手術ミス、医療裁判、医学、病気

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LASIK

2001年の7月に、ロスに半年勤務していた際、LASIKの手術を受けた。 ロスの会社では、かなりの数のアメリカ人がLASIK手術を受けて、近視を治していた。

3人ほどの同僚から推薦された医者で手術を受けた。 治療費は、2850ドルだったか。 今の値段は知らないが、当時、ロスでLASIKを施す医者は結構あり、値段も1000ドル代から6000ドル代とピンきりだと聞いた。 同僚の薦めもあり、値段も中ごろの医者を選んだわけだが、結果としては、まったく問題なし。

当時、両眼ともに0.1くらい(乱視なし)だったが、その後現在にいたるまで両眼ともに1.5。 最近、コンピュータの見すぎか、多少視力が落ちたかなと思わないことはないが、後遺症もまったくなく、まったく普通、違和感もなにもない。

手術は、本当に簡単で、両眼10分か15分で終わったと思う。 その日は、友人が付き添ってくれて、手術後は、眼帯をして友人につかまり帰宅。 そのまま、ぐっすり眠り、数時間後、目が覚めたが、何やら目の中に、ゴミというより砂利が入ったような感じで、涙ぼろぼろ出てきた。 目をこすってはいけないので、しばらく我慢して、また眠りについた、翌朝目を覚ますと、痛みもなく、視界が変わっていた。 1ヶ月くらいは、目を強くこすらないよう注意し、3ヶ月もすれば、プールの中で目を開けても大丈夫になった。 また、術後半年から1年くらいは、よく夢の中で、また目が悪くなり、メガネをかける生活に戻ってしまったことを悔やんでいる自分が出てきたが、今はそんな夢も見ない。 

手術のおまけに、手術中のビデオテープまでくれた。 家内にビデオを見せたら、ちょっと嫌がっていた。 子供には、さすがにまだ、見せられない。

日本でも最近流行ってきているのか、半年前、自分の弟が青山でLASIKを受けた。 両眼50万円くらいだと聞いている。 

LASIKは、誰でもできるわけでなく、手術に適していない目を持つ人もいるとのこと。 また、人間の目の筋肉も成長をすることから20代前半くらいまでの人には薦めないと聞いた。 20代中盤以降で、成長の止まった人向き。 あまりに若いうちにすると、数年でまた目が悪くなることもあるとのこと。 しかし、目の表面はとても再生が早く、LASIKは何度もできる手術とこと。 しかし、いずれ老眼にはなるとのことで、こればかりは手術でも治らないらしいと聞いた。 

LASIKを気にかけている方がいれば、自分は是非薦めたい。

頭痛がした

先日プールに行ったら、右耳に水が入った。 「あ、水が入ったなぁ」と思い、片足ケンケン、左耳を上にして頭をトントン、綿棒を耳に入れたり、地べたに右耳を下にして寝たりしたが、違和感が取れない。次の日、さらに左耳上の頭も軽く痛んだため、念のため耳鼻科に行った。 30分待たされ、そしたら、特に問題はないが、何か菌が入ったのかもしれない、などと診断され、やれ風邪薬、炎症を抑える薬、それによる副作用を抑える薬、などなど、薬を6種類か7種類くらい処方された。 ちょっと、大げさじゃないか、薬をわざと購入させるために、やっているのではないかと疑念を抱きつつ、1時間薬局で待たされ薬を購入。 その日は、その6,7種類の薬を飲む。

さらに次の日、右耳の水が入ったような違和感は抜けたが、今度は、頭痛がひどくなった。 耳の違和感がなくなったので、耳鼻科からもらった薬は、それ以来飲まずに捨てた。 症状は、普通にしていると痛みはないが、頭を軽く振っただけで、左の頭のみならず、右の頭もひどく痛みだした。ネットなどでは、眼精疲労とかうつ病とか、で頭痛がする可能性ありとのこと。 ひどい場合は、脳神経がいかれている場合もあると、、。 仕事上のことで、ちょっと悩みもあるが、まさかうつ病ではないなと思いながら、2-3日経っても、頭痛が治らなかったため、週末に、マッサージに午前中行った。 すると、首の後ろがパツンパツンに張っていて、そこは目の疲れがたまっているからだ、と入念に40分間マッサージをしてもらう。 マッサージがまた痛く、悲鳴をあげそうになりながら、マッサージを受けた。 マッサージ後も、特に頭痛は治らず、午後になっても痛むため、まさかと思いながらも、脳神経外科に行った。 そこでは、なんか丸い空間のある装置に横になり、頭の断層写真を取ってもらうが、何の問題もなしとのこと。20分で診断終わり。 運動してくださいね、なんて言われて、その日はそのまま寝た。

