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慶尚北道慶州市九政洞616-51にある慶州ナザレ園に9月18日に行ってきました。
古都慶州。幹線道路から少し入った民家の間、有名な仏国寺のある仏国寺九政洞の標識が目印、新幹線ではバス乗り継ぎで行けるようです。
日本の朝鮮支配から朝鮮人による朝鮮独立へ、歴史の渦の中で韓国に取り残された日本人の女性達がいました。
多くは朝鮮人と結婚した女性達で、その当時の日本と韓国の偏見差別によって、孤立化し行く先の展望を失った人達でした。
身寄りをなくし、韓国社会で生きていくにも、韓国人が生きていくのが精一杯の中でなかなか支援を得られず、といって韓国人と結婚をした彼女を迎える温かい親族も見つからず、立ち往生していた女性達でした。
過去には3人の高知県出身者も居たそうですが、今は亡くなっておられません。
運営は民間の手で行われ、管理者のキリスト者である女性・宋美虎(ソン ミホー)さんは21年間無給で働いていますとの事でした。
1982年上坂冬子のルポで知られる慶州・ナザレ園ですが日韓政府の援助はまったくなくて、民間で運営しているということでした。日本財団が建築費を出し建物は立派でした。ただ、施設の維持運営費はまかなわなくてはならず四苦八苦しているとのことでした。
入居している日本女性達は23名、通所の方も要る様子でした。日本へ送り返すまでの一時預かりの中間施設なのですが、現実は終の棲家と化していると案内の宋さんは申します。1987年が最後の帰国者ということからもそれはわかります。
全室個室でオンドルがあり、1DKほどの部屋は朝鮮風納戸に衣服や布団が仕舞い込まれ、滑らかな床が見えていました。
ちょっとした調理は入り口近くの炊事場で出来るようになっていますが、高齢化のためにどなたもしてはいないということでした。認知症が進み糞便を壁に塗る人も居て、昔は入居者が廊下を掃除していたとの事ですが、今は全て職員の手でしているのだということでした。
ナザレ園を作ったのは韓国人の神父さんの金龍成(キム ヨンソン)さん、彼自身差別され、父親を日本でリンチされて殺されていますが、差別された韓国人を信じてついてきた日本人妻を見棄てることができなかったことがナザレ園開設の動機となっているようでした。
「日本人花嫁の戦後」伊藤孝司著 LYU工房
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