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小林多喜二については文学的評価が早くからなされ、蟹工船の作家として日本切手にまでなっている。
ところが朝鮮に思いを馳せた槙村 浩と鶴 彬に関しての評価は著しく遅れている。槙村 浩は高知県で生まれ、戦前の非合法活動に従事、逮捕勾留ののち発狂して短い命をおとした。
彼の書いた「間島パルチザンの歌」はてっきり同胞の作品だと朝鮮の人々に思われていた詩で、一度も彼の地に足を踏み入れたことのない青年の手になるものと分かり、驚きの声があがったという。
川柳のつるあきら は広く知られたのがこの10年程である。それまで、東京恵比寿にお住まいの一叩人(いっこうじん)さんが細々と「鶴彬研究」誌を出していた。訪ねていくと山肌に戦前建てられた文化アパートの狭い一室の中に資料に埋まれて暮らしておられた。
鶴彬の有名な句には、「手と足をもいだ丸太にしてかえし」「万歳とあげて行った手を大陸においてきた」という中国侵略戦争を告発したものがあります。
鶴が朝鮮をうたった川柳には、「半島の生まれ」と題する次の一群がある。
半島の生まれでつぶし値の生き埋めとなる
内地人に負けてはならぬ汗で半定歩のトロ押す
半定歩だけ働けばなまけるなとどやされる
ヨボと辱められ怒り込み上げる朝鮮語となる
鉄板背負ふ若い人間起重機で曲がる背骨
母国掠すめ取った国の歴史を復唱する大声
行き所のない冬を追っ払われる鮮人小屋の群れ
米倉斉加年が最近小林多喜二を上演した。誰も無関心で見にも来ない劇を演じ切ることで時代を演出しようとしたら意に反して超満員の観衆が押し寄せ、受け手ではなく積極的に多喜二を身体の中に取り入れていったのに驚かされたと米倉さんはいう。
新しい槙村詩集は高知市の「草の家」から昨年出版されている。館長であった西森茂さんの最後の仕事になった。
鶴彬は日朝協会大坂支部の「にっこり通信」2003年6月10日号に秦重雄さん(府立成城工業高校教諭・会員)が紹介している。最後に「鶴彬と槙村浩の作品をハングルに訳す人はいませんか」と呼びかけている。コリアの民衆に大日本〈暗黒〉帝国への挑戦者達が居たことを伝えたいとまとめている。「間島パルチザンの歌」のハングル訳は丁度高知県に滞在中の韓国人・金英丸さんが完成させたとお聞きしている。
多喜二 槇村 鶴彬 をこの時代にセットで根付かせよう。
* 米倉斉加年(まさかね)は劇壇民芸を退団している。絵本作家としても知られる。
宇野重吉一座でも活躍。
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