そして、次の日の朝、頭痛は何事もなかったかのように、治っていた。 結果から言うと、眼精疲労だったのだろう。 まったく、耳鼻科も脳神経外科も役立たず。 耳鼻科1300円、薬に1200円、脳神経外科が高くて6800円、マッサージ3500円なり。 PCモニターの見つめすぎに注意したい。  

手術ミス(陳述書2)

東京高裁に提出した陳述書です。 

陳述書

平成17年8月19日

私たちの母が、手術台の上で、もがき苦しみながら、杜撰な手術(準備、手技、麻酔、管理ミスなど)により、55歳の若さで、その命を奪われてから6年が経ちました。 

この裁判にたいする私の思いは、一審で提出した陳述書に書いたとおりです。 しかしながら、一審の判決内容を、不承不承受け入れた私どもに対し、傷口に塩を塗るかのごとく控訴し、全くその罪を認めようとしない控訴人らに、私は憤りを超えて、今では言いようのない憎しみすら感じています。私は、この裁判を、昨今増大している医療ミス訴訟における、社会正義の裁判であると位置づけています。それが公文という塾を経営し、長年にわたり社会貢献してきた母への償いであると思っています。控訴人、そして控訴人らの所属する病院に対して、高等裁判所は、国家の判断を誠心誠意、公正にくだしていただきたいと思います。 
 
母は、普通の交通事故や火事などが原因で亡くなったのではありません。全幅の信頼を置いた病院の手術室のベッドの上で、一人孤独に、家族に別れも告げることもできず、手足を縛られたまま無抵抗に、いい加減な麻酔をかけられ、体を切り刻まれ、大量に出血し、電気ショックを何度も受け、不適切な管理のもと、亡くなったのです。その無念さ、むごさ、悲惨さは、尋常ではなく、まさに筆舌に尽くしがたいことです。一審での証人尋問で、麻酔を担当したという武藤氏のプロにあるまじき知識不足、答弁中逆切れする態度などは、この人は本当に医者か?と呆れてものが言えない状況でした。十分な麻酔がかかっていなかったのか、開腹後まもなく、母が痛みを訴えたため、鎮痛剤、鎮静剤などが次から次へと大量に投与されました。手足を縛られたままお腹を切られ痛みを訴えた母、まさに激痛を感じたであろう母の姿は想像を絶します。  

控訴人は、自分らの行為が不可抗力であったと主張したいがため、控訴人らと関係のあるたった一人の病理医師の簡単な検査結果から、母が末期癌であったと主張します。しかし、末期癌の人間が、入院の前日まで元気にテニスをすることができるでしょうか? 母は、体重減も全く見られず、食欲も旺盛で、体重増を常に気にしてダイエットをしていました。また常々、母の親戚には、癌で亡くなった人はいないから、うちは癌の家系ではない、と言っておりました。私は、控訴人らが、癌でもない母を、癌に仕立てようとしているとしか思えてなりません。そう思う理由の一つに、控訴人らが、証拠を隠滅するためか、取り出してホルマリンにつかっていた臓器そのものを既に破棄しているという事実があるからです。また、最初の簡単な病理検査以上の診断などが一切出てきていないからです。 

母の亡くなった次の日、兄弟3人でXX医師を尋ねました。この度、その時録音したテープをじっくり聴きました。また後日、XX医師が実家を訪れた際に録音したテープも聞きました。それらのテープから抜粋した会話をこの度提出するとともに、改めて以下の点を記述いたします。

