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御畳瀬と韓国にもまた、古い繋がりがあった。
土佐史談会で地元に住んでいる瀬戸鉄男さんは「御畳瀬の地名とその由来』の中でこうふれている。
『第二十九代欽明天皇の御世、三韓大乱に依り、日本へ援兵を乞ふるとき、伊予家二十三代小チ(越智氏)の守興が渡韓し滞留中、韓女との間に一男子が生まれ、守興帰朝の時、その子を預けて帰りしが、成長の後我が父は日本の伊予の国と聞き、遂に父を尋ねて現在の三津の浜へ着き親子の対面を果たし、二十四代目小チの玉興を名乗る。伊予生まれの異母弟に玉澄が小チの祖神の神話に汝は伊予を退き土金の徳を収めて祖神を祭るべしと、土佐の国へと赴き、とある浦に着き漁夫の家に逗留した。漁夫たちはこの玉澄を敬い平素に敷ける畳は失礼であると裏を返して三枚の畳を献上した。故に三畳裏と呼ぶ。御畳瀬という地名は後に土地の人が名乗ったものであろう。』
これは高知市の『仁井田大明神鎮座記』「皆山集収」によると「伊豫家小チ姓新居之巻」にいわく、からとったものだった。
欽明天皇は509年から571年の人で在位は539年から571年まで、この間には仏教の伝来、朝鮮の任那に軍を送るという歴史論争が続いている時代の天皇であった。
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