教育

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毎日新聞 4月25日(月)22時2分配信

福島県境にある宮城県南部の山元町。津波は高さ約6.2メートルの防波堤を越え、美しい砂浜とのどかな田園が広がる町を襲った。いずれも海岸から約300メートルの低地にある町立の山下第二小(児童数202人)と中浜小(59人)は津波で校舎が壊れ、児童は25日からの新学期を別の学校で迎えた。あの日、山下第二小は先生が児童を車に乗せて逃げ、中浜小は全員が2階建て校舎の屋上に駆け上がった。それぞれの学校が誘導した児童は全員無事だった。子どもたちの命を守ったのは、判断の速さと、幸運だった。【遠藤浩二、澤木政輝】

 ◇確認作業打ち切り 山下第二小

 3月11日午後2時46分。激しい揺れに山下第二小の作間健教頭(55)は校内放送のマイクをつかんだ。「机の下にもぐりなさい」。テレビをつけたが、揺れがひどく見られない。教務主任の太田久二男教諭(52)は職員室を飛び出し、1年生の教室に走った。泣き声が聞こえる。

 揺れが収まり、訓練通り全員が校庭へ出た。巡視係の太田教諭は校舎を一巡し、全員の避難を確認して最後に校舎を出た。その直前、1年生の教室のテレビで大津波警報が出ているのを知った。

 午後3時10分。校庭に保護者が次々に駆け付けた。学校は身元を確認せずに子どもを引き渡せない。氏名や家族構成、連絡先を記載した「非常持ち出し簿」と照合して児童を引き渡した。

 ◇車でピストン輸送

 怒声が響いた。「何やってんだ。早く逃げろ。津波が来るぞ」。走ってきた男性が言った。太田教諭は振り返る。「こんなことやってる場合じゃないと気付いた。もしあの時、あの一声がなければ、逃げ遅れて全滅していたかもしれない」

 瓦ぶきの校舎で屋上避難はできない。渡辺孝男校長(52)は確認作業を打ち切り、即決した。「車を出せる先生は車で子どもを役場へ。他は残った子と歩いて役場へ」。役場は学校から約4キロの小高い場所にある。保護者の迎えがなく残った児童は約70人。太田教諭ら6人が車6台に子どもを乗れるだけ乗せ、残った30人ほどを作間教頭ら5人が連れて役場へ急いだ。

 PTA会長の岩佐政公さん(38)は学校に向かう途中、小走りの作間教頭と子どもたちに会った。「車が足りない。頼みます」。作間教頭の言葉に、自宅にワゴン車を取りに戻り、児童の列に追いつきドアを開けた。その瞬間「どでかい雷がずっと続くような音」を聞いた。津波だ。乗ったばかりの十数人の子どもたちが泣き始めた。

 ◇家のむ青波「先生、早く早く」

 教員の車6台は、役場と徒歩組の間を往復し、児童をピストン輸送した。学校の北西約500メートルのJR山下駅近くで、車に乗れた3年の渡辺志乃さん(9)は「乗車後、家をのむ青い波が見えた。『先生、早く早く』ってせかした」。

 JR山下駅付近で徒歩組の最後に車に乗った作間教頭は「駅に津波が来たのはそれから5〜10分後だったと聞いている。全員が歩いていたら、とても間に合わなかった」。

 渡辺校長は一人で学校に残った。その後に来る保護者に児童の避難を伝えるためだ。校門で20人前後に対応し、振り返ると、約300メートル先の防波堤を越える津波が見えた。2階に走った。水は2階に届かなかったが、図書室の本棚から本を出した。「万が一の時はいかだにするつもりだった。でももっと波がきたらアウトだと覚悟していた」。翌朝、渡辺校長は自衛隊のヘリで救出された。

 ◇「低学年の足では間に合わぬ」屋上へ避難 中浜小

 山下第二小から南に約5キロ。中浜小の井上剛校長(53)は、強い揺れに校長室を飛び出した。職員室のテレビは津波到達予想時刻を10分後と流している。

 中浜小の危機管理マニュアルは津波到達まで20分以上の場合、北西約1.5キロの町立坂元中への避難を定めている。しかし、時間は10分。「低学年の足では間に合わない」。井上校長は校内の全員に校舎の屋上に上がるよう指示した。

 児童、教職員に近所の人たちも加わり、90人が屋上に。20分、30分……。津波は来ない。井上校長は「学年別に1列に座っていた子どもたちも保護者もおしゃべりしたり、海を見たりしていた。だが誰も『下りよう』とは言わなかった」と振り返る。井上校長は「必ず来る」と思っていた。既に到達した場所があると、テレビが伝えていたからだ。

 笹森泰弘教頭(50)は第1波が浜辺の松をなぎ倒したのを「午後3時40分」と記憶している。「キャー」「お母さん」。悲鳴が上がった。子どもたちと保護者を屋上にある約200平方メートルの屋根裏部屋に入れた。

 ◇「終わりだ」つぶやき聞こえた

 第1波は津波対策で高さ約2メートルにしていた校舎の土台がつかる程度。だが約1分後に来た第2波は2階に届いた。5年生の小林裕己さん(11)は「ガシャガシャ、ダーン、とガラスが割れたり机が倒れるものすごい音がした。耳をふさいでいる子も多かった」。

 緊張は極限に達する。沖合に第2波の倍以上ある巨大な波が見えた。「終わりだ」。見張っていた笹森教頭は誰かがつぶやくのを聞いた。「そのまま来たら屋上も丸ごとのまれる」。井上校長は、引き波が第3波を崩すことを祈った。

 次の瞬間、1〜2キロ沖で、第3波は引き波とぶつかり、波が小さくなった。それでも第3波は2階に達し、しぶきは屋上に降った。

 翌12日朝、自衛隊のヘリに全員が救助された。日下泰憲教諭(37)はヘリから見た風景が忘れられない。「学校以外は何も残っていなかった。よく無事だったなと、今でも思う」

(肩書と学年、年齢などは当時)


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