1. 手術は4月23日(金)に行われてしまいましたが、母は、公文をやっている関係から、1週間後のゴールデンウィークの直前の手術を希望していました。しかしながら、22日(木)の診察による出血がひどかったため、十分な検査をする間もなく次の日に手術をするということを控訴人側から促されたということが再確認できました。
2. XX控訴人は、テープの中で、何度も「大変だ」という言葉を使っていること。手術当日の朝、大変だと思い、お腹を開けて腫瘍が癒着しているのを見て、また大変だと思い、子宮を取った後「パッと出血」した際に、これはいかん、と思い、第2次出血の際も、これは危ない、と思ったと言っています。何度も何度も、大変だ、危ないと思いながらも、手術を強行したことは、非常に不可解です。
3. これまでの準備書面では触れられていない点として、子宮(筋腫)を取った直後、そこに通じていた血管を切断したため、血管がシュルシュルと骨盤の中に引っ込んでいったということ。この直後、上記2にあるようにXX控訴人は「パーッと出血した」と言っています。控訴人はそれを静脈だと言い張りますが、私は、シュルシュルと引っ込むほどに太い血管であること、パッと出血したことなどから、控訴人は動脈を切断してしまったのではないかと疑いを持ちます。 
4. 第一回目の手術が終わり、お腹を閉じた後、XX控訴人は、外来患者を診に手術室を出た、と言っていること。その後1時間して、第2次出血が始まったため、手術室に戻っている点から、XX控訴人の執刀医としての責任感の無さ、とんでもないことをしてしまったことから逃れようとする態度が伺えます。
5. 最後に、およそ2時間に及ぶテープの中で、一言も、私ども3人に対して、謝罪の言葉がなく、未だにXX控訴人から直接にしろ間接にしろ、そのような言葉が無いのが、非常に残念でなりません。

一審の陳述書にも書きましたが、裁判官の方々にも母親がいらっしゃると思います。被害者、残された家族の思いを、ご自身が同じ立場だったらと想像して頂きたいと思います。皆様もご自分の母親に対して、一度ならず恩返しをしたい、親孝行したい、と思われたことがあると思います。初孫が生まれ、心から喜んでいる姿を見て、私はかわいい孫娘と楽しい時を過ごさせてあげたいと思っていました。先日も、私の娘二人が演奏するピアノの発表会がありました。 演奏を見に行った私の義母は、孫娘二人の演奏を非常に喜んで聞き入っていました。常々、孫娘には元気をもらうと言っております。まさに、そういう至福の喜びを受けられる機会を失った母の無念さを理解して頂きたいと思います。 

また、一審の陳述書にあるように、母の横たわっている手術室で、XX医師に以下のように問いました。「もし手術をしなければ、母は腰痛を訴えながらも、今でも生きているんですよね?」それに対し、医師は、しばし沈黙をおいた後、「そうです。」ときっぱり答えられました。また、前述のテープの中で、XX氏は「止める勇気が無かったことを反省している。」と言葉を発しています。さらに、XX医師も、「外科医は、手術台の上で、一時的にも患者さんを良くしなければならない」と反省の言葉を述べています。これらの言葉は、何だったのでしょうか。当時、体調を悪くされていたXX病院の院長からは、控訴人らに対して、人間としてまっすぐ向かい合い、ありのままに事実を話し、小細工しないようにとの伝言があったと聞いています。控訴人らは、人としての誇りというものを持ち合わせていないのではないでしょうか? 当然のことながら、手術前の控訴人は、母を良くして上げようという気持ちから手術に望んだと思います。そこには、決して悪意はなかったはずです。しかしながら、結果としてミス・事故を起こしてしまったのです。その事実を隠蔽し、捻じ曲げ、自らの責任を取ろうとしない控訴人らに、人としての潔さを見せていただきたいと心から思います。  

以上

手術ミス(陳述書)

