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ていうか、「人間」って、「物質の集まり」だよね。
物質の集まりである人間が、A点なりB点なりの存在を認識して連続的に反応している。 それは機械のスイッチのように。 その認識できるというのは「生きている」間だけか。 生きているダンゴムシは死んだダンゴムシと生きているダンゴムシを認識できるか。 生きているダンゴムシにとって、死んだダンゴムシは土と変わらないのではないだろうか。 ダンゴムシはお弔いをするのか、しないのか・・・しないように見えるけど。 生きている間も、物質の集まりであることには変わりないはずなのに、 どうしてか、生きている私は「物質」と「命」を分けて考えなければ、おかしいような気がする。 死んだら「私」は消えるか? 文章として過去として残るとか、そういう話ではなくて、 生きている間と同じく「物質の集まり」の死体である私は「自己認識」をするか? するとしたら、どのように?自己認識とは何か? 「人間の眼というのは、目の前の世界を映しだすだけではなく、 目の前の世界に自分を映し出す。あなたがホムンクルスを見ている以上に、ホムンクルスがあなたを 見ているのです。」(山本英夫) 自分のことは自分ではわからない。 だから、周りに映し出される自分の片鱗を見て、知ろうとする。 もしも、私が死んだら、他人は私の姿を「死体」と認識するだろう。 そのことをもって、死体である「私」が「自分は死体になった」と認識できるのか。 お弔いとは、そのためにあるのか? 何かおかしいことを言っているよな・・・ 何かはわからない。何かがおかしい気がする。 死体に意識はないのでは?死体は土と同じでは?生きている人間とは全く違うはずでは? 違いは何? 死体になった私は、屁理屈を生み出さない。 そして、食べない、うんこをしない、感じない、表現しない、笑わない、怒らない、 病気にならない、死なない、苦しまない、喜ばない、反省しない、 それなら、まるで神のよう・・ それとも、まるで人間ではないみたい・・ 死体は人間ではないの? それから、腐る。燃やされる。灰と骨になる。お墓に入るか海に撒かれる。 死体になったら、「私」の意識は消えたの?溶けたの?変化したの? というか、私だった物質の一つ一つがそのようになっているの? 私はどこにあるの? |

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