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12月2日18時50分配信 産経新聞
昭和7(1932)年に来日した世界の喜劇王、チャールズ・チャプリン(1889〜1977年)が「五・一五事件」の前日、皇居前で一礼したのは自身を守る“演出”だった−。親日家でありながら、外国勢力打倒をかかげる軍人らの標的にされたチャプリンを守るため、皇居訪問を最優先させるなど、秘書やその知人らが訪日の行動計画をたてた手紙が研究者によって発見された。「親日ぶりの単なるアピール?」「不審な車につけられた?」など、その意味が明かされず謎とされた「一礼」が、チャプリンの“世紀の名演技”だったことを裏付ける貴重な資料という。
手紙は元陸軍少将の作家、櫻井忠温(ただよし)がチャプリンの秘書、高野虎市(1885〜1971年)にあてたもので、チャプリン研究の第一人者、大野裕之・日本チャップリン協会会長が高野の遺品などから発見した。原稿用紙7枚に書かれ、正確な日付は不明だが、「最近の日本は騒がしいのでお気をつけください」など日本の情勢の報告とともに、「お早めに東京に来られたほうがいいと思います」「東京でまず宮城(皇居)に行く」よう指示。このほか、撮影所訪問や歓迎会への出席など行動計画が綿密にたてられていた。
欧州やアジアをめぐる世界旅行の途上、5月14日に神戸港に入ったチャプリンは、京都や大阪を“とばして”東京に直行。その夜、ホテルへ行く前にまず二重橋に立ち寄った。「高野が『車から降りて皇居を拝んでください』というので、(腑に落ちないまま)礼をした」と、皇居への訪問を“最優先”させたことを自伝に記している。この「一礼」は当時、新聞などで大きく報じられたという。
翌日には、一部軍人が蜂起して犬養毅首相を殺害した「五・一五事件」が発生、チャプリンも“外国文化の象徴”として標的にされていたことが、裁判記録などから明らかになっている。
その特異な行程や一礼の意味はこれまで“謎”とされ、研究者からは「跡をつける不審な車におびえた高野が礼をさせた」などという見方も出されていた。
高野はチャプリンより1カ月早く来日して日程を調整しており、大野会長は「不穏な動きを高野が事前に察知して、軍部に詳しい櫻井に相談したのではないか」と分析。「高野らが綿密に作戦をたて、チャプリンがその通りに演じたことが分かる貴重な資料」と、没後30年にして発見された資料を高く評価している。
事件当日、チャプリンは首相の歓迎会には行かず、気まぐれで相撲観戦に出向き、難を逃れた。大野会長は「歴史は皮肉なもの。しかし高野の努力もあり、命拾いしたともいえる。手紙はそれを証明し、高野とチャプリンの深い関係をも裏付ける」と話している。
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