災害

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河北新報 5月11日(水)6時12分配信
 東日本大震災は11日で発生から2カ月を迎えるが、今なお東北地方を中心に12万人近くが避難所に身を寄せる。被災した自宅や親類宅で暮らす人も数多くいるとみられ、それぞれが長く不自由な避難生活に耐えている。

◎宮城・南三陸 家族離れ離れもう嫌

 宮城県南三陸町入谷小で始業式が行われた10日、校舎に隣接する体育館では、65人が長引く避難生活を余儀なくされていた。
 「家族全員がまとまって暮らしていける一番良い方法を、何とか考えなくては」
 同町志津川竹川原の会社員斎藤辰也さん(34)は、1歳3カ月になる長男奏(かなで)ちゃんの頭をなでながら思案していた。
 斎藤さんは、妻文香さん(26)と奏ちゃん、近くに住んでいた辰也さんの両親、歌津地区に住まいが残った文香さんの母親の計6人で体育館の一角に身を寄せる。
 辰也さんの悩みは奏ちゃんのこと。「息子はまだ手が掛かる。ばあちゃんたちにも面倒を見てもらいたい」。かといって、避難所を出て、アパートを借りて6人一緒に住む余裕はない。
 町が呼び掛けた集団避難には応じなかった。行政区単位でのまとまった移転を優先するという町の方針があったからだ。「ばあちゃんたちとは、もともと住んでいる行政区が違うので、離れ離れになるのが不安だった」と苦しい事情を語る。
 4月初め、奏ちゃんが風邪をこじらせて栗原市内の病院に入院した。入院中は文香さんが付きっきりで看病。辰也さんも買い出しなどに奔走した。「こんな時だからこそ、家族みんなの力が必要だと痛感した」と文香さん。辰也さんの母まき子さん(63)も「孫が心配でもう離れられない」と奏ちゃんを抱きしめる。
 今の望みは仮設住宅に入居することだ。世帯ごとの申し込みのため、今のように同じ空間で過ごすことはできないが、それぞれ同じ入谷地区で入居を申し込んだ。辰也さんの仕事は夜勤で日中は不在。文香さんは「余震が来た時、みんなが近くにいればどんなに心強いか」と当選を心待ちにする。
 この2カ月間、奏ちゃんを中心に避難所暮らしを続けてきた。「震災で、住んでいたアパートが壊れ、家財も失った。でも、チビがいることで、家族のことを真剣に考え、家族に感謝する日々を送っている」。辰也さんは奏ちゃんを抱き寄せ、少しだけ笑顔を見せた。(吉田尚史)

◎石巻 