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新元号令和を、新天皇陛下と共に歩む
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シメシメしめこの〆兎
鎌倉時代の刀鍛冶
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 「あかねさす紫野ゆきシメ野ゆき、野守は見ずや君が袖ふる」は万葉集の一句だが、
文中の、シメ野という意味は、一般人立ち入り禁止の禁野の意味なのである。シメは現代で言う、被区別用語で、
シメシメも日本原住民を差別して完全包囲したという意味である。
現在も使われている「しめこの兎」とか、「しめたッ、やっと罠にかかったぞッ」などと使われている。
「しめしめ」も巧くいったという意味で、我ら日本原住民の末裔にとっては、誠にしめツポイ話である。
昔、作物の刈り入れをして収穫するのを「収実」と当て字しますが、「三省堂明解古語辞典」でも、
 「しめ=助動特活命令=助動詞しもの命令形か。敬意を含んだ命令の意味。勧誘、催促、督促」とでています。しめはシメルとなると縛られることです。
稲束をくくる事のようにとられていますが、元来は違って、ヒエやアワなら育って食料になる東北地区へも、藤原王朝は種モミを渡して原住民を強制農耕の奴隷使役でした。
つまり東北が大凶作によく見舞われるのも、ヒエやアワなら冷害にも強いのに、自分たちの食料増産のため、水稲を、強制的におかみから植えさせられている為からの寒冷の悲惨さなのであります。
 つまり原住民が、降参して編戸の民となって農耕奴隷とされた縄文日本原住民の事なのである。彼らが、支給された種もみを何十倍の稲にして上納せねば、
お上からのお答めがひどく、罰として田畑へ吊したり刺殺されるゆえ、泣く泣く己が食い扶持はなくても、すっかりはたいて年貢に出していたのが真実です。
つまり「締め」と当て字をしますのも、年貢が少ないと締めあげられたせいでしょう。
なんせ「しめ縄」というのも今では神棚に張るから神聖な物と間違っているが、かつてはそうではなく「締めつける為の繩」と、お咎めをうけることをさして言ったのです。
北条時代には、元より来寇が繰り返され、日本防衛の武器製造のため、各地に軍需工場とも云うべき鍛冶屋が増設され、技術者である鍛工が原住民から強制徴用された。
そして鎌倉へ連行されて、一大軍需工場のタウンが作られた。現代鎌倉時代が刀の黄金時代と謂われるのもこのためなのである。
その際の刀工達の仕事場に「注連縄(しめなわ)」が張られたのも「標縄」で、原住民が集団居住させられていた、徐地として、他からの出入りを禁止し、刀工たちの逃亡を防ぐ意味だった。
現在火事場で野次馬防止に張られている縄(現在は黄色いテープだが)と同じことである。
日本各地の刀鍛冶の工房で、正月になると「初打ち」として新刀制作がされていて、その際「神聖な行事」として注連縄が張られているが、
あれは権威づけるためのコケ脅しに過ぎない。日本刀なんか砂鉄と鋼を焼き入れして、叩いた刃物に過ぎないし、戦国期は、雑兵が飛び来る矢を打ち払ったり(打ち刀ともいう)、
首切り包丁として使われた道具に過ぎない。「武士の魂」だとか「世界に誇る美術品」と持ち上げる風潮はおへそで茶を沸かしたいようなものである。
ちなみに、虎徹、関の孫六や政宗など、多くの刀鍛冶が居たが、彼らは全て「アカサタナとオコソトノ横列」の名がつく原住民系で、ただ一つウクスツヌ横列の「村正」だけが、
大陸系の鍛冶で、この為これを嫌った原住系の武士たちは「妖刀」だとか「御止め刀」として人気がなかったのである。

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