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サンケイスポーツ 3月11日(金)7時52分配信
お笑いコンビ「コント55号」で一世を風靡し、歌手、俳優としても活躍したコメディアンの坂上二郎(さかがみ・じろう)さんが10日午前9時40分、栃木県内の病院で脳梗塞のため亡くなった。76歳だった。2003年に脳梗塞を発症、一時は舞台に復帰するまで回復したが、昨年8月に自宅で倒れ再び入院していた。コント55号でコンビを組んだタレント、萩本欽一(69)は、突然の訃報に「オレをひとりにして、二郎ちゃんのバカっ」と言葉を振り絞った。
おとぼけキャラと、憎めない笑顔で国民的人気を博した「二郎さん」が突然、天国へ旅立った。
二郎さんは2003年9月に脳梗塞で倒れた後、06年から「きれいな空気が気に入った」と栃木県・那須塩原市内で療養生活を送っていた。
関係者によると、10日朝は普段通りに起床したが、午前9時ごろに容体が急変。すぐに夫人の瑤子さん(75)が119番通報し、救急車で同市内の病院に搬送されたものの、40分後に死亡が確認された。瑤子さんと、二郎さんのマネジャーを務める長男、大樹さんら3人の子供が亡きがらと対面した。病院に駆けつけた関係者は、「顔は苦しんだ様子もなく、いい顔をしていました。突然のことで、奥様はぼう然としていました」と声を落とした。
常にお茶の間に幸せと笑いを運んだ。コメディアンとして活動していた1966年、東京・浅草のストリップ劇場、「フランス座」での萩本欽一(69)との出会いが二郎さんの運命を変えた。当時のゴーゴーブームにあやかり「55号(ゴーゴーゴー」の名前を決め、漫才とは違うという意味を込めて「コント」を頭につけた。
69年スタートの日本テレビ系「コント55号!裏番組をブッ飛ばせ!!」などで、従来のカメラの枠を無視し、縦横無尽に跳ね回る斬新なコントを繰り広げた。欽ちゃんの突っ込みに、二郎さんが思わず発したフレーズ「飛びます、飛びます」は流行語にもなった。野球拳など、当時「子供に見せられない」などとPTAなどから猛抗議を受けたが、お茶の間では常に高い支持を得ていた。
二郎さんは70年代に入ってからは俳優や歌手としても活躍。ドラマ、舞台などで人情味あふれる演技を披露し、独特な存在感を発揮した。だが、03年にゴルフ場で脳梗塞の発作を起こした。「最悪の場合の覚悟をしてください」と家族に告げられるほどの重症だったが、復帰への思いでリハビリを重ね、2004年には欽ちゃんの明治座の舞台で復帰を果たすまでになった。
だが、昨年8月13日に自宅で倒れ、再び入院。昨年12月に見舞った欽ちゃんによると、「もう、『飛びます、飛びます』ができないだろうって言ったら、起き上がって『飛べません、飛べません』って、まだギャグをやるの…」と振り返った。2月に療養先を訪れる予定だったが、都合がつかず実現しなかったという。欽ちゃんは「二郎さんはボクの宝。残念じゃ言葉が足りないし、悔しいじゃ言葉が足りない。ダメだよ、勝手にダメだよ」と声を詰まらせた。
日本列島を笑いの渦に巻き込んだ「イーヒッヒッ…」という甲高い笑い声は、もう2度と聞けない。
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