2年前に地裁に提出した母の手術ミスに関する陳述書です。 

陳述書

平成16年7月9日

1999年3月22日は、私の母にとって待ちに待った初孫の誕生した日でした。しかし、その一ヶ月後、4月23日(金)、母は、帰らぬ人となりました。その初孫は、現在五歳になる私の長女です。私の家内の実家である宮崎都城で生まれた初孫の誕生を、病院の公衆電話から伝えたときの母の喜びは、非常に大きなものでした。その晩、滅多にお酒を飲まない母は、実家で父と弟と一緒にワインで初孫の誕生を祝い、ほのかに酔った母は、再度、祝福の電話をくれました。家内の実家近くに、“気”を使ってマッサージをする評判の方がいたので、当時腰痛を訴えていた母にそのマッサージを受けさせたいという思いと同時に、家内の実家を初訪問させたく、そして何よりも初孫に会わせるために、娘の生まれた一週間後に、私は、母に都城行きを勧めました。博多出身の母は、福岡で祖母に会った後、バスで都城を訪れ、家内の実家に一週間滞在し、マッサージを毎日受けながら、初孫の面倒を楽しそうに看たそうです。都城最後の晩には、別室で寝起きしていた母は、自分の布団を、私の家内や娘の横に自ら移して添い寝をし、夜泣きの際にも面倒を看たということでした。

四月上旬に都城から戻った母は、家内と娘が、ゴールデンウィーク明けに埼玉に帰って来るのを心待ちにしていました。母は、私の家内とも非常に仲がよく、私の家内と娘を必ず羽田空港に迎えに行くねと、嬉しそうに話していたことを思い出します。そして、その後の孫の世話をすることや成長を非常に楽しみにして、絵本や玩具、ビデオ等を買い揃えていました。特に、男ばかり三人の子供を育て上げた母にとって、初孫が女の子であったということも、母の楽しみ、期待を大きくしていました。それまで本当に苦労して三人の息子を成人、自立させ、これから第二の人生を満喫できるというその矢先でした。五十五歳という年齢で、杜撰な手術、過失によって、そしてその過失さえ実感、認識しようとしない医師に命を奪われてしまったのです。さぞ無念だったろうと思います。命を絶たれる前に、初孫を抱くことができたのは、素直に良かったことですが、それが最初で最後になるということは、誰が想像できたでしょうか。本当に、母は、余りにかわいそうです。

母は、私達三兄弟を幼い頃より文武の面から厳しく、時にやさしくサポートしてくれました。具体的には、公文を通じての算術、テニスではコートでの球出しに始まり、試合の応援など、常に陰ながら大きな精神的支えになってくれました。私達三兄弟が大学を無事卒業でき、体育活動において三人とも、それぞれの大学の体育会庭球部で全日本クラスの成績を納めることができたのも、何よりも母のおかげであり、私自身が親となった今、益々このことを強く実感いたします。私は、これから母にとってかわいい孫を母のもとに連れて行き、楽しい時間を過ごさせてあげたい、そうすることによる親孝行も少しはできるかなと思っていました。そして、母に、子育て、教育、躾などいろいろな面でのアドバイスを受けたいと願っていましたが、それも叶わず非常に残念です。この五年間、一日たりとも、そんな母のことを思わない日はありません。

社会活動において、母は、毎週火曜、金曜に、十八年にわたり上述の公文を通して、自分達兄弟のみならず、地域の子供の教育に携わり、また子育てなどについて、保護者とこまめに面談をし、通信を発したりして誠心誠意アドバイスを行ってきました。母は、公文は自分の天職と言っていました。十八年間、母が教えた生徒数は、のべ千人以上になると思われます。生徒達、そしてその保護者達にも、つい三日前までいつもどおり元気に教えてくれていた先生が、突然亡くなったことは、精神的にもかなり大きなダメージを与えてしまったようです。母の葬儀には、母を慕って千人近い人が訪れましたが、中には、母の死をよく理解できていないような小さな子供から、我々と同様に泣きじゃくっている子供まで、多数の生徒達が見受けられました。「先生のおかげで英語が好きになりました。」「勉強を教えてくれて、本当に有り難うございました。」などという寄せ書きが多数送られました。寄せ書きは、母の姉妹から化粧を施され、まるで眠っているかのようなきれいな顔をしている母の横たわる棺の中に入れました。このような母を失うことは、私達身内のみならず、地域社会にとっても大きな損失であったと思います。教育を通して社会に貢献してきた母は、“智鏡寶國大姉”という戒名を頂きました。

