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ほとんど休止状態のような当ブログですが。 個人的にはエントリがいじれなくなる8月中旬を目途に移行先を決めて移り出そうと。 でもいまだに迷っている。 いや独自ドメイン取得してのブログ開設は今やってるヒマがないんでとりあえずアメブロに移行しとこうと思ってるのだけど、ブログ内リンクのリンク先把握作業と移行後のリンク全貼り直し作業を思うと、2段階踏んでらんないというトコなんだけど…どうすっかねぇ…。 また日々がしんどくて、リンク先把握作業が遅々として進まない。 一方、ビデオテープの映像のデジタル化作業にも手を付けようというところだ。これが済むと部屋の荷物が結構減ると思われる。来るべき再転居の為に荷物は可能な限り減らしておかないとならない。 …なのにネット通販でいろいろ買っちまってて、荷物は少しずつ増えている有様(汗)。 例えばさぁ… なんと現在、あの名作、出崎統監督版の『宝島』の廉価版DVDが発売真っ最中! 俺はLDボックスで持ってて、LDプレーヤーなんかとーっくの昔に壊れてるんで最後に観たのが90年代という… その後DVDボックスが出たのだけど、ボックスだから高いのと、LDボックス持ってんのにDVDボックス買うのってなんかさ…LDのやつ自分でデジタル化できないかなとか、そんなこんなでDVDボックスは買ってなくて。 だから11年前に当ブログで取り上げた時も記憶で書いたという。 それがだよ、『宝島 COМPLETE DVD BOOK』vol.1〜3の1・2が現在発売中で、先日知った俺は思わず買ったよ! 1には第1話〜9話、2は10〜18話を収録。1枚につき約3時間45分収録! 各¥1501(税込)。ボックス買うより廉価なうえディスクを替える手間が減って&保管スペースも減って万々歳のいいコトづくし。 さらにはキャラクター設定画、スタッフのインタビューなどを掲載した小冊子付き。 19〜26回(最終回)+LDボックス発売時に特典でOVA製作された『夕凪と呼ばれた男』を収録したvol.3は7月18日発売予定で、俺は指折り数えて待ってる状態。 これは皆の衆にもぜひ買って観ていただきたい!
いや、ぴあから菓子折り貰ってないけどさ(発行・発売がぴあ)。 貰ってなくてもお薦めしたい、永遠不滅の傑作であり名作。 今回購入して1〜18話を久々に観たけどさ、やっぱ観応えあるわ。ズッシリくる。 ある意味まどマギみたいなさ…よくある魔法少女モノかと思いきやハードでヘビーなドラマになだれ込んでくみたいな、 出崎版『宝島』も子供向け冒険ものアニメかと思いきや、裏切りや殺人が始まり、子供向けにしてはなかなかハード&ヘビーな展開の中で、男(というより漢)の生き様…というか男女問わず人としてこう在りたい姿がハードにスタイリッシュにセンチメンタルに描かれてゆく―― (子供向けアニメなんでユーモラスさもある。) 男性だけじゃなく女性もヤられるんじゃない? 特にシルバー役の若山弦蔵の声は今でいうところのASМR的にも素晴らしい! シブくてカッコよすぎるだけじゃなく、聴き心地がものすごく良い! ただね、堪え性のない人は1話から観始めて脱落するかもしれない、シルバーが登場するのが6話からとちょっと遅いんだよね。俺的には1〜3話だっけ4話だっけ、で描かれる、初め横柄気味にみえて、少年ジムと緩やかに関わりながら最後は寂しく死んでくビリーボーンズも印象的でいい味なんだけど…。 あれだよなぁ、まどマギも1話とか2話で見るのやめた人も多かったと思うけど、3話からはもう見るのが止まらないみたいな、出崎版『宝島』も6話からは見るのが止まらない。 あまりにカッコよくてシブくて、思わず魅入っちゃうんだよシルバーは。主人公の少年ジムとシルバーの出逢い。ビリーボーンズの恐れていた“1本足”。今度の船旅の料理長の片脚・松葉杖のジョン・シルバー。果たして同一人物なのか!? 路地裏にて シルバー「ここじゃ水も出ねぇ。(オレの)店へ入って話をしようぜ」 しかしビリーボーンズを襲った1人“黒犬”がシルバーの店へ入ってくのを見ていたジムは詰問する。シルバーは何も答えず店へ向かって歩いてく。 ジム「逃げるのかジョン・シルバー!」 しかし店に入ったシルバーは、物凄い低音ヴォイスで(←ココ重要!)「黒犬ってのはどこだい?」 ンもう ゾクゾクする! 子供向けアニメにあるまじき落ち着きと凄みのある声! もうコレ1発で大人の視聴者すら引き込む! この人物もこの作品もタダ者じゃないことが1発でわかる。 この後はしばしコワモテだが人の良いシルバーと少年ジムの触れ合いが微笑ましい回が続く。男は言わずもがな、女性が見てても心地良いだろう。 そんな中でも時折シルバーの凄みは炸裂する。9話、人身売買の人さらいに遭ったジムをシルバーが助ける場面、 シルバー「んー? このお兄さんたちは誰だい?」 ジム「コイツら人さらいの一味だよシルバー!」 ここからの編集(絵コンテ)が素晴らしい! シルバー「へぇ〜」 敵が殴りかかってくるが、松葉杖のカットが一瞬入り、次の瞬間引いたカットになると敵はすでに松葉杖を食らっており、シルバー「そいつはおっかねぇ商売だな」 そして敵はドサッと倒れる。 この緩急! のちの川尻演出にも連なってゆくのではないか!?というこのハード&スタイリッシュなリズム感だが、本作は78年10月放送開始であり、70年代にすでにこういう演出をやっていた出崎監督のセンスに驚かされるし、今見てもこのカッコよさは遜色がない。 この演出は後にシルバーと拮抗する敵となるグレイにおいても炸裂する。 シルバーはジムの少年〜青年期の意識を察してるからなのか、それかコワモテだが面倒見が良いからか、ジムを過保護に扱わず1人の人格ある人間として接しつつ、子供の手に余る状況ではしっかり助けてあげている。 「シルバー、何見てんの?」 「夕陽だよ」 「夕陽? すごいねぇ、真っ赤だ。燃えてるみたい。俺、大好きさ」 「俺も好きだったよ、おめェぐらいの時はな。でも、今はあんまり好きじゃねぇ。派手に人の心を誘いやがるがそれもほんの少しの間だ。すぐに姿を隠して夜になっちまう。あの美しさをやたら信じちゃいけねぇんだ。大人になってからやっとそれがわかったが、それから夕陽は嫌いになった」 「じゃあ、なぜいつまでも眺めてるのさ?」 「わかっていてもよ、それでも野郎は美しい。だから負けねぇようにな、俺の勇気を試しているのさ」 父親のいないジムにとってシルバーはかけがえのないアニキというか父親というか、みたいな存在になってゆく―― ここまでがこの『COМPLETE DVD BOOK』のvol.1であり、 vol.2(=10話〜)からまどマギで魔法少女の秘密が露見した以降の如く大転回、シルバーの正体が実はやはりビリーボーンズの恐れていた1本足だったことが判明、 ジム及びスモーレット船長・リブシー先生ら正規陣営とシルバーが指揮を執る海賊陣営の闘争へ―― これまで温かい人柄を見せてきたシルバーの、シビれる冷酷さ。裏切者の部下を始末する時の「死んでもらうぜ…」のセリフもまた若山弦蔵の迫力ある低音ヴォイスが素晴らしく、昔 留守電の待ち受けメッセージ?に使ってたことがあるのだけど(笑)、帰宅して留守電再生したら、電話かけてきた女性が息を呑んでるのがはっきり録音されていた。そのぐらい凄みのある声なんである。(そしてシルバーはその男へ松葉杖を投げつけ背骨を粉砕して殺害する。) 