|
前編に続き、校舎落成まで、私の記憶を辿りたい、と思います。
祝賀会である市職員が「これだけの難産だった校舎建築は無い」と言った。
私も同感であります。
4 工期の延期続き
「簡単に延期です、とは何事だ!」
「延期に伴い、完成が年度を超えたら、教育現場はどうなる!」
「議会の繰越承認(繰越明許手続き)も経ないで勝手なことを言うな!」
「設計、建築請負業者の言いなりで、市役所として何をやっているんだ!」
「必要に応じて、資材の調達、人員の確保に市役所もできることがある」
などなど。声を荒げた
結果、工期は市役所、設計、建築業者の工夫と努力で当初の延期予定よりは短縮となった。
5 三校分離の悲劇
先生の移動のロス、限られた通信手段、部活への支障などなど。
尋常でない分離教育環境に伴う問題が発生した。
冬季間の通学路の特別除雪又は除雪機の配備。防犯灯の緊急設置。
ことごとく排除された。途中、市役所から本来対外的に配布されるべきでない内部決済文書が学校に届いた。「・・・だから出来ない」「・・・だから出来ない」のオンパレード。 しかも典型的な役所文学の代物。 学校職員、私の血圧も相当高くなったこともあった。
緊急事態、臨時避難措置に伴う問題であるが故に配慮が欲しかった。
部分的に解決したが、全面解決とはならず砂を噛む思いであった。
それでも生徒は耐えた。
昨年九月の県議選のこと。
街頭演説をしていた私を見て「あっ及川あつし、だ!」と厨中生が声を上げた。その厨中生は部活がちょうど終わった時で、学校外の施設を間借りしていたのである。 数名の生徒が「僕たちの部活のこともよろしくお願いします」と訴えた。 言葉にならない、思いをした。
6 新年度は如何にすべきか
校長は定年退職予定であった。しかし、この最大の苦難に連日対処していてた。 工期の延長は度重なる要請で圧縮された。しかし、新年度の校舎前面完成は絶望的となり、対処を求められた。
「1.2階までは何とか間に合います。しかし、3.4階はどうしても間に合わない。」
この最終回答にまたまた立ち往生した。
①新年度も当面三校分離か
②仮設プレハブ校舎をいったん建てて、校舎完成後引越しか
結論は三校分離だけは解消したい、との現場の先生方の意見
私は仮設プレハブ案を訴えたが、ウルトラCの案
③1.2階は新年度から供用する。 三階とは間仕切りして、立ち入り不能としてその間に最後の仕上げ工事(塗装工事等)を行い、完成後に残りを引越して、その後に解体、外溝工事を行う。
③のウルトラC案が採用となった。
しかし、私は胆沢町で以前発生した「シックスクール」問題を連想して、簡単には賛成しなかった。 胆沢町の問題は、後日の報告でも実は原因不明でVOC検査?と記憶しているが。基準はクリヤしていたが、頭痛、吐き気を訴える生徒が続出したことから、様々な緊急対策が採られた。
「まさか、厨川中もそうなったら、二重三重の悲劇となる」ことを最後まで懸念した。
その後、大きな問題が発生した、との報告は私には無く、7月に全て完成して引越しが終了。懸念は懸念に終わった。(↓現在の外溝工事、解体現場)
そして、落成式典・祝賀会を迎えた。
校歌斉唱
泣けてきた。「自由と平和の日の本を築かんが為一筋に」が締め。
最高の歌詞です。
退職した最も苦難を乗り越えた校長、転勤した副校長と三次会、四次会と飲んで歌った。 我が学び舎は解体中。寂しいが、一区切りが付いた。
しかし、目を沿岸被災地に向けると、課題は未だに山積している。
内閣改造? やるべきことを兎に角迅速にやってもらいたい。
|
全体表示
[ リスト ]





県議会議員が市議会議員の仕事までするとは
市議会議員は無用の長物ですな
2012/10/11(木) 午前 6:16 [ ヘトヘト ]