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不思議な気持ち

以前にも考えたことなのだけど、
「文字とか、算数とかって、本当に必要なものかな?」
と、ふと思ってみることがある。
いや、必要なものだってことはちゃんとわかっているのだけれど・・・・・・
ない時代の人達は、なくたってちゃんと生きてた。
戻ることはできないのだけれど、その感覚をどうにかして、現在の自分に一瞬重ねてみることって
なんとなくできるんじゃないだろうか?というような不思議な気持ちがしてくる時がある。
文字を覚えて、算数も覚えて、時間で動くことを覚えて・・
そういう前の段階の赤ちゃんが日々感じているような感覚かなぁ・・
一度覚えてしまったことから、「ないように」思うことって、すごく難しい。
「必要ない」とまで思うことって、更に難しい。
でも、囚われまくって生きている今でさえ、それら全てを必要としない自分だって
確かに存在してる(はずだよね?上手くいえないんだけど・・・・・・・・)という二重性が
馬鹿に不思議で安心に思えることがある。
 
ブルーハーツの「情熱の薔薇」という歌の歌詞に
見てきたことや聞いたこと 今まで覚えた全部 でたらめだったら面白い そんな気持ち わかるでしょ。
っていうのがあるけど、この気持ちだと思う。たぶんだけど。
今まで覚えた全部から解き放たれてしまったら、自分ではなくなってしまうような気もするけど、
どんなになったって、自分でなくなることなんてない・・なんていったらいいんだろ。
解き放たれたいがために、足掻くのかもしれない。
文章を書くという行為も、そういうものじゃなかろうか。
そんな風に思えるのは私だけじゃない気がする。たぶんだけど。
 
私、高村光太郎の『智恵子抄』が好きなのだけれど、解き放たれた状態って、例えば、
晩年の智恵子さんと光太郎のような感じかもしれない。
 
現代に生きていく為には
そりゃあ、覚えなけりゃキビしいことがたくさんあって、国語も算数も体育も他にもいろいろ・・
食べていく術を身に着けて、競争して自立していかなくちゃいけないのだけれど、
 
そういう現実のキビしさとぴったりとくっつくようにして、そういう身に着けるものが全く関与しない
思いもよらない生きることと全く関係のない自分が裏っ側に確かにいるんだと思う。
そういうアホのような、もう何にも何にもな〜んにもわからんくなったような、どっち向いててもいいような、
単なる「存在」のみになって、脱げるものを全部脱ぎっさらした自分っていうのが、どんなんなのか、
自分でも知らないけれど、そういう意外な一面を発見したり、垣間見たりできたときに、
なんともいえずに「スッキリ」するような気がする。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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