一方、土壇場で急転直下、正規陣営側につくクールでスタイリッシュな男グレイの、シルバーとは異なるカッコよさ! ジョニー・トーの『ヒーローネバーダイ』のレオン・ライとラウ・チンワンぐらいキャラの異なる2人。 グレイが味方に転じる時、そしてグレイの実力がシルバーに拮抗するレベルであることがわかる時、視聴者の興奮はレッドゾーンに突入する(笑)。 グレイのスタイリッシュな演出なんかモロに川尻演出に影響与えてるんじゃないかと個人的には思ってるのだけど…。どう見ても先駆け。 シルバーの攻勢により射殺されたレッドルースじいさんの死後の、教会のパイプオルガン的な曲をバックにした雲海の空撮カットがグッとくる。杏子の死後の紅い墓地の場面のようにグッとくる。 …今回やたらまどマギを引っ張り出してるのは、まどマギが好き過ぎることもあるが、それと、まどマギが久々に出崎版『宝島』に匹敵するアニメではないかと個人的に強く感じてるから。つまりものすごくドラマティックな作品であると。この点において両作品は双璧といえるのではないか? 片や男の闘争、片や魔法少女モノだが、人間ドラマのドラマティックな描かれ方が、どちらも史上に残る素晴らしさである。 さて、正体を現したシルバーだが、これまでのシルバーが嘘っぱちだったわけではない。単にこれまでジムに対して冷酷さを出す必然性がなかったから、そして闘争には優しさは要らないからであって、ジムの友人だったシルバーも海賊のボスであるシルバーも、本人の中では別に分裂していない。 必然性があるならジムに対しても冷酷さを見せる。命に関わる水を汲みに来たジムの壺を銃撃し粉々に撃ち砕く場面がそれだ。今のシルバーとしては水を汲ませてやるわけにはいかない。正規陣営の生命線を絶たねばならない。そして人生は戦いだと、人は時と場合によっては非情であるべきと、シルバーはジムに経験させる。 しかしジムは子供であるがゆえ、それを包括的に受け入れられない。ジムがシルバーに対して持っていた信頼感は、そのまま憎しみへと転化する。 そんなジムに、シルバーは戦いの外では以前と変わらず接する。 闘争の渦中、ジムはシルバーを射殺できる千載一遇の機会を得る。シルバーはジムの想いを真っ向から受けて撃てばいいと言うが、しかしジムは引き金を引けない。無防備に背中を見せて去っていくシルバー、悔し泣きに咽ぶジム、どうしても割り切れない… (←割り切る必要はない) ここでまたいいのはさ、その一部始終をグレイが手を出さずに見ているんだよね。決裂する前の2人を見てきているから、グレイは無粋な手だしはせず、2人の行く末を見守る。大人の対応。というか人としての対応が素晴らしい。 正規陣営は窮地に陥っているので、ここでグレイがジムがやれないなら俺がと手を下しても、アリっちゃアリなんだよ。それでこの闘争が終わるのだから。皆の命を救えるのだから。 しかしグレイは去っていくシルバーへ凄まじいナイフテクを炸裂させたりはしない。そのまま行かせちゃうんである。動物や昆虫なら自分が生き残ることが全てだが、人間はそうではない。精神性があるから。あくまでこの時はジムとシルバーの関係を優先して、自分はしゃしゃり出ない。 しかしグレイがシルバーと2人きりで1対1で対峙した時、ジムが介在しない時、お互いを止める必然性はない。グレイのスタイリッシュな投げナイフとシルバーの強烈な松葉杖殴打がフルコンタクトで炸裂する! が、それは『COМPLETE DVD BOOK』のvol.3にて。 全員から裏切られ孤立無援になったシルバーが独りで切り抜ける強靭な精神性も、ジム・シルバー・グレイの男気溢れるノーサイドも、そして人生を 自分を 諦めた大人がグッとくるあの感動の最終回もvol.3収録。 7月18日を待ちわびているワタクシでございます。 (しかし今回改めて観てみて、17話は異様な回だなぁ…(笑)。あとやっぱ「♪いつも信じよう 真心を」は沁みるなぁ…(涙)。) |
映像関係
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というわけで、「俺にとっての“先生”のような人」に会うべく、池袋へ赴く。 (最後に池袋に来たのはSAツアー…4thの時か? もうずいぶん前だなぁ…。思い出すと寂しくなりそうになるが… 今やいつでも来れる( ̄ー ̄;)フフン) 会いたかったのは―― 押井守。 『押井守映画祭2019 第三夜』 22:15開場、22:30開演、終映 翌5:05予定。 いや「こっち来てから検索してなかった」と言いつつこのチケットを買ったのは、検索したのではなくたまたまネットのニュースのトピックスで見ちゃったんだよね、押井がトークショーやるって。 知ってしまったら行くっきゃないでしょう! (ましてやゴールデンウィークで仕事も休み) 『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』(『BD』)のエントリで書いた通り、この映画は俺の現実認識に風穴を開けた作品であり、人生最大の危機の頃は『BD』とジョン・ウーの『男たちの挽歌』で乗り越えたといっても過言ではない。(『BD』のプロトタイプ?に『うる星やつら みじめ! 愛とさすらいの母!?』がある) 以後押井の映画を観続けてきた。 テーマ性もさることながら、押井作品は撮り方や編集などのセンスがまた素晴らしい。(だから何度でも繰り返し観れる。) また押井のインタビュー記事や著作を読んで生きてきたが、映画についてだけでなく(映画についてだけでもこんなに論理的に、かつ解かり易く語ってくれる人はちょっと他にいないのではないか?)、ものの見方や考え方…意識についてや、仕事の話における合理性や理屈など、 押井の語る話は生きてくうえで非常に参考になっている。 作品的にも人物的にもクレバー。 だから押井は俺の“先生”なんだよ。 押井にはずっと会ってみたいと思っていたが、なんせ東京から300kmとかある所で暮らしてたんでね、加えて低所得者だし、そうそう来れないわけよ。 仙台に住んでて押井のトークショーが開催されたとか今度やるとかって記事を読むたび、くーっ!と親指噛んでおりましたが(噛んでないが)、遂に生で見れる! あと仙台では押井のマイナーな新作は上映されないのよ…今回レイトショーでやるのは『ガルムウォーズ』 『アヴァロン』 『立喰師列伝』の3本。『立喰師列伝』はDVDでしか観たことがない。『ガルム』はちょうど先ごろ当ブログでも取り上げたんで、書いた本人が言うのもヘンだがあれを基に観直してみたいし、『アヴァロン』は美しい映像でとても映画的なのだが映画館で観たのがもう18年前か?(そんなに経ったか!) これを再び劇場で観れるという至福。 ラインナップにも不足はない。 新文芸坐は地図で見ると池袋駅北口から出るべきなようなのだがタバコ吸いたいんで東口から出て例の喫煙所に直行。(こっちの喫煙所はまだちゃんと健在だ。) …ほんとSAツアーの経験が生きてる。池袋は行き慣れてるわけではないのに表示見て乗り換えから東口=喫煙所まで一直線。 …しかし寒いな! (というか今年の春はなんか天候ヘンだよな?) 外観見て(今後やる映画のチラシやお知らせがたくさん貼ってある)、新文芸坐って映画館だったのか…と初めて知る。名称から、普段舞台とかやってる劇場なのかとなんとなく勝手に思ってた。 中に入ると、てっきり整理番号順に並んでるものかと思ったらなんかカオスな状況で、盛況というかどうなってんのよコレ!?