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10月22日
今日の運営は若者ばかりで高知在住30名によるグループ「サラダ」によるものでした。
昨年は見たところ100名ぐらいでしたが、今年は昨年の3倍も来場していて県民文化グリーンホールも多くの若者で八割り方埋まっていました。
司会者は幾つかのお約束の表現として本日証言をする朴玉善(パク・オクソン)さんを朴玉善ハルモニ(お婆ちゃん)と呼ぶ事、強制連行された従軍慰安婦のことをより正確に実態としてあった日本軍性奴隷と呼称する事などをまえもってお断りしました。
「消せない記憶」と題する朴玉善ハルモニの話しは、金英丸(キム・ヨンファン)草の家事務局長も参加をして本日は通訳を努めましたが最後には通訳するのも涙声となりました。
来高したのは朴玉善さん、80才を超えていましたが、声に張りもありしっかりとした足取りでした。
朴玉善さんは韓国慶尚南道(キョンサンナンドウ)の蜜陽(ミリャン)の生まれです。
水汲みに自宅を出たところを友人と共に拉致・連行されソ連国境に近い穆稜(ムリン)の慰安所に「アライ アキコ」と言う日本名で慰安婦として送りこまれ、恥辱の日々を送らされました。17歳でした。
目的地まで七日もの長旅であったといいます。
日本敗戦後もとうてい家には帰れず、終戦後60年もの間、中国での生活を経てから帰国し、支援者が用意した「ナヌムの家」という元慰安婦が暮らす施設で共同生活を送っています。
慰安所は元々女子挺身隊の一つとして考えられ、当初は日本人女子徴用の検討もされ兵士の戦意向上を目的としていましたが、兵士の家族にそうした恥辱を犯さすことで指揮の乱れを恐れた軍部が、植民地下の朝鮮半島子女や占領下の近隣諸国からも強制連行し恥辱の限りを行った事実は、限りなく恥ずべき行為でした。
ロビーには、「ナヌムの家」のハルモニ達の声を表現した絵が並べられ、朴玉善(パク・オクソン)さんがアリランの大合唱の中踊り、会は終わりました。
本ブログの栗原透さんの聞き取り「日本は朝鮮で何をしたか」
にも多数の従軍慰安婦=性奴隷の声が収録されていっています。
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ハルモニの証言をはじめて直に聞きました。女性としての怒り、悲しみ、恨(ハン)の思いを言い尽くす言葉はありません。しかし、ハルモニの胸の内は波となりふるえる繊毛となり、私の心に届いてきました。
2005/10/23(日) 午後 10:23 [ コスモス ]
若い人が準備をして成功に導いた事が何より貴い。
2005/10/24(月) 午後 8:34 [ 年寄り無株 ]