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10月20日1時4分配信 毎日新聞
守屋武昌前次官(63)は03年8月から今年8月末まで4年以上にわたり防衛事務次官を務めた。通常2年交代の事務次官としては異例の長期在任で、「防衛省の天皇」と称される半面、その「独裁」ぶりを危ぶむ見方も常につきまとった。
東北大卒業後の71年に防衛庁に入庁、本流の防衛政策畑を歩いた。同庁の最重要課題の一つだった沖縄県の米軍普天間飛行場移設問題では、95年末に防衛審議官に任命され、翌年発足した橋本内閣では交渉役となり、しばしば沖縄入りしたことから強い影響力を持つようになった。
小泉内閣では特に重用された。当時の飯島勲首相秘書官とパイプがあり、時に政治家以上の発言力を持った。昨年の訪米時では閣僚に近い厚遇を受け、安倍内閣では同庁念願の省昇格を実現させた。「自分ほど自衛隊を分かっている者はない」。周囲にそう語ることもあった。
しかし、人事面ではライバルを排除するなど強引さが目立ち、米軍基地問題でも地元意見を取り入れるよう求める沖縄県などに「修正は認められない」と強硬姿勢を貫き、しばしば同県や地元市町村と衝突した。
今年3月に定年延長してからは久間章生、小池百合子両元防衛相との間で確執を深めた。久間氏は1月の防衛省移行に伴う9月の省再編で、退官させる狙いだったが自らの原爆投下「しょうがない」発言で辞任。後任の小池氏も退官を迫ったものの、対立が長引いた結果、小池氏は次期次官に警察庁OBを起用する構想を断念。防衛省生え抜きの増田好平氏が次官となり、小池氏も8月下旬の内閣改造で、防衛省を去った。
高村正彦前防衛相とも不協和音が生じた。守屋氏が高村氏に相談せず、常勤顧問に就任する動きをみせたためだ。高村氏が激怒し、守屋氏は顧問就任を撤回している。
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