ってカンジだったが、開場時間が近づくと整理番号を呼んでいくから最初の方の番号の人はもうこっちの方に来ててください的なアナウンス。そういうシステムね。 外同様、チラシやお知らせがたくさん貼ってあるのだが、ここ なんかいいねぇ…だって『不思議惑星キン・ザ・ザ』とか(タルコフスキーの)『惑星ソラリス』やるとか出てるんだぜ? 西城秀樹特集とかって『ブロウアップヒデキ』って映画のチラシはウケたね! 今度金子修介のトークショーやるとかさ…映画好きの映画館であり、カルチャー好き?にもヒットな所かも。こういう所は地方にはなかなかない。 客層は男ばっかにきまってると思ってたら、意外にちょこちょこ女性も見受けられる。 小ぶりなスクリーンかと思ってたら結構大きいし、スクリーンの位置が高めなんでどこに座ってもちゃんと観れる。ステージ上にはテーブルとイスが用意されているが、壇上もこれまたよく見える。 スタート10分ぐらい?遅れたらしい。 本物の押井守登場! メディアで見てきたそのまんま。 今本物の押井と同じ時空間にいる、10数メートル手前くらいに本人が居る。 『BD』を初めて観てから30年とか経ってる。生きてるうちに実物に会えてよかった。(「生きてるうちに」ってのは押井のことだけじゃないよ、俺の方もだよ) まず挨拶。押井、着てる黒のジャケットを示し(下はジーンズ・スニーカーだったっけ?)、今日寒いですよねみたいな、だからみなさんレイトショー観終わったらさっさと帰りましょうねとか言う(笑)。 押井と共に登壇した若林という人はある時期以降の押井作品の音響監督やってる人。 なのでまず2人の“馴れ初め”は?と聞かれ、…もう1人の人がライターらしいんだけど進行役として登壇してるのだが、押井はほっといてもよく喋る人だし若林もなぜか場慣れしてるというか、だから進行要らないっちゃ要らないんだよね(苦笑)。(2人に特にストップもかけてなかったし、のちにステージ下からスタッフが時間オーバーしてるって言いに来たしさ・笑) 普通なら2言3言答えて終わる質問だろうが当時の話が続き、延々喋ったところで、で なんだっけ? 馴れ初めだっけ?と(笑)。 それから今日上映する3作品についてのトーク。 『ガルムウォーズ』はデジタルエンジンでの最初の『G.R.М.』頓挫の話とか、パイロットフィルム(だっけ?)だけで8億円使った(!)とか、 再製作で出来上がった本作はインチキで完成していると言い(笑)、IGのプロデューサーの石川がカナダの制度を利して撮ることを提案した話、カナダで作れば製作費が50%出るという話だが、実際は完成しないと出ない。まず開始はどうすんだというところでIGが金出した。IGの上が溜めてた蜜を押井が一気に使ったようなもんで、恨まれてる可能性大みたいな話に笑いが起こる。 本作は外国では70ヵ国とかで上映されたらしいのだが日本ではほとんど上映されなかったと、東京で2館、全国でも10かそこらとのことで、俺は仙台で観た時オリジナル音声版でなく日本語吹替版だったことに不満があったのだが(映画は基本的にオリジナル音声で観るべきという持論があって。あとヘンリクセンは声もいいから)、吹替版のみ上映だろうが上映しただけでも結構希少だったのか。 『アヴァロン』は、もうポーランドの撮影自体が素晴らしいから、誰が撮ったって70%保証されてると(笑)。いやいやしっかり押井の映画になってますよ。 とはいえ押井が言う通り、品格のある映像であるのは間違いなく、たしかにそれはポーランドの(撮影監督のケンジェルスキの)撮影に拠ってはいるのだろう。 あと押井は『ガルムウォーズ』(カナダで撮影)と『アヴァロン』(ポーランドで撮影)の話する時カナダとポーランドをしょっちゅう取り違えてた。で結構若林が訂正してた(苦笑)。 俺記憶力悪い人なんであとなんつってたかな…あまり憶えてないのが残念ですが(苦笑)。 『立喰師列伝』のベネチアで賞を獲りかけたって話は俺初めて聞いた。…と思うんだけど。 日本映画は日本の戦後を描いてたのに、そういう作品がなくなった、どうしたんだ?とあっちのメディアに聞かれると。 で、『立喰師列伝』は表向きは飲食店で会計を踏み倒すことに特化した連中が描かれてるフィクションなのだが、背後に日本戦後史の総括があり、“立喰師”なるものをモチーフにそうしたテーマを描いている。 押井自身による書籍版が面白く、フィクションなのに、民俗学者の犬飼喜一による『不連続線上の系譜』とかさ、そんな人物も本も実在しないんだけど、写真まで添付したりしてもっともらしくデッチ上げてるのが可笑しい(笑)。 映画はそれをCGパタパタアニメ的に映像化してたり(でも実写映画である)、参考資料として自作まで紛れ込んでるのもさらに可笑しい。山寺に何役もやらせたり予算がないので内トラしまくったり(←いじくり方がもうやり過ぎ!・爆笑) 川井の色んな音楽とか、他にも可笑しいところがある。 要は半分リアルで半分架空なのだが、ベネチアで賞を獲りかけたのはドキュメンタリー部門だったそうで(笑)、つまり実話だとカン違いされて。でもあっちが気づいたらしく授与にはならなかったそうだが、あんな神山が北斗神拳みたいにハンバーガー作ってるシーンとか、まるでインド人のような インド人にしか見えぬ それでいて絶対にインド人ではあり得ない 強いて言うなら国籍不明のインド人としか形容しえぬ中辛のサブとか、もう挙げたらキリないけどさ(笑)、後から気づくことかぁ? (そりゃたしかに日本は外人からみるとアメージングだけどさ・笑) 『スカイクロラ』までは劇場公開が当たらなくてもソフト化で回収出来てたが、デジタル配信の時代になっちまって、これからどうすんだ!?という話は印象深かった。 ちょっとねぇ、映画のデジタル配信公開というものについては俺言いたいことあんだけどさ…まぁそのうちそういうエントリ書くかも。 半分冗談半分本気な感の押井の監督料上げるしかない発言も、あながち笑えない話なんだよ。 23:48トークショー終了。時間オーバーしたそうだ。ヨシ(笑)。 休憩を挟み、レイトショーが始まる―― 『ガルムウォーズ』 結構時々寝落ち(苦笑)。(っつーかトークショーの時 右隣りの席の奴が非常識な鬱陶しい奴で、右手を顔に当てて右側を完全にシャットアウトして見てたから疲れたんだよ… →だからレイトショーは席替えた) まぁ2ヶ月ぐらい前に観ちゃってたし、個人的には押井作品の中ではそれほど好きって作品でもないんだよね…。 …あぁ、ただねぇ、“これもうどっちかっつーとアニメーションだなぁ”とは改めて強く思った。前書いたけどさ、さらに強く思った。質感とか重量感に欠けるんだよ…。 『アヴァロン』 オープニングクレジットで鳴り渡る川井のスコア。本作のスコアは軒並み素晴らしいのだが、この勇壮な『Log off』が劇場で鳴り渡るのを聴けるのが素晴らしい。 改めてなかなかいい映画だと思った。やっぱ映像と音が素晴らしい。まったく寝なかった。 クライマックス?のツィタデル登場〜ロケット砲発射の時、観てる自分の足のあたりに波動がガンガン来て空気が振動してスゴかった! マジか、って思ったもの。4Dじゃないんだからさ(笑)。 各上映休憩を挟むのだが、物販がこの休憩時でラストとアナウンスされ、今回のイベントのポスターを買った。¥1080は高いと思ったけど、今日の記念に買っときたかった。 