世論

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3月4日8時1分配信 産経新聞


「本能寺の変」(1582年)で、織田信長が宿泊していたのは寺の建物ではなく、ごく小規模な専用御殿だったという新説を、今谷明・国際日本文化研究センター教授(日本中世史)が発表する。昨年、旧本能寺境内で相次いだ発掘調査の成果などから、「建物は最大40メートル四方クラス」と判断した。

予想外に簡素だった理由については「大坂本願寺に移る予定だった」と推定。ドラマで繰り返し放送される大きな本堂前で奮戦する信長は虚像の可能性が出てきた。

新説は日文研が近く発行する論文集『王権と都市』に「信長の本能寺“御殿”について」として発表される。

本能寺は現在、京都市役所の南にあるが、「変」当時は、約1キロ南西の中京区六角通と蛸薬師通、西洞院通と油小路通に囲まれた約120メートル四方の地を境内としていた。

発掘調査は昨年夏、住宅建設のため2カ所で実施され、東側の調査地からはL字形の堀(幅約6メートル、深さ約1メートル)や焼けた痕跡のある文字瓦などが見つかった。西側調査地からは、建物跡などは出なかった。この結果、東側の堀は西に延びず、約40メートル四方の建物を囲むものと分かった。

今谷教授は当時の文献を詳しく調べたが、本能寺がよそに移転した形跡はなく、境内東北隅の堀に囲まれた中に、信長の宿舎となる御殿が建っていたと結論付けた。具体的には、「ほぼ同時代に建てられた園城寺勧学院(かんがくいん)や同光浄院(こうじょういん)(大津市、いずれも国宝)のような規模の小さい住宅用御殿が建っていた」とみている。


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