母は、腰に痛みを覚えながらも、テニスをすれば痛みが取れるということで、手術の前々日(水曜日)も、いつものように地元のテニスクラブで仲間と一緒にテニスをしていました。そんな元気があった母は、50ccのスクーターでXX病院を訪れ、よくある子宮筋腫で簡単な手術をすれば大丈夫だと言われ、そのまま入院させられました。その晩、福岡の祖母に、「やっと痛みの取れる解決策が分かった。手術で痛みが取れる」と嬉しそうに報告したとのことでした。しかし、翌朝十時半の手術開始から二時間後には、一度心臓が止まりカウンターショックを受け、そのまま手術台の上から離れることなく、夕方四時半ごろ手足を縛られたままの状態で絶命したのです。

私の会社には、午後二時過ぎに、母の容態があまり良くないようだと父から連絡があり、すぐに会社を早退し、雨の降りしきる中、兄と一緒に四時頃病院に着きました。母は、既に、十二時過ぎにはカウンターショックをされていたにも拘らず、医師からは私達に何の報告もなく、四時過ぎに、兄と一緒に、自ら手術室のドアを開けて目にしたのは、母が手術台の上で心臓マッサージをされている光景でした。この瞬間、私は、「ちょっ、ちょっと、何やってんの!」と驚愕の思いで言葉を発し、そして呆然としてしゃがみこみ、手術室の外でしばらく祈りながら待っていました。間もなく、手術室に呼び入れられ、「どうにも心臓が動かない」と告げられました。手術台の上で手足を縛られ、大きく開けられた口に、人工呼吸器の管が挿入されていたために胸だけが空しくゆれていた母の姿は、非常にショッキングで、言いようのない悔しさが体中を駆け巡りました。あの光景は、一生忘れることはないでしょう。あの時、母の体を揺さぶり、頬をひっぱたいてでもして、「起きろ!」となぜ叫ばなかったのか、もしかしたら私の大声が届いて、心臓が再び動き始めたかもしれない、と後悔いたします。

母は、よくある子宮筋腫の簡単な手術であると安心し、それまで訴えていた腰痛が取れると全幅の信頼を置いて手術台の上に上がったに違いありません。ところが、母の手足を縛り、術中激痛を訴えると意識を失わせ、結果として二度も開腹し体を切り刻んだ挙げ句、嵐が吹き荒れるように、手術台の上で命を奪ったという行為、さらには、そんな大手術にもかかわらず、途中現場を離れ外来患者を診ていたという言語道断な行為に対して、微塵も反省の色を示そうとしない誠意に欠ける被告XX医師に対する怒りの気持ちは、どんな言葉でも言い表せません。できるのであれば、業務上過失致死として刑事で訴えたいとすら思っています。

母の亡くなった次の日、兄弟三人でXX医師に事情を聞きに行ったときも、後日XX医師が実家に来て事情を説明したときにも、被告側は、手術開始二時間で心臓が止まり、心臓マッサージをしていた事実、手術全体として麻酔や蘇生ミスがあったことなどには、まったく触れず、事実を隠蔽しようとする態度が見受けられました。上記のような事実は、訴訟を起こした後、知り合いの医師にカルテを読み取ってもらい始めて明らかになったことです。また、母の死亡診断書には、DICによる心不全と書かれています。しかしながら、これは、医師にとって、一番気楽で私達親族に弁明しやすいことが記載されているに過ぎません。そもそも、XX医師は、死亡診断書をご自身の手で、確かに記載されたのでしょうか。それも疑わしいのです。死亡診断書は担当した本人が記載するということは、医学の基本中の基本だそうです。そんな基本的なことに始まり、事前準備の重要性、インフォームド・コンセント、麻酔のかけ方や危険性、蘇生のやり方、DICに対する予防・対処の仕方、医療マネジメント、そして何よりも、尊い人の命を預かっているという職業だという認識のない傲慢な態度など、XX医師には、医学の根本的なところから学びなおして欲しいと思います。そのような謙虚な気持ちがないのであれば、医師という職業を辞していただきたいと強く思います。また、以下のことをXX医師に問いたい思いです。「あなたは、あなたの母親、妻や子供に対して、同じ状況であった場合に、このような杜撰な手術をするのですか?」

