|
10月8日1時17分配信 読売新聞
「今年は日本にとって、いい年になる」。ノーベル賞委員会周辺に人脈を持つある関係者は、発表直前にこう言ってほほえんだ。だがまさか、1部門3人までと決められた栄誉を日本人が独占するとは。
物理学は、この宇宙、物質世界がどのような原理で成り立っているのかを探る学問だ。紙と鉛筆で究極の法則を考え抜く理論物理、素粒子物理は、巨大実験装置がなくても独創性だけで勝負できる、日本の得意分野だった。
その象徴が湯川秀樹(1907〜81)、朝永振一郎(1906〜79)の両物理学賞受賞者であり、湯川博士の中間子論を支えた坂田昌一・名古屋帝国大教授(1911〜70)を加えた3俊才は日本物理学の大きな山脈だった。今回の受賞は、わが国の知力、理論物理の伝統を世界に知らしめる快挙だった。
小林誠、益川敏英両氏は、坂田博士ら第1世代の約30歳年下。名大物理に学び、坂田研究室の自由闊達(かったつ)な雰囲気の中で、まるでケンカのように熱く議論を戦わせ、理論を精緻(せいち)に仕上げていく理想的な<刃物と砥石(といし)>の関係だった。
今回の物理学賞の特徴はまた、成した業績から受賞までが長かったということだろう。南部陽一郎氏が「自発的対称性の破れ」をまとめたのは1961年、「小林・益川理論」の発表は73年。評価されるまでそれぞれ47、35年待たされた。湯川、朝永博士や江崎玲於奈氏(73年物理学賞)、小柴昌俊氏(2002年同)が平均15年だったのとは対照的だ。
これだけ待たされたのは、もちろん今回の3人の業績が小さかったからではなく、現代物理学の大きな枠組み、根源的な理論であったことの証左と言える。半世紀も前に誕生した、シンプルで美しい理論が、多くの実験、検証をくぐり抜け、今やっとあるべき星座の高みで輝いた。(編集委員 柴田文隆)
|