恋人が出来たのも、あの失恋を乗り越えたお蔭だと感謝しよう。

「いじめられて、強くなった。人からいじめられてはじめて痛さを学んだ。いじめられながら耐える勇気と、他人を思いやる勇気を いじめる人から学んだ」と涙が乾いた後に気がついた。


心の態度を「積極的」にすることです。「積極的」に「前向き」に生きていると全てが解決します。

どうせ生きるのだから、じめじめ、くよくよ生きないで、「明るく楽しく」生きていこうよ

転載元転載元: 世界遺産の吉水神社から「ニコニコ顔で、命がけ!」




生かされて

生きるや

今日のこの命

天地(あめつち)の恩

限りなき恩

(平澤 興 元京大総長)




人間はともすれば「自分一人の力」で生きていると思いがちである。

だから、「誰の世話にもならない!」という傲慢な言葉を吐くこともある

だが、もしも大病したら医者や看護婦さんの世話になる

人間は、みんな みんな 

あなた、こなたのお蔭で、生かされている。

自分だけの力で 生きているのではなく

天地の恵みのお蔭で生かされている。

だからせめて

この人生を楽しみながら

そして周囲の人に喜びを与えながら

明るく生き生きと生きて行きたい。


「自分の心臓」は、自分が動かしていると過信する

でも、そうではない

もしも 自分が動かしているのなら

止めたり動かしたりできるはずだが

それさえできない

神さまや父母のお蔭で心臓も動いている

心臓は あなたこなたのお蔭で動いている

生かされて生きていると気がついたら

構えたり 飾ったり 虚勢を張らず

何だか「明日の生きる力」が湧いて来る。

肩の力を抜いて

頑張りすぎないで

生かされて 生きている事に

感動し 感謝して

喜んで 今日も生かされている



太陽や月や星も

樹木も草も花も

雨も風も

ありとあらゆるものが

関わり合い助け合って

生かされている

森羅万象 皆 生かされている

この世に 無駄な物は無いように

この世に 無駄な者もいないのだから

喜心を抱いて

生かされて生きていこう

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