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2007年 夏 48才、故郷を離れて30年め。 東京-鹿児島、1500キロ。 20年前。ヤマハの400単気筒で帰っているはずなのだが、記憶は薄れている。 1500キロとはどんなものだんただろう? 今回 取れた休暇は5日間。 8月2日、台風4号が 四国中国を通り、日本海へ向かおうとしてる。 出発は明け3日金曜日早朝予定。 「ツーリング」とは呼べない、ただひたすら高速道路を南下するだけの愚行。 サンデーライダー。週末に地元を ちょこと20キロ。 ちよっとメーターをアゲに1時間 走ってきて、掃除して また来週。 車検ごとに「そんなに乗ってませんね」。と挨拶代わりにいわれて 苦笑い。「そんなに」とは年間に何キロを指していうのかな?。 ヘビーユーザーに対してライトユーザーもしくは、掃除ばかりしてるから クリーニングユーザーかな?。 「駆け抜ける喜び」を知らない私のR-100R mystic。 おもいっきりこの単車で走ってみたい。辿り着くまでの愚行は 生まれた土地をこいつにも見せてやりたい。 前年の8月は白馬でのBMWミーティングに参加した。 近くにテント張った人達に積極的に声掛けて、一人で酔っぱらっては盛り上がり 早々につぶれた顰蹙者。 いつもツーリングに連れ立っていた仲間が九州へ引っ越してから 調子が狂いっぱなしだ。自分の酒のペースさえ掴めなくなってしまった。 腹の底から話せる奴が居なくなった。単車とたき火があれば楽しかった。 目標は「生涯旅人」「職業旅人」だなと笑ってた。 現実はそういかないの知っている 暮らしがあり、仕事があり、ルールがあり、世間体がある、日常がある。 それら全てから解き放されたい時がある。 日常があるから、非日常が楽しいのだろう。 帰る所があるから旅なのだそうだ。放浪とは違う。 8月3日。 気になっていた台風4号は日本海へ抜けた。 前日に予約した神戸・有馬温泉までが1日めの行程。 5時起床、空っぽのガスタンクに満タンに給油し、6時出発となった。 このR100Rは、前の2人のオーナーで8年。手元に来て5年。 スターター、オルタネーターを交換。シート破れで張り替え、バッテリー交換は車検時。 さて、猛暑往復3000キロ、大丈夫か?少し不安、首都高に上る。 この機にと新調したヘルメット・SHOEIマルチテック。視界良好。頭部通風快適。 150キロ地点で休憩、300キロ地点で給油休憩の予定。 予定は予定でしかなかった。 着込み過ぎで暑く眠気がさす。足柄。牧之原。浜名湖。 12:00 名古屋・守山。関ヶ原、雨。SHOEI快適。 雨あがり「ただひたすら走る」。 大津。京都。中国自動車道の文字。本日ここまで西宮北。 「すいません、有馬温泉は?」「?」と看板指され道なり。 六甲の山からヒグラシの声、ふりそそぐ。いい湯だ!明日も走れる。 鹿児島に連絡「明日、たぶん着くヨ」。 8月4日。 くもり、雲が直射日光を遮り、快適な道路族。 山陽自動車道、快適。東名、名神とは違いに車が少ない。 緑多い風景に飽きない。時に海も臨める。「素っ気無く」ないぞ、楽しめる。 SHOEIの頬パットをはずし開放感。身体が軽い。昨日はやはり緊張していた。 そろそろ買うか「もみじまんじゅう」。 どうなるかわからない距離なので鹿児島には連絡なしでの出発。 途中で「帰る」かもしれんし「変える」かもしれん。 時々関東圏のナンバーを見かける。関門海峡。九州上陸。興奮。あと350キロ。 サービスエリアで話したKawasaki1400ccは一日で長崎まで帰ると言っていた。 すごい。そういえば軽装だった。その日のうちに実家に着くわけだから。 博多、交通量が増えてきた。それでも速度を落とすほどの混みではない。 街から田園へと変わり、暑さも増してきた。 