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和の心の広がりで、「自己責任論」の終焉を(●^o^●)
新たな年を迎えて誰もが「平和で安心できる世を」願い、荒んだ世の中の「変」を求めて、清水寺で「漢字一字」に揮毫されました。
昨年高い視聴率をしめした「篤姫」も「人間賛歌」のドラマとして、「あなたは家族です」という言葉に熱い共感が広がり、山田洋二監督の「寅さん」も「母べぇ」も「ちゃぶ台」の温かさが、民衆の心の共鳴を呼ぶ中身でした。(*^_^*)
この中で、自民党政治の「人をモノのように使い捨てる政治」は、麻生首相の数々の暴言に象徴的に表れ、また大阪の橋下知事が高校生に対して「いまの日本は自己責任が原則。いやならこの国を出るしかない」という言動は、国民の心を傷つけ、政治の責任を放棄したものでした。
こういう「自己責任論」・貧困を個人の責任に帰して国民の目から覆い隠そうとする新自由主義への社会的反撃が、社会的連帯の中でうねりを高めてきています。
政治と文化が深いつながりをもつなかで、新しい社会めざして、「自己責任論」克服へ様々な文化の取り組みがいろいろと努力されています。
「没落していく階級によって、文化が健全な発展の道を進むことはむつかしい」(日本文化史・家永三郎)なかで、いまこそ私たちが、日本の民衆の中に脈打つ和の心の文化を継承発展させていくことが求められてきていると思います。
和の心は古から今も(・へ・)
昨年東京杉並区・小林多喜二が活動したところで、民青同盟が再建されたことが「赤旗」で報道され、その中で豆大福班が “制定”した「豆憲」の中に「和をもって貴しと成す」も掲げられていました。
これはいうまでもなく聖徳太子が六〇四年に制定した日本最古の哲学書でもある十七条憲法第一条の「以和為貴」にあります。論語の「有子曰、礼之用和為貴」から用いられたものですが、儒教の徳目の中心の「仁」だけではなく「和」をより重視したことは、当時の内政外交のなかに独自の思想を用いたものとして日本の政治・文化の土台をなすものでした。
古代の「倭国」が「ヤマト王権」となり、奈良時代七五七年制定された養老律令で「大和」とよばれるようになったのもこの太子の思想の影響があったと言われています。
また日本最古の歌集の万葉集(成立は七五九年以降)には様々な身分の人が詠んだ四五〇〇首の歌が集められていますが、七〇〇年前後に山上憶良が詠んだ次のような歌「富人の家の子どもの着る身なみ腐し捨つらむ絹綿らはも」や「我よりも貧しき人の父母飢え寒ゆらむ妻子どもは乞ひて泣くなむ この時は いかにしつつか 汝が世は渡る」の貧窮問答が載せられています。ここでは貧富の状況を社会的な問題としてとらえ、鋭く世に問うています。
こうして古来、農耕民族の日本人は、米を連作し、同じ土地に住む村を共同体とし、合議性、団結心など「和」の心を悠久の歴史のなかに積み重ねてきました。
古来からの文化的、思想的なこの伝統は、仏教が伝来し、太子が「唯仏是真」といっている仏教の中心的教え「自未得度先度他」に符合するものでした。そして浄土真宗の開祖親鸞聖人は聖徳太子を「和国の教主」として崇められています。
現人神の押し付けで、和の心を破壊(・へ・)
「日本という国 歴史と人間の再発」(梅原猛・上田正昭著)では、日本の神々が大きく歪められた時代が二回あり、一回は「古事記」「日本書記」の成立以降、二回目は明治の国家神道といっています。
古来村落行事として、春秋の祭りが村の鎮守の森で行われてきました。さらに遡ると村の神様は、それぞれの森であり、特定されてた所ではなかったとも言われています。
そして、仏教が日本へ伝来し、布教が広まる中で、どこの村でもお寺も神社もある神仏習合の状況が江戸時代まで続いてゆきました。それが、明治になり、廃仏毀釈のもと、国家神道を奉りあげ、天皇を現人神として絶対服従を国民に押し付け、和の伝統と心を全面的に破壊しつくしました。これは内に服従、外への侵略と、聖徳太子の思想とも反するものでした。
この痛恨の歴史の中から平和憲法が誕生し、国民主権、基本的人権尊重、そして九条と、真に「和の心」そのものとなっています。
市場競争原理の中、病む和の心(;一_一)
高度経済成長を経て弱肉強食の「人を使い捨てる政治」の下、「社会自体が暴力的なものに」(生きさせる思想 雨宮処凛談)なるなか、濁世の様相を呈してきています。とくに、この政治の責任を省みず、九〇年代以降新自由主義のもと「自己責任論」が庶民の心を病ませる事態となってきました。
しかし、昨年来アメリカ発の世界同時不況という「新自由主義の終焉」(森田実の世相を切る)が明らかになる中で、国民全体が窮乏に陥るなか、「自己責任論」の押し付けが許されない事態になってきています。
和の心・「もやい」の反撃のはじまり($・・)/~~~
和の憲法を掲げて、九条の会の広がりや、労連や反貧困ネットワークなどの連帯による「年越し派遣村」は、古くから日本にある村落共同体で助け合うつながりである「もやい」の和の心あふれるものでした。
こうして「自己責任論」攻撃を許さないたたかいの中、いま命と人間尊重、豊かな個性を生じせしめる和の心を持った新しい社会こそが強く求められてきています。
それは日本古来から庶民の中にある和の心の文化の奔流のなかにこそ見出すことができます。
和の心は言葉で表されます。言葉は文字で書かれます。文字をもたなかった古来の人は、仏教の伝来とともにやってきた漢字をつかい、万葉仮名で歌を記し、和歌を詠む中でひらがなを生み出し和の心を表してゆきます。こうしていま日本文化の糧として漢字とひらがなを巧にこなしています。ここにこそ、神仏習合にもあった日本人の和の文化の流れの根本があると思います。いまそのなかで持ち合わせた詩語の深さに深い感動を覚えていますが、和の心を大切にし、自己責任論の終焉めざし、漢詩を詠みました。
それは、自己責任論とたたかう高校生への詩です。
与高校生笑顔 上平声十一眞
平允なる修行の求志は真
生徒の理義な意思は仁なり
教育を受経する権利を成し
十五の春を悲啼しむるなかれ
平允修行求志真
生徒理義意思仁
受経教育成権利
莫使悲啼十五春
また「変」を望む庶民の願を今年に託す詩でもあります。
変革新年 下平声七陽
変革を希求し、初陽を迓え
己丑携扶し善祥を祈らん
民人の為に弊事を除かんと欲し
乾坤一擲構え堂々
希求変革迓初陽
己丑携扶祈善祥
欲為民人除弊事
乾坤一擲構堂々
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