あとトークショーの時 動画撮ってた人がいるようですが動画は個人で楽しんでネットにはアップしないでくださいという旨のアナウンスがこの時だったか別の時か流れ、(写真・動画問わず)撮ってよかったのかよ! くっそー! 記念に撮っときたかった! とすっげぇ悔しかった(苦笑)。それに、だったら撮ってこのエントリ書いてたよ、俺記憶力悪いんだから。 『立喰師列伝』 実際観てて、コレを劇場で観てるってスゴイなと思った(笑)。 なかなかトンデモ映画なんだよコレ。背後にあるテーマ性は真面目なんだけど、描き方がかなりフザけてるっていうか一筋縄じゃいかないバカさ加減っていうか(笑)、 DVDで観てた時はただ面白がって観てたけど、どう言ったらいいのか、劇場でちゃんと上映されて観てるとかなり異様なんだよ。 傑作とかいうのとは全然別な、ちょっとスゴイ映画だよコレは(笑)。劇場で観てその異様さを改めて認識した。 外はもうすっかり朝。 東口の喫煙所直行。8時間ぶりぐらいで一服。 寒い…。 というワケで朝帰りで帰宅だが、明日の朝にはある場所へ発つ。妙に忙しい…移住後、1日中部屋でまったり休んで過ごした日ってあまりないんじゃないかっていう…。
あと帰宅途中からかなり強く思ったことがあって。 まぁそれらの話はSAツアー9thにて。 |

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「あたしって、ほんとバカ…」 …とても可哀想な子だったなァ、『魔法少女まどかマギカ』の美樹さやか。 (製作陣すらそう思ったようで、続編では前作を糧に懐の広さとカッコよさのあるコに生まれ変わっておりますv(≧▽≦)v いえぇぇぇぇいっ♪) 一般人は役と演じた本人を同一視してしまうところがあったりするが(ましてやまどマギはドラマ性が高いのでなおさら)、当たり前だが演じているんであって、 さやかを演じた喜多村英梨(=キタエリ)はさやかの愚直とか不器用な感じとは印象がかなり異なる人物である(最初の方の明るくておちゃらけてるさやかはキタエリ本人に結構近しい・笑)。 若手の頃は渋谷系ギャルなファッションで秋葉原を闊歩する女子。その後はゴシック?な(あるいは『女囚さそり』の梶芽衣子みたいな)ファッションと派手なメイクの女で、見た目キャバ嬢などとも言われる(苦笑)。 「声優としての技術は養成所でなくモノマネで磨き、現場(実践)で洗練した。 (中略) その幅は極めて広く、小学生から主任看護士まであらゆる役を演じ分ける。」(アンサイクロペディアより) まどマギのイベント(1度目の、これから『始まりの物語』&『永遠の物語』が作られるって時期のやつ)で新作に期待することは?と聞かれ、 喜多村「そーっスねー、やっぱり恋愛要素とかさやかちゃんには要らないんじゃないスかね」 会場「(爆笑)」 喜多村「男が彼女を駄目にした…(以下口ごもる) まぁでもソウルジェムが濁ることも1つのアイデンティティだと思ってるので」 共演者「(笑)」 さやかが始終敵視し続けるほむらだが、ほむらを演じる斎藤千和は実はキタエリが新人の頃からの古い知り合い。 そして斎藤はほむらとはまるで異なりオフサイド(作品中の演技ではなくラジオなどでのトーク)ではハッキリ言ってうるさい(苦笑)。またほむらは低音で演ってたが本人は声が高い。まどマギのイベントではしとやかだったが、作品や役のイメージを壊さないようにその作品のイベントではその作品でのテイストでいくという考えだそうで、だから実際の本人はあの時の「今日お天気よくて良かったですね〜」とは大違い。 その斎藤のラジオにマシンガントークのキタエリがゲスト出演したもんだから(『かってに改蔵ラジオしてもいいぜ』第4・5・11回)、トークがうるさい! 前回のゲストの櫻井孝宏が下ネタ連発して帰ってったという話から 斎藤「言っとくよ、私別に下ネタ好きじゃないっつーか嫌いだからね! なんかしんないけどココではアリみたいになってるけど、チン〇チン〇言わされてるけど!(笑)」 喜多村「私も千和ちゃんにだったらいっぱい言えるよ、(スゴイ力強く→)チン〇!!!」 前回の櫻井とのトークが面白かったというリスナーからのメールに 喜多村「大丈夫かなぁ みんな何を求めてるんだろう私に。やっぱりチン〇!って言った方がいいのかな」 斎藤「もういっぱい言ってっから(苦笑) 今日何回言ったぁ?ちょっとぉ!」 劇中では親友だったのにやがて三角関係っぽくなる(あげく最終的にはさやかは死亡する)仁美役の新谷良子とも古い知り合い、かつキタエリは新谷を敬愛している(新人の時優しくしてもらったから。新谷は実際いい人らしいね? ←なのにまどマギでは視聴者から仁美が嫌われ、連動して演じた新谷まで嫌われたらしく、気の毒である。だからさ、演じてるんだって! 同一視しちゃダメだよ)。 新谷とは腐女子トークで大盛り上がり(『新谷良子と喜多村英梨のラジオ腐りかけ』第53回)。 喜多村「あたしショタ好き(=少年愛好家)ってずっと言ってるんスけど、ただのショタじゃもうダメで――」 新谷「ただのショタじゃもうダメ(笑)」 喜多村「――もう慣れちゃって、もう一歩欲しいなって思うのは、そのショタに絶対悲しいトラウマか過去がないとダメもう。愛せない。で、なんか心閉ざしてるのに無口なんだけどたまにいじくると純粋な時のショタが出てくるみたいな、(子供っぽい言い方で)「うっせーバーカ!」とかついつい言っちゃうみたいな、(クールな男の子声で)「今のはなんでもない」」 新谷「(爆笑) 逆にさ普段超元気なのにさ ふとした瞬間にちょっと大人びたこと言うとか――」 喜多村「あーもう掘り下げたいっスね! アナザーストーリー分岐点」 別作品の番宣で共演者の“私の好きな四字熟語”という問題に「喜怒哀楽」と答えたキタエリだが、正解は「焼肉定食」でェす♪ときて、に対して「バカにしてんじゃねェぞ!」と絶叫するキタエリ(笑)。(「ロクでなし魔術講師と特別講義スペシャルプログラム」特番) 自分が喋ってる時に茅原実里がスナックかなんかの袋を開ける音が盛大に被ってトークをかき消されて 喜多村「ガサガサうっさい!」(『みなみけのみなきけ 第29回』) ある意味名物、吉田アナの変態音響監督コーナーで、“19歳でパン屋でバイト中 同棲してる彼氏が店に来た時”のセリフを言わされ、もうすぐ終わるからちょっと待ってて♪などと言い終えた次の瞬間絶叫 「うぜェ!」 番宣で出演者4人、3人まで自己紹介終え4人目の日笠陽子が喋り出そうとした瞬間 喜多村「はい、じゃ以上の3人で――」 日笠「待ちなさいよ!」 喜多村「お前は誰だ」 日笠「私はペストマスク役の日笠――」 喜多村(遮って)「ウソをつくんじゃねェよココ(胸)の名札はどうなってるんだい?(皆自分の役名の書かれたネームプレートを付けてるのだが、日笠のは「ペスト」と書かれている)」(「ガイコツ書店員 本田さん」女子会!骨抜きトーク) (ちなみにこの時のキタエリの日笠イジリがかなり酷い(苦笑)のだが、2人は友人。) 歯医者で親不知を抜いてきた直後の収録で「痛い。さっき、なう。動脈がどくどくしてる。反応してないぐらい痛いね」と言う喜多村の耳元で今井麻美「もっとアタシを感じて」 喜多村「うるさい(苦笑)」 スタッフ「(爆笑)」(今井麻美のSSG 第146回予告 アートリーベイン) 豊崎愛生がかつて経験した心霊体験話をしてる最中にスタジオに異音が発生し、 豊崎「ひゃあぁ!」 喜多村「うおぉ!?」 豊崎「なに今の!?」 喜多村「すげェ。