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毎日新聞 4月25日(月)9時4分配信
東日本大震災で被災した岩手県宮古市中心部の商店街が窮地に立たされている。多くの店舗が津波で全半壊し、在庫も海水につかって売り物にならなくなった。商圏である沿岸部の近隣自治体も壊滅的な被害を受けた。商店主の高齢化も加わり、廃業と存続のはざまで悩む人も多い。【川口裕之】
震災前の宮古市は人口約5万9000人の中規模都市。東京23区の倍の面積があり、商圏は広い。商店街はJR宮古駅前から宮古市役所近くまでの800メートルほどの間に、約130店が並ぶ。駅寄りの約70店が「末広町商店街振興組合」、市役所寄りの約50店が「中央通商店街振興組合」を構成している。
大津波の被害を受けて海に近い中央通商店街のほとんどが全壊、末広町商店街も多くが半壊した。中央通商店街では3人が犠牲になった。シャッターがゆがみ、ガラスが割れた店舗やがれきが残ったままの店舗が並ぶ。「解体してください」「しばらく移転します」といった張り紙が目立つ。営業を再開している店舗はほとんどない。
中央通商店街で靴店を経営する佐藤功さん(50)はあの日、店舗2階で遅い昼食の最中、大きな揺れに襲われた。揺れがおさまり、商品が散乱した店を片付けようと思った時、大津波警報の発令を携帯電話のメールで知った。従業員を帰宅させてシャッターを閉め、高齢の父と高台の自宅へ車で避難した。
「ひざまでの津波なら、商品の半分はだめになるな」。そんな気持ちで自宅から様子をうかがった。だが、海の方からは自動車や船が津波で流れてくる。店舗は結局、1階の天井近くまで津波につかった。ぼうぜんとした。
水がひいた店舗は、石油のにおいが鼻を突き、自動車がシャッターに突っ込んでいた。店舗や倉庫の在庫2000万円分が売り物にならなくなった。商品やがれきが散乱し、何から手を付ければいいのか分からなかった。宮古駅前のショッピングセンターにある支店で営業再開するまで1週間かかった。
壊れた店舗をどうするかは、まだ決められない。どのような公的支援があるか見えず、「多額の投資をして店舗を再建しても、経営が成り立つのか」と不安が膨らむ。
今月15日、震災後初めて開催した中央通商店街振興組合の役員会。出席した15人の商店主が再建の方策を話し合った。「商売を続けるのが不安だ」「建物を解体した後はどうすればいいのか」と訴える声が上がったが、方向性は見いだせなかった。
同商店街は国の補助を受け、93年に街路灯やブロック敷きの歩道を整備した。衰退が進む商店街の再起を目指し、船の帆をイメージしたしゃれたデザインの街路灯も今回の津波でなぎ倒された。総事業費2億4500万円のうち、残る1000万円の返済が商店街にのしかかる。
高橋雅之理事長は「このままでは商店街が歯抜けになってしまう」と危惧する。商店主の大半が60歳代で後継者のいない店も多い。利用客の高齢化も進んでいた。津波は宮古市田老地区や山田町、田野畑村にも大きな被害を与えている。商圏人口自体が大幅に減少する可能性もある。
商店街振興組合の専務理事も務める佐藤さんは「人口増や景気回復が見込めない中での復興は厳しい。商店街として『一緒にがんばっぺし(頑張ろう)』とは言えない」と思い悩む。
少し山手にある末広町商店街では、今月中旬までに43店が営業を再開したが、10店ほどは再開の見通しが立っていない。手芸店を経営する女性(65)は店舗1階が浸水、毛糸や反物など在庫の半分以上が水につかり、廃棄した。3月末に営業を再開して残った商品を販売しているが「品ぞろえが大切だが、新たに買いそろえるにも資金繰りが大変。今ある在庫を処分したら、店を続けるかどうかじっくり考えたい」と胸の内を明かす。
復興に向けて一歩を踏み出している人もいる。中央通商店街で婦人服店を営む男性(68)は、今月中旬から商店街近くの自宅で営業を再開した。「大丈夫だった?」と言葉をかけてくれるなじみ客の心遣いが胸に染みる。「お客さんに報いるためにも商売を頑張らないといけない」。男性は一日でも早く全壊した店舗を再建するつもりだ。
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