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御畳瀬から坂本山の切り通しを抜ける遍路道は浦戸城に通じる。
山を越えれば長浜、塩谷の浜から塩田の向こうが高麗村。御畳瀬から今ではトンネルを抜けていくのが高麗(カウライ)に出る近道だ。
長浜にあるがトンネル出口の小学は御畳瀬小。なにしろ、高知市と合併するまで御畳瀬村は日本で最小の村だった。鎌倉のように背後地はもう山、どこにも小学を建てるユトリ地はない。
長浜にあるので、この字である高麗という地番は今は使われていない。
だが、私が小さいときに遊んだところなので、高麗は耳に自然に入っている。
あこめへ抜ける道がつくまでは袋小路の谷あいで、50年前は精神病者専門の精華園の医師住宅が2軒あっただけ、桜の並木がきれいで、菜園を患者さんが作っていた。
御畳瀬とあこめとの間の海岸に敗色濃い戦時中にベニヤ製特攻艇の基地が作られ、沖縄出身の兵隊さんに聞いたところ、ひもじくてこの菜園の作物を取りに来ていたと言っている。
患者さんは大勢栄養失調で亡くなったから、そんな時代だった。
長宗我部は捕虜や住民を2百人以上、拉致してきていたから最初に入ったところがこのカウライの郷であったのだ。あこめは漢字で衣偏に白いと書くところから白衣民族である朝鮮人由来かとも思われたが、それは違うようだ。
山内容道の時代になって、お城下の新しく出来た唐人町に朝鮮人たちは移り住んでいる。この唐人町というのは韓人町のことだ。
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