今ノイズ? どっち? …はい続けましょう」 豊崎「…その部屋を出てねロビーで寝たのね、したら次の日… えっキタエリどこ見てんの!?(驚)」 喜多村「大丈夫だよ大丈夫だよ(笑) それで?」 豊崎「どこ見てたの今!?(怖)」 喜多村「なんでもないよ。 話しきろう! 中途半端に話すと余計危ないぞ」 話し終えた豊崎「…キタエリどこ見てたのさっき?」 19歳でラジオにゲストで出た時(ASP 2006.11.11放送回)、生放送は初めてですと言いながら既にМCの鷲崎健を圧しまくってマシンガントークを繰り広げている(あのよく喋る鷲崎が珍しく聞き役にまわっている・笑)。 鷲崎(ともう1人МC、浅野真澄)は事前にキタエリに記入させたアンケートを元に話を進めようとするのだが 喜多村「なんか結構オタ寄りな質問が多かったんで、売られたケンカは買うしかねェみたいな」 (←今現在と話しぶりがまるで同じ(笑)。時期的には初主演作『BLOOD+』のちょっと後) 1つ目の質問で ある事について3つ挙げるという、その3つの中の1つ目の時点で延々マシンガントークで、МCがあとの2つ聞く時間的余裕がなくなる(笑)。 浅野「別の質問、理想の男性3要素は?」 喜多村「あのー (一般的な答えかオタ寄りな答えか)迷ったんですよ、コレ誘ってんじゃねェか?」 (キタエリは3次元より2次元が大好き) 鷲崎&浅野「(笑)」 自分の好みをノンストップで話し続ける(話の端々で出る例えや言い回しが可笑しい。さらにここで既にショタ好きであることを明言している)キタエリの脇で鷲崎が「彼女は『BLOOD+』のヒロインなんですよ」とリスナーに向かって言う&キタエリに自制をさりげなく求めるがキタエリは(わかってて)お構いなしで喋り続ける(笑)。 鷲崎「あのねこのコね何がスゴイって割と美人なの(笑) それがね、(なのにトークが)面白い(笑)」 次のゲストの新谷良子がキタエリとは2人で遊んだこともあると言うと、喜多村「そうなんですよ良子とオレはまぁそういう感じみたいな」と相変わらずのノリ。 新谷さんの理想のキスのやり方は?という問題に、 鷲崎「(背の高い相手へ)つま先立ちで、自分がこう下から、っていうタイプ」 喜多村「ムリヤリ」 全員「(爆笑)」 鷲崎「このコ なんか口に詰めとけ」 正解は鷲崎となるが、喜多村「違う違う違う今のは、マニュアル通りだッ」(←ンなものはアイドル的な答えであって本音じゃねェだろみたいな・笑) フザけたトーク・荒っぽいトークのみならず、仕事の話…演技の話とかもだし、CDのプロモーションとして取材受けたりラジオとかにゲスト出演した時はコンセプトとか自分の考えとか音楽性とかガッツリ語る。(フザけた話でも真面目な話でも同量・同ペース喋る・笑) すごく考えて仕事をしているのがよくわかる。オンとオフ。実は真面目。あと頭の回転が速い。 表面的にだけ見てると乱暴とか雑な人に見えるが(苦笑)、実際のところはかなりクレバーな人物と見受けられる。 斎藤千和いわく「このコ実は結構真面目だから(笑)」 あとこれも素の喜多村が垣間見えて印象深いのだが「喜多村、お前善行、ある?」という安元洋貴の質問に 喜多村「アタシあると思う?」 安元「いや本当はあると思うよ。本当のお前はあると思うよ。スタジオから出て下を向いて歩いてるお前はあると思う」 喜多村「(爆笑) やめてーっ営業妨害やめてー」 安元「猫背で下を向きながらこうトボトボ歩いてるお前は善行を積んでると思うよ(笑)」 一見荒っぽいトークの合間合間に人の良さが滲み出る。トークイベントで日笠と手がぶつかった時「痛い」と言った日笠に対しオフマイクで素で「ごめんごめん」と言った次の瞬間オンマイクで「わざとだよ」と言う(笑)。(カプコンサマージャム モンハンラジオ〜カプコン放送局〜公開収録) ただ二番手を演じたプリキュアの時は主役の沖から後年「最初私…実は英梨ちゃんが凄く苦手だったの!」と言われ、 喜多村「えっそうなの! ごめんよ!」 沖「結構しっかり指摘してくれる所が、当時はなんか「あっ叱られてる!」と思っちゃって(笑)」 喜多村「あの時の私は殴ってやらないとね。「ピリピリしすぎだよ」って(笑)」(6年ぶりだから話せるカミングアウトも!? チームワーク抜群の『フレッシュプリキュア!』BD-BOX発売記念インタビュー|SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス) 日笠はキタエリをバイオレントと言ったが(前述のカプコン公開収録)、あの原田ひとみもキタエリには容易に手を出せなかったようで、その理由が「触ったら殴られそう」(『原田ひとみと喜多村英梨のにゅうにゅうラジオ』第1回) イベント『クロスアンジュ 天使と竜の祭』の1コーナー「ペロリーナがころんだ!」では田村ゆかり(田村もやさぐれ度高い&田村はキタエリより一世代以上年上。田村は40代の現在もアイドル路線を行き続ける驚愕の女で(俺はこの手の人は以前から興味深く行く末を見続けている)、特にラジオでのフリートークのやさぐれ感・雑っぷりが可笑しく、機会があったら取り上げたい1人である)とキタエリが同じステージ上にあがり、興味津々で見ていると、これが面白い! ステージ上に10人も女性声優がいる(水樹奈々もいる)中で突出して悪ノリぶりを発揮する田村とキタエリ! だるまさんがころんだ形式のゲームなのだが、動いちゃいけない時にМCの鷲崎の背後でルール無視で動きまくり、ゲームの勝敗的にも目立ちっぷりでも2人の対決になってゆく。 キタエリが次もう台車上のベル鳴らして勝負を決めるという時、台車を蹴っ飛ばす田村の暴挙に驚愕&爆笑!(俺はこの時の2人の表情にも注視!) さすが田村、キタエリを上回る暴力性を発揮する女性声優はちょっと見たことない。この後水樹にバックに付かれたキタエリ(後ろが見えないので)「今、ゆかりの体がオレの体に触れている…」 鷲崎「ゆかりじゃない奈々の体です」 キタエリ(モニターで見たか)「違う! 奈々の体だ! ラッキー♪」 (俺「水樹もっとキタエリに腰を圧しつけろ!」←♀×♀大好き・笑) この時田村が微笑んでるのもイイ^^ 『キタエリの魅力 2』に続く。
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まず本作はミャンマーのニュース映像から始まる。 最初からこれが現実だと敢然と宣言して映画はスタートする。 社会からはじかれ、政治的に利用もされ、かつて激戦を繰り返した人間兵器ランボー(元グリーンベレー)は怒りから諦観を経て、世捨て人になりタイでひっそりと暮らしている。 そこへミャンマーで軍事政権に迫害されている少数民族(の、キリスト教徒の多いカレン族)に医薬品や本を届けようとしているアメリカ人のキリスト教系ボランティア団体から現地へボートで送ってくれと依頼されるが、 まずランボーの答えはノーであり、それでも食い下がられると武器の支援はしないのかと聞き、そんなものは持ってかないと聞くと、なら意味ないと言う。 しかしサラの人を助けることは意味なくはないという言葉、…現実をわかってないが、荒んだランボーの琴線に触れ、ランボーは引き受ける。 その道中 海賊に襲われ、ランボーは激殺する。まさに激殺、2秒かそこらで全員射殺! その事態に団体のリーダーでサラの婚約者でもあるマイケルは激昂。ランボーは「彼女は何度も犯され貴様の首は飛んでたぞ」と言うが、マイケルは暴力的・非人道的であると、帰国したら君の件は報告すると言う。 