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吉野吉水神社宮司様
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「人生に、絶望はない 如何なる人生にも 決して絶望はない」 人間は如何なる場合でも 如何なる職業でも 魂を磨くことを忘れてはならない 自分を卑しめることが 一番の憎悪だ 泥の中に咲く蓮の花の誇りを持って 生きよう! 中村久子は、まだ幼い3歳の時に、霜焼けから「突発性脱疽」にかかり、両手と両足を切断してしまいました。足が落とされ・・手が切り落とされたのです。 不幸は続いて、久子が7際の時に、父を亡くし、10歳にして弟と生き別れる悲しみに耐えました。 母の再婚で苦労の連続でしたが、母はあえて一人で生きて行けるようにと、厳しく久子に接っした。誰の手も借りずに生きていかせるために、母は、心を鬼にしたのです。 母は、久子の食事も、トイレも風呂も身の回りの一切を、手のない足のない久子に、自分一人で何もかもさせた。 また、裁縫や編み物も口で針をくわえさせてさせた。久子は泣きながらもついに炊事も洗濯もするようになった。 20歳になると、両手足がない「だるま娘」として見世物小屋に出され、みんなから笑われた。 日本や台湾・朝鮮・満州にと興行のために連れ回され渡り歩いた。 興行主の中には、手もない足もない久子に過酷な出番を設けて満足な食事も与えず金だけを騙したりもした。 それでも耐えて、子供を産み、おしめを口で交換したり、赤ちゃんのおしっこも、うんちも口で拭いた。ミルクを口移しでやって子供を育てた。 そして、47歳に、見世物芸人から別れを告げて、以後72歳で亡くなりました。 昭和12年4月、日本にヘレンケラーが訪れた時に、久子に会う。ヘレンケラーは涙を流しながら・・・久子に言った「私よりも不幸な人、そして偉大な人」と <中村久子の歌> 「さきの世に いかなる罪を犯せしや 拝む手の無き 我は悲しき」 <「ある ある ある」> さわやかな 秋の朝 「タオル取って頂戴」 「おーい」と答える 良人がある 「はーい」と答える 娘がおる 歯を磨く 義歯の取り外し 顔を洗う 短いけれど 指のない 丸い 強い手が 何でもしてくれる 断端に骨のない やわらかい腕もある 何でもしてくれる 短い手もある ある ある ある みんなある さわやかな 秋の朝 手足なき 身にしあれども 生かされる 今の命は尊かりけり 久子は言う「この世に絶望は無い」という。 私が「中村久子女史」の存在を知ったのは、「黒瀬昇次郎著の中村久子の生涯」からでした。 本を読むや否や、私は著者の「黒瀬昇次郎氏」を大阪の福島区の自宅をあれこれと探して、突然訪ねた。 そして、何とコンタクトも取らずに訪問した私を見ながら「中村久子のどこに感動してここまで来たのか?」と黒瀬先生は尋ねた。 私は、手も足もない「中村久子」の生き様に感動しました詳しく知りたいのです」と言うと 黒瀬先生は「中村久子女史」を本に書かなければならないと思ったいきさつを語り始められた。 <黒瀬師の話> 「私はね・・・コーヒーの輸入会社の社長をしていたんだが、ある日突然血液検査でね、「白血病で、余命1年だろうと、医者から言われてね、すぐに入院してと言うことに成りましてね、そこで私は、頑固者でして,どうせ死ぬなら 入院もせず本を書いてみようと思ったのです。何かこの世に残して死にたいと思いましてね、そのとき知ったのがこの中村久子女史ですよ。岐阜の高山の真蓮寺の住職にすぐに会いに行き、久子の関係する人々に会い、その場所の足跡を訪ね歩かれた。 4年がかりで本を書き上げました・・・ところがですよ、医者から1年の命しかないと言われていたのに・・・4年も生きていたことに気がつきました。一生懸命が病気を忘れさせたのですよ。何だか元気になってねと・・・大きな声で笑われました。 私は、当時大阪府警察官の教育担当でしたので「人の優しさやいたわり、弱い人達に対して警官が親切に対応することを願い」黒瀬昇次郎先生に講演を依頼した。 それ以降・・・黒瀬師匠とは親しく指導してもらった。 でも警察官の中には、何不自由の無い身体なのに、情けを知らない警官がいたことを悔いている。 「警察官である前に・・人間であれ」と叫んで育てた警官がいつの間にか件数主義にどっぷりはまっていたりして、無力感も感じたが・・・でも「中村久子の生涯」の講演で泣いた警官も多かった。 どんなに心身が欠けていたとしても、不自由であろうとも、泥をかぶり、泥を飲んでも、蓮の花は・・泥の中からきれいな花を咲かせます。 自分の誇りを捨てず、強く凛として蓮の花は美しく咲くのです。 誇りがあれば、人生に 絶望はない。 今は、宮司として「中村久子の生き様」を人生に絶望して、「死にたい」と馬鹿なことを言う人や、心の病で苦しむ人に話して聞かせます・・そして・・・「まだ死にたいかい?あなたと中村久子とどちらが辛く苦しい一生かい?・・・・」と尋ねる・・・ すると・・・「宮司さん、もう一度生きてみます」と元気になり帰って行く。 1、中村久子が手の無い体で口に針をくわえて縫い物をしている 2、口で縫い、自分で作った人形 3、筆を腕にくくりつけて筆字を書く (今であれば・・・義足や義手もあっただろう) |

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