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5月9日7時57分配信 産経新聞
【麗し大和・記者の裏話】
藤原氏だから「藤」の花がシンボル、とはわかりやすいが、そもそもなぜ中臣鎌足が「藤原」という姓を賜ったのかというと、鎌足の当時の住まい(大和国高市郡藤原)にちなんでのことらしい。たまたま「藤」だったわけだが、日本の野山には元来、野生のヤマフジなどが多く生えていたらしいから、大和国藤原という地もフジがあちこちに咲いていたのでそう呼ばれるようになったのかもしれない。
藤原氏というのは鎌足から起こり、息子の不比等の子孫だけが藤原姓を名乗った。そのほかの系統は「中臣」のままである。
■現代の藤原さん
ところで、身辺には「藤原さん」がけっこういるが、現代の名字の「藤原」は、ほとんどその藤原氏とは関係がない。平安以降、公家社会は藤原氏に席巻され、同じ藤原氏でも摂関家の本流、その他傍流と分かれていった。とはいえ、みんな藤原さんなので、住んでいる地名などから「近衛」「九条」「鷹司」などと呼んで区別するようになる。明治以降、名字はそちらを名乗るようになり、藤原氏の末裔に「藤原さん」という名字はなくなってしまった…というわけだ。ただ、伊藤、加藤、後藤さんなど後ろに「藤」がつく名字の一部は「藤氏(とうし)」の末裔の場合がある。
京都には藤原俊成・定家の末裔の冷泉家がいまも残っていて、何度か取材でお世話になった。以前、当主夫人の冷泉貴実子さんに伺ったことがあるが、本来はやっぱり「藤原(冷泉)●●さん」で、古いお墓などには「藤原」と記されているそうだが、もはや戸籍上は「冷泉さん」なのである。春日大社には藤原氏の末裔の藤裔会(とうえいかい)という奉賛会が昭和になって結成され、毎年5月に藤氏繁栄の祈願祭を行っているそうだ。
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