そんな、動物が可哀想だからベジタリアンになりましょう的なヌル過ぎな現実認識の一団だが、ランボーと別れた後、彼らは本物の現実を知る。 (人間は文明によって自然界の弱肉強食から外れることに成功したような生活圏を実現したが、それは一瞬で崩れる脆い基盤のうえに成立していることは先進国でも震災の経験者などならわかっているはず(それでもわかってない奴が多いんだけどさ)。実際のところは人間も自然界のシステムから外れることは所詮出来ない。その認識が無い奴は、無知か横柄であるにすぎない。) カレン族の村に着いた一団は物資をあげて、診察し、聖書を読み聞かせている。 そこへ軍隊が急襲。 一団は、彼らにとっては信じ難い、ランボーにとってはお馴染みの現実に直面する。 銃撃! 爆発! 殺戮! レイプ! 生きたまま火に投げ込まれる子供! ジェノサイドの嵐! 武器のない村人は蹂躙されるがまま。 一団の中で死ななかった者は軍に拉致される。 ランボーが武器を供給しないなら助けにならないとした意味。 ここでは人心も宗教も一切通用しない。むろん法律も無い。 これが現実。ここではマイケルの言っていた暴力的だの非人道的だの帰国したら報告するだのは戯言にすぎない。マイケルの言う事は社会的であり、だから社会的でない場所では一切通用しない。 マイケルは医薬品や本を届けることで村人の暮らしを変えられると言っていたが、対してランボーは武器の支援をしないなら何も変わらないと言った。 ランボーが言っているのは根本的解決なんである。日々起こっている殺戮の被害者たちに細々と援助するのではなく、そもそも元凶を潰せ、と。 我々だって会社で鬱でメンタルクリニック通院するとか過労死するなら、とっととそんな会社は辞めろって話でさ。そもそもの原因を取り除かなきゃ根本的に解決しない。 後日、一団の末路と、救出の為 傭兵を送り込むと聞かされ、案内を依頼されるランボー。 それ見たことかといったところだが…あの女を見捨てられない。また、 (コメンタリーより)スタローン「根本的な価値観の違いがある。 (中略) だが このまま別れる気はない。彼はもう何年も感情を抱いていない。その人間らしい接点をこのままやり過ごそうとは思っていない」(だからラストで実家に帰るわけだ) 傭兵たちは(1人を省いて)金の為にやっている。まぁ傭兵だし。 リーダー格のルイスはバカどもが仕事増やしやがって! と言いつつ、それに乗っかっているのもまたオマエだろうといったところなのだが。 ルイスも戦場経験者で現実を知っているとは言えるのだが、あまりに単純な現実主義すぎて、なんというか、拉致された一団と正反対でありながら、ものの考え方が偏ってるという点においては共通してるというか…。 ランボーは両者の中間にある。経験から現実主義でありながら、心の片隅にはひとかけらの人間らしさがまだ残っている。 現地に接岸すると、ルイスは一緒に来ようとするランボーをボート屋はボートの番してろと寄せ付けない。 彼らはまだランボーの正体を知らない――。 破壊された村の跡に着く傭兵たち。 そこへ軍が捕えた人々を連れて現れ虐殺を展開し始めようとするが、傭兵たちは銃器を持ってるが手が出せない。援軍を呼び寄せてしまうからだ。救出作戦をやりに来たんであって(生きて帰って報酬を得るんであって)、戦争をしに来たわけではない。 しかしランボーが現れ、敵を1人で虐殺! 弓矢で頭を貫き、地雷で粉々に四散する。ミャンマー軍に引けを取らないバイオレントっぷり! 傭兵たちにとってはオマエは一体何者だ!? & なんてことしてくれちゃってんだ! ってとこだが、 引き返すと言うルイスに弓矢を突きつけるランボー。 ランボー「こんな所に望んで居る奴などいない。だが俺たちのような男の仕事はここにある。無駄に生きるか、何かのために死ぬか、お前が決めろ」 現実主義と理想主義の狭間で、どちらか一方ではなく… 現実をわきまえながら、人心も失わない。 救出作戦が再開する――。 クライマックス、ランボーを引き金に激戦が展開してゆく。 ランボーは斬首からの重機関銃でミャンマー軍の兵士を殺戮してゆく。というか破壊してゆく。それはもう粉々に。単なる射殺ではなく、人体が破壊されてゆく。肉塊と化す。ミャンマー軍に匹敵する暴虐ぶり。 目には目を、歯には歯を。毒には毒を。 ランボーは生き地獄に降臨した戦いの神のようだ。しかし彼は神ではない。心身ともに散々傷ついてきた1個人であり、今また片腕を撃ち抜かれてフゥーア!(`Д´)と痛みの叫びをあげる生身の人間である。 現場のミャンマー軍1個中隊くらいか?を殲滅し、そのリーダーの腹をランボーがザックリ切り裂き殺害し、とりあえず状況は終息する。 このクライマックスの中で、無下に殺される同僚を見たマイケルは自分を守る(生き抜く)ため敵を石で撲殺する場面がある。 マイケルの姿勢が変化すること、またさらにそれを銃でなく素手でやらせたことに意義がある。(その手にかけた、自分でやった感が強い。直截的。) ランボーのやり方は平たく言えば“やられたらやり返せ”である。 自分(あるいは自分たち)を、戦って守る。 それは迫害されている民族からイジメで自殺を選ぶ人まで、規模の大小を問わない。 泣き寝入りはしない。ましてや右の頬をぶたれたら左を差し出したりはしない。話し合いが通用しない相手には話し合いなどしない。暴力に対するは暴力。それも同等の暴力。 生き残るには勝て。降りかかる火の粉は己で振り払え。戦いには覚悟が要る=人生を生きていくには覚悟が要る。お題目だけでは生きてはいけない。ましてや自分のケツを自分で拭けないような奴はおとなしく引っ込んでろ。 ランボーのやり方というか、スタローンの思想性。ランボーシリーズだけでなく、よく出てる一例として『コブラ』なんかもある。 『ランボー4』ではとにかく理屈や法律や良心や宗教や社会常識などといったものが一切通用しない非情な現実、“人間は簡単に死ぬ” “死んだらただの肉塊である”といった生々しい非情な描写、その中で敵を情け容赦なく断固として撃滅・排除してゆく。 “立ち塞がるものあらば、これを撃て” 本作はスタローンが監督・脚本・主演なわけだが、ミャンマーが舞台になったのは製作当時のリサーチで決めたもののようだが、無理解なアメリカ人、ベトナム、ソ連に代わる敵としてミャンマーの軍事政権を据えたと、これは敵として妥当なわけだが、それだけでなく、 人の命は等しく重いなどということはない。軽い命と重い命は確実にある。ロクでもない奴とまともな人とがいる。 そしてロクでもない奴には人心も理屈も無い。 死刑反対派だった弁護士が自分の家族が殺されたら犯人を死刑にしろと手のひら返したなんて話もある。実体験があるのとないのとでは考え方はまるで変わる。 物語のきっかけになるのがなぜキリスト教系の団体なのか? マイケルというキャラクターの意味、サラというキャラクターの意味、そこへランボーを絡ませる意味。 キリスト教の人間が多いアメリカなのに、アメリカ人のスタローンがハリウッド映画で、キリスト教で人は救われやしないとやってるのだから気骨がある(苦笑)。まぁキリスト教でというよりか「宗教で」ということだろうけど、でもキリスト教系の団体ということで描いてる。 ところでスタローンって宗教何よ?と思ったら、これがキリスト教だったりする。そういえばロッキーシリーズにはクリスチャンであることが色濃く出ている。 ところがランボーはどうだ(笑)。 …スタローンはバランスのとれた人なのではないだろうか? 神主義と人間主義と両方を持ち合わせていることがうかがえるのだが。 それは本作の劇中のランボーが現実主義でありながらサラの思いにも理解を示したように。 だからただの暴力的な男とか一元的な人物ではないんである。 …というわけで『ランボー4』はただの勧善懲悪なヒーローものでもなければ、見世物としてのみのバイオレンスアクション映画でもない。
