私は忘れないを読んで

 この話が書かれた当時の高度経済成長時にはヒト・モノ・カネ・情報、そういった豊かさを求め、都会ではそういう動きが進んでいった反面、その流れには乗り切れなかった僻地の対比、そして、万里子というある種華やかな世界の人と、黒島の自然と闘いの中で生きている人たちの対比。今では多くのところで言われるようになってきたが、物量といういわば外的な豊かさと、精神的ないわば内的な豊かさが必ずしもイコールではない。そのことを改めて感じた。

 特に、ある意味では欲すれば大体のものが手に入るような時代に生まれた自分のような世代では、内的な豊かさの不足を外的な豊かさで埋め合わせてきたのかもしれない。何かいろいろ考えさせられた。

この記事に

開く コメント(0)

あ・うんを読んで

 この話は、門倉と水田、そして、水田の妻たみを中心の友情?と恋愛の話である。ここで「友情?」としたのには理由がある。確かに門倉と水田には通じ合うものがあるのだが、門倉の行動の後ろには常にたみの影がちらついているし、水田のほうもそれをわかっていながらというところが感じられ、言い方は悪いが、利用しているようにも思えてしまった。互いに相手の真意をわかりつつもということが友情だと、そういう一面もあるとは思うが、ちょっとひっかかった。

 たみもその2人の思いをわかりながらうまく生きているなと、門倉と水田だけでなく、たみも含めて「あ・うん」だと、そのように感じた。

この記事に

開く コメント(0)

花神(下)を読んで

 いよいよ討幕に向け動き出した新政府軍の中で、蔵六はさらに才能を発揮する。特に蔵六が江戸に向かい、上野戦争に至る過程の蔵六の采配は実に見事であり、蔵六の兵法の才能、能力の高さがあらわれていたが、反面、目的遂行のための冷徹さもまた際立っていた。目的達成のためには必要なことだが、結局は高い才能があっても、こういった蔵六の性格や態度を遠因にしてみずからの命を落とすことになるわけだから、それなりに周りを考えないとと思った。

 この話を通して、目的達成のために徹底的な合理化を進め、その才をもって明治維新に大きく貢献した村田蔵六について深く知ることができた。この人の存在が時代を動かしていったと言ってもいいほどの人だが、実際にこのような人がいたら正直嫌いだろうなと思った。

この記事に

開く コメント(0)

花神(中)を読んで

 軍の指揮官となった蔵六は、その合理的な考え方のもとに藩内の軍制を改め、迫りくる幕府軍をどんどん蹴散らしていく姿は痛快だった。しかし、蔵六は相変わらず嫌なやつだと、能力や実績があり、さらにはそれを認めてくれる存在があるからこそ、ああいう人間のままでもよかったのだろう。

 幕府との戦いでは、蔵六のもとで合理化を進めた長州軍と形式や体面を重視する幕府軍が対比しているが、確かに組織としての強さを求めるのであれば合理化ということなのだろうけれども、死の際にあってもそこに形式美を求めようとする心も、それはそれでありではないかと思った。

この記事に

開く コメント(0)

花神(上)を読んで

 この話を読むに当たって、村田蔵六という人の名は知らなかったが、後の大村益次郎だと知った。とはいえ、大村益次郎の名前以外は無知も同然だ。

 上巻では、この蔵六が桂小五郎に出会う以前のことが描かれているが、一言で言って、なんて感じの悪い人だろうと、学問の才はすぐれていていたのだろうが、余り周囲から評価されるような人間ではないような感じがした。

 しかし、宇和島で日本版の黒船をつくるときには、もともとは医者で蘭学の知識はあっても、船をつくるという工学の部分までそれほど知識があってわけでもないと思うが、長崎にわたり、みずから研究して完成させているのは、人並みならぬものがあると思った。

 この先、どのようにして軍の参謀、指揮官となっていくのか気になった。

この記事に

開く コメント(0)

[ すべて表示 ]


.


みんなの更新記事