大分・佐伯の友へ会いに行くのにはスイッチしなきゃいけないインターが近づく。 青い標識見送りながら今回は直進。いつかまた会いに来たい。 クマモト、眠気、日吉。寒気、霧島いよいよ、、、ふるさと入り。 鹿児島空港を左手に見て南下。勝手しったる我が家。次のカーブも知っている。 夕日が落ちる頃、通りたい道がある。すこし気がセル。 前をいく地元の軽自動車、制限速度どおり、ごめんなさい。お先に失礼。 ドライバーに「東京ナンバー馬鹿者が、急いでる。あんな荷物つんでドコいく?」と鼻で笑われてる事だろう。 「ようこそ、お茶とぽんかんの里、大浦町へ」の看板。 次のカーブで夕日を見たかった。突然開ける海、遅かった。 野間岳。 干拓。 越路、恵比寿島。 左ウィンカー。バス停。右。小さな坂超えて、バス停「榊」。 ばあちゃんのうち、農道。いとこの家が見える、伐採された山、納骨堂。 橋ができてた。 公民館。右、店、左、「目的地周辺です」ナビ付きならそうアナウンスされそう。 庭にバイクを停める。「ダイケ? えっ 帰ってきたが」母の声。30年前の日常。 おやじと焼酎。兄が顔を出し焼酎。 なんで?独りで帰ってきて?奥さん子供たちは元気か?仕事は?いつまでいる? 1500キロかけて帰り着き、おきまりの話題。 もう寝よう。 8月5日 遅めの朝。 納骨堂で線香あげてから、中学校へ。すっかり様子は変わっていたが校舎の並びに面影が残っていた。 あそこが3年D組。あっちが体育館。汗の匂いの剣道部室。弱い剣道部だった。 顧問の先生、厳しかったが授業おもしろくて好きだった。こちらは。 というのも卒業後、剣道部の後輩に話を聞くと、 うちらの世代の部員を独りも覚えていないそうだ。 まあ、そんなもんなのだろう。一方的に先生を信じていたのに、 あっさり記憶にない、その程度だったんだ。 厳しかった「シゴキ」も愛情の表われと思っていたが、 ただの「憂さ晴らし」だったんだ。 今思えば、先生といっても30才前後なわけで、たしか二人の子供もまだ小さく、 転勤でいきなり田舎町にきたわけか。 いろいろ溜まったものもあったのか。たまたま「先生」にでもなったのかな。 当の15才は結構真剣に進路悩んでいたのだが。大半の友達は地元の高校へ。 自分は隣町の高校へと別れた。 思い出は美しいままがいい。真実は知らない方が美しいままでいられる。 T.H.クックの小説の素材にありそう。 こちらの記憶と思い込み、相手からみたら全然違う想い。 思い込みのすれ違いから起こった悲劇。なあああんて。 亀が丘。小学校高学年生の遠足。のぼるのが大変だった。 一気にバイクで登ってみた。 誰と弁当を食べるか、おやつは何をもってきたか。 自由時間、むこうの尾根まで行くか、あいつらは女子とかくれんぼするらしい。 記憶がよみがえる。 海沿いに秋目、坊津。林道へ入ったら津貫へ出た。 竹田神社でお守りを買い涼をとる。 楽しみのラーメンへ。店はあったが世代と味が変わっていた。 当時、盆と正月。出稼ぎから帰って来る親父を加世田まで迎えにいく。 母が新調した靴をはいて。 プラモデル、グローブ。夏はシロクマ。ラーメンを食べて家に着く。 すこし味が違っていた話をしながら今宵も親父殿と焼酎。 明日は早めに起きて、ひたすら北上。 30年前友達3人で夜汽車に乗って上京した距離を。 8月6日 革ジャン、メット。出発。 よく「ビーエムは疲れない」と言われる。 それはない、疲れる。ただ、飽きない。今日も乗れる。 よく「ビーエムは壊れない」と言われる。 それはない、壊れる。ただ、致命傷まではいかない。 壊れた。オドメーターが壊れた。博多あたり。 復路の記憶が薄い。赤穂に泊まる。 8月7日。日常に戻った。
時々思う「ここはどこなんだろう」「なんで東京にいるんだろう」。 |
2007夏 鹿児島
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