なかなか興味深いテーマ性を孕んでいる、ヘビー級の映画である。 そして本作から目を逸らすことは、欺瞞の平和に浸って、我々と実は並存している凄惨な現実をモニターの向こう側へ押しやる行為だ。 わかっていて享受しているならまだしも、見たくないから見ない、ましてやそもそも知らないなどといった姿勢は愚か者だ。 昔の日本はメディアのニュースに死体の写真が出てたりもしたが、現在は出ない。外国の紛争のニュース含めメディアから死の要素を一切消し去ろうとする民意とやらは間違いなく病的である。とにかく異様に死を忌避している。だからこの国は延命治療が盛んで、最早動けないのに生命活動だけは維持し続けている(あるいは維持し続けさせられている)老人が溢れるという病的状況である。 バブル期ちょい前あたりから?シャレたライフスタイルに現を抜かすようになり、バブルがはじけた後もその延長線上に生きている日本ではメディアでの過激な表現は許されなくなり、今やちょっとしたことでもいちいち批判にさらされ(見当違いの正義感な奴のまぁ多いこと)、民主主義の不正義によって生々しい現実には蓋がされ、そんな世の中で育つ子供は現実を知らない大人に育つ。 ニュースで死体を見せるなと言っているような輩は何様のつもりだ? 何者でもないくせに。 アメリカでもメディアはいろいろ規制があるようだけど。 しかしスタローンには通用しない。スタローンは“モニターの向こう側”をリアルに描いた。 当ブログでは散々言ってるが映画とは脚本ではなく映像と音響が本領であり、『ランボー4』を映画館で観ることはミャンマーの生き地獄を疑似体感することだった。 本作は音響もかなりキテるんで、DVDorBDであってもデカい画面と重低音の効いたスピーカーorヘッドホンで鑑賞すれば、今でもかなり強烈な地獄体感はできるだろう。(『ランボー4』は『Uボート』や『悪魔のいけにえ』などに近い種類の映画なんである。) こういう作品を観ることも大事。別に実際に紛争地帯に行って見る、そこまでする必要はない。しかし知ってはおくべきだ。こういう現実もあるのだと。 …あと時折雄大な風景カットが挟まれる。これは人間たちの殺戮のドラマと大きな差を認識させ、人間が意識する現実と自然界の現実は別物であることを如実に物語る。こういうのもテレビドラマではやれない、映画のアドバンテージ。 |

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押井守の『ガルムウォーズ』のオリジナル音声のやつ(英語版)の字幕なしのやつを観ていた。手元にあるのがそれしかなくてさ。 でも最後まで問題なく観れる。やっぱ映画は脚本じゃなく映像(と音)だよ。映像(と音)が良い映画は字幕なしでも観てられる。 ところが『ガルムウォーズ』は評判がよろしくないようで。中でも世界観ばっか説明して物語がないも同然でクソ映画とかいう感想の奴がいて、すげェムカムカしたんだよ。コイツ何言ってんだと。コイツは映画を観る時 一体どこを観てるんだと。 映画はテレビドラマとは違うからね。ここが解かってない奴がすごく多い。物語見たいんだったらテレビドラマ見てろって。 映画とテレビドラマは実際問題別物なんで、見方が違う。映画を観るには映画を観る感性とか教養ってもんが要るんだよ。 絵画もそうで、絵画には絵画を見る感性や教養が要る。マンガ好きが美術館で絵画見たってつまんねェだろ。見方が違うんだよ。同じ「絵」という表現方法だから同じ見方ができるかっつったら、できないだろ? 別物なんだよ。 マンガは絵がどうだこうだ言ったところで結局みんなお話で読んでいる。 『ブラム』はお話ではなく風景や世界観だけでほぼみせてくマンガだが、同じ弐瓶作品でも人気あるのはお話やキャラクターに寄っている『シドニア』とかの方なわけだろう? そして『ブラム』が映画化されると、製作陣は原作ではホントわずかな ある村落でのエピソードを極大映画化。 アレ、売る為に泣く泣く物語主導にしたのではなく作った連中も物語主義に毒されてるんだと思うよ。人物やお話に立脚しないとどう映画化したらいいか皆目わからなかったんだろう。 なぜ映画とテレビドラマは違うものだって分別が出来てないかって、映画が物語主導だった時代が実際あるからね。 元々はそうではなかったんだけど。これまでに何度も話してきてる映画の歴史というか経緯の話。最初は機関車がこっち(カメラ・スクリーン)に向かって走ってくる映像で観客が驚いて逃げ出した。そういうのがやがて飽きられて物語というものが導入された。 しかしテレビが各家庭に普及しテレビドラマというものが定着し物語をタダで見れるようになると、わざわざ出かけて高い金払って物語を見にいく必要はなくなる。 テレビドラマになくて映画にあるものはデカいスクリーン(デカさだけでなく映像の質もテレビとは違う)と迫力の音響なんだから、そこで物語主導の映画は廃れて先祖返りして映画は映像主義になるかと思いきや、これが意外なことになってないんだな。これが俺には本当に解せないことでさ。 映画はその上映条件からいって体感するものである。一種のアミューズメントなわけよ。遊園地とプラネタリウムの中間みたいなもんよ。遊園地ほど体感度高くはないが(といっても4D上映は遊園地ノリにかなり近い)、プラネタリウムほど静かな鑑賞形態のものでもない。 テレビドラマが2次元で現実が3次元なら、映画は2.3次元くらい、4Dは2.5次元くらい、VRは2.7次元くらい、アヴァロンが2.999999…といったところか。 …そういう事なんだよ、映画とテレビドラマの違いというのは。 物語「も」良ければそれに越したことはないが、物語「が」映画の本質では断じてない。 物語は映画において付属物に過ぎない。あるいは映画を構成するパーツの1つに過ぎない。 歌の聴き方と一緒。歌も音楽である以上、まず大事なのはメロディとアレンジであって、歌詞を最重要視するのは見当違いも甚だしい。歌詞が一番大事だと思い違いしてるなら詩集や小説でも読んでろ。なんのための音楽だ。まずは音だろ。 音楽における歌詞問題と映画におけるストーリー問題は非常によく似ている。 映画を観る能力、それは映像を堪能する感性というかな。美しいものや凄いものを鑑賞・堪能する感性。 映画の本質を押さえてる『ブレードランナー』って映画があるけど、あれはストーリーで観てたらつまんねェよ。でも映像的には物凄い。どの場面も静止画キャプって美術館に飾れるぐらい素晴らしい画。 でもそれだけだったら写真という手法でも表現できる。 『ブレードランナー』で描かれる街は架空の未来都市でありながら本当に実在してるかのようなリアルさがある。その街にホントに行って撮影してきたかのようなライブ感がある。観客は自分もあの街を徘徊しているかのような疑似体感を得る。 これが写真やテレビドラマには実現不可能なんだ。映画のアドバンテージなんだよ。 『ガルムウォーズ』は地球ではない他所の星が舞台である。 