裁判官、被告、被告の弁護士の方々、皆さんにも母親がいらっしゃるはずです。 そして、その母親から厳しくとも愛情を沢山受けて育った方であれば、そして特に男子の場合、母親に対する敬慕の気持ちがどれだけあるのかは、皆さんにもおわかりのはずです。皆様ご自身の、母親、奥様、または子供が、こんな風に命を奪われる場面を真剣にご想像ください。または、皆様ご自身が、病院で、簡単な手術と言われ、手術台の上で麻酔をかけられ意識のない状態で、体を二度も切られ、しかも肉親に別れの挨拶もできず死んでいくとしたら、、、、、。    

どんな思いがするでしょうか? 

私は、母が絶命したその手術室を後にするとき、医師の方々に、ありがとうございました、と頭を下げたことを覚えています。それは、「罪を憎んで人を憎まず」という言葉が頭によぎり、被告は誠実な医師なはずだと思ったからです。しかしながら、時がたつにつれ、母がなぜ死んだのか割り切れない思いは膨らむばかりです。本当にどんなことが行われたのか、何が死因なのか、私達が納得できる答えを全く頂いておりません。裁判を以って詳細を明らかにしようとする私達に対して、被告側は、「いたずらに裁判を混乱させようとしている。」などと準備書面に書かれました。その被告側の準備書面の中には、虚偽の報告すらうかがわれます。しかし、いったんついた嘘は、雪達磨式に大きくなり、隠しきれるものではありません。「罪を憎んで人を憎まず」といえども、傲慢な、不正義な心を持つ人が行った、単純なそして重大な取り返しのつかないミスに対しては、その行為者を憎まずにはいられません。そしてそんな被告を、弁護する立場にあるとはいえ、まったくの無実であると主張し、事実を究明しようとする態度を見せない被告の弁護士に対しても、怒りを覚えます。

母の横たわっている手術室で、XX医師に以下のように問うたことを憶えています。「もし手術をしなければ、母は腰痛を訴えながらも、今でも生きているんですよね?」それに対し、医師は、しばし沈黙をおいた後、「そうです。」ときっぱり答えられました。今一度あの日、本当に何が起きたのか、真実を明らかにし、母の死因を究明し、二度とこういう安易な医療ミスが起きないように糾弾したいと思います。

以上

手術ミス

母が、7年前の4月に、手術ミスで他界しました。享年55。子宮筋腫の簡単な手術と言われ、前日まで元気にママさんテニスをしていて、手術前日に50ccのスクーターで病院に行き、翌日手術。 午前10時に、手術室に入った母は、16時半に死を告げられるまで、手術台の上で両手両足を縛られたまま、亡くなりました。

その後、原因を究明すべく、二度と同じような過ちを起こさせないために、病院を相手に裁判を起こし、昨年春に、地裁、そして秋に東京高裁においても、勝訴となりました。 病院側は、最後までその非を認めようとはしませんでした。 

病院側は、
1.筋腫が骨盤に癒着していて、切り離すと血がパァっと出てきた。また、血管を縛っていた”かんし”が外れた。
2.患者は、実は末期がんだった。 転移性のがんで、胃、腎臓あたりが原発。 しかしながら、その結果を出したのは、病院付けの医者一人。
3.末期がんの場合、出血すると血が止まらなくなるDICに陥りやすくなる。
4.末期がんである以上、生きていたとしても5年線損の確率は低い。

我々は、
1.最初にかけた麻酔の量や処置が適切でない。麻酔専門医がいない。 出血がなくとも、麻酔のミスだけで、重篤な状態に陥っていた可能性がある。
2.”かんし”が外れたことにより大量出血をまねいた。 おそらく動脈を切ったのではないか。
3.麻酔と出血があいまって、重篤な状態になった。
4.母は、がんではない。 病院側のレポートは信用できない。

上記のような主張をし、裁判所は私たちの主張を、だいたい認めたのでした。 

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