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槙村 浩
今では望めば朝鮮語で彼の「間島パルチザンの歌」を聞くことができるようにもなった。
今日は9条の改定も含めて憲法の見直しを図ることが国会の委員会で自公民の賛成多数で可決をしたが一方では民衆の間で韓国・朝鮮人との連帯も深まっている。
槙村は言う。
あなたらの国とわたしらの国では、どちらも一遍の詩が牢獄に値する と、
1938年9月、土佐脳病院(今の土佐病院)で26歳で亡くなった槙村は検挙されるまで中国と日本の国家に対して銃を後ろに向けよ、中国革命軍と手を組めと詩を発表していた。
槙村が入ったかも知れない獄は今、高知市洞ヶ島の薫的神社境内にある。
封建制度の山内藩政の頃、薫的和尚は藩政にたてつきこの牢に入れられ、死罪を申し付けられた。
薫的和尚は高知城をはったと睨み付け絶命、その日から雷鳴轟き何日も大嵐になったと伝えられている。
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