外国のどっかで撮ってきたスケール感ありまくる風景(荒地みたいなのもカナダで撮ったの?)は我々の日常生活とはかけ離れていて、異世界感を出すのに寄与している。 だからワイドスクリーン(かなり横長のサイズね)で撮ってるのは非常に適していて正解。 感性に欠ける奴は退屈と言う。ストーリー進めろよ、風景なんていいからさ、と。 “映画的観方”を体得してる者は風景に魅入る。この光景の前では人間の営みなどちっぽけだ。物語ってやつこそが陳腐に思える。 価値観が逆転するんだよ、ストーリーで見るのと映像で観るのとでは。 『ブラム』もそう。原作の弐瓶の持ってる遠大な感覚・世界観は凄い。それこそ人間の営みなどちっぽけだ、物語ってやつこそが陳腐に思えるってやつ。 でもアニメ化とか映画化となると製作陣は人間ドラマってやつをやりたがる。 天動説と地動説みたいなもんで、主観でしかものを考えられないと天動説の発想しか出てこない。しかし人間を中心に考えないと地動説の発想が可能になる。 主観や人間中心の世界観がいかに矮小か。 人間ドラマもいいんだよ? でもそれしかないとかそれで当然ってのが盛大なカン違いだってんだよ。 といっても今やハリウッド映画もCGだらけだけどな。押井は日本ではこんなの撮れないからCGを使っているという、つまり表現したい画がまずあって、それを実現する手段としてCGを使っているが、今のハリウッド映画はCGが手段ではなく目的と化してるんじゃない? なんでもかんでもCGで作ってさ。 CGというのは非常に2次元的なんで、実は本来映画とは相性が合わない。だから補完技術として使うならまだいいんだけど、それがメインにきちゃうと“アニメーション”になっちまうんだよ。実写の持つ重量感や質感、空気感、奥行きに欠ける。 でも押井は実写とCGの違和感はあまり気にしてないみたいね? 『イノセンス』の時の2次元アニメ部分と3DCG部分のあまりの差(苦笑)。技術的齟齬でなく、どうもあの人はそもそもその違和感自体を気にしてないっぽい。 これは押井の監督人生の特殊な経緯によるんだと思う。元々映画青年で、学生時代にはフィルムで自主映画も撮って、だけど職業として成り行きで就いたのはアニメの監督であり、アニメやりながらそのうち商業実写映画も撮り、今ではフィルモグラフィーがアニメと実写半々という状態。 当初はアニメに実写のやり方(カメラワークとか編集とかレイアウト重要視とか疑似レンズで描くとか)を混入させてたが、CGには早くから参入し、 …つまり押井にはアニメとか実写の区分けがないっぽい。CGも同列で考えてるらしい。『ガルムウォーズ』の基の『G.R.М.』は「実写・アニメ・特撮・CG…あらゆる映像技術を駆使して作るSFファンタジーアクション」だったわけで。それらはすべて技術に過ぎず、大事なのは自分の実現したいイメージ。 俺は押井ファンだけど、俺の考えでは実写には実写の良さがあり、アニメにはアニメのアドバンテージがある。補完技術としてCGも必要ではある。全部を同時に導入しても構わないけど、CGについてまわる軽さ・薄っぺらさが気になって仕方がない。 でも押井は実写もアニメもCGもすべて並列した結果が全部平面的映像になったとしても、イメージさえ実現できればその辺はどうだっていいよぐらいな感がある。 でさぁ、『ガルムウォーズ』の戦闘シーンってCG臭が濃厚なんだよ俺に言わせれば。テレビゲームのムービーにしか見えない。重量感や質感が足りない。音響でなんとかカバーされてるけど。ここがねぇ、俺的には『ガルムウォーズ』の惜しむらくは…ってとこなんだよ。 でも押井本人は気にしてないわけだ。リアル感がどの程度かってことよりも、自分のイメージがどの程度実現されるか。 そして単純に批判できない要素がもう1つ。 押井は自分自身だったり現実そのものへの懐疑を描き続けてきた。『BD』の夢か現実かとか、『迷宮物件』の自分の正体と現実の実相への懐疑とか、『紅い眼鏡』の最早解読不能に近いぐらいなメタフィクションとか、『パトレイバー2』のモニターのあっち側とこっち側とか、『アヴァロン』の現実と 限りなく現実に近く再現されたゲームとか、『28 1/2』の自分が演出する舞台現場で映画撮ってきて最早現実と虚構の境界線が限りなく曖昧とか…etc. で、『ガルムウォーズ』の実写とCGの違和感を気にしてないっていうのも、ここに係ってる可能性があるんだよ。 夢と現実にいかなる差があるのか、本物ソックリのゲーム世界と現実にいかなる差があるのか、CGと実写にいかなる差があるのか、これ等式なんじゃないのか押井の中では? その為には実写とCGが限りなく馴染んでちゃマズいんじゃないのか。むしろ溝を残すべきという。でないと差分が生じない=これまでの変奏にならない。 実写と差のない非っ常ぉーにリアルなCGだと全てが均一 → 一義的になってしまう、みたいな? 映画は映像が重要なんで、ロケ地やセットやガジェット…プロダクションデザインの見栄えの素晴らしさと、役者も等価である。 とか言うと小難しく聞こえるんでザックリ簡単に言やぁ絵にならない奴は映画俳優には向かないってこと。 テレビドラマは映像にこだわらなくていいんで絵にならない奴でも成立する。でも映画はそういうわけにはいかないんだよ。 非常に分かり易い一例としてシュワルツェネッガー(特にターミネーターや『コマンドー』なんか)は演技力に乏しいがビジュアルインパクトは絶大なんでテレビドラマだと大根、かつテレビ画面から容易にハミ出してしまうが、映画だとすごく活きる。 これは“華がある”とか“スター性がある”ということとは違う話なんだよ。 映画のスクリーンに耐えうる奴かどうか、ということでさ。 『ガルムウォーズ』の主要登場人物は3人。特にランス・ヘンリクセンと若いゴツい男は良い。 ヘンリクセンは有名なのは『エイリアン2』のアンドロイド役だけど、俺的には彼のベストワークは『ハードターゲット』の悪の総帥なんだけど。ツラ構えが凄いんだ。凄みがある。声もいい。 それから20年ぐらいか、時は流れて、『ガルムウォーズ』でのヘンリクセンはもうジイさんなんだけど、かつての凄みを残しつつ、歳相応のシブい落ち着きや穏やかさもあって、観応えがある。 若いゴツい男の方はなんだろねー、イケメンっつーとちょっと違うかなって感じなんだけど、この男も観てて飽きないんだよ。最初に言ったように今回字幕なしで観てたからセリフは何言ってるかはわかんないわけよ、でも観続けられる。 これまでにも時々言ってきてるように俺は百合・レズは大好きだけど男への嗜好は無いわけよ、でもこの役者は顔とか表情とか観ててわりと飽きない。 もう1人の女優は俺的にはイマイチでね。ただ押井の女優のチョイスの基準って毎回だいたい同じじゃないかなって思うのよ。兵頭まこ、スー・イーチン、石村とも子、マウゴジャータ・フォレムニャック、仁乃唯、佐伯日菜子、菊地凛子、黒木メイサ、奥田恵梨華、清野菜名…生活感のない女。(←1人ニューハーフが混ざってますが・笑) 本作の女優もそれに沿ってると思われるし、俺も硬質な女は大好きだけど、ただ単にちょっとルックスが俺の好みじゃないんだよ(苦笑)。 …というわけで、『ガルムウォーズ』は映画として合格点を十二分にクリアしており、本作に対してケチをつけるような輩はもう映画鑑賞はやめなさい、テレビドラマ見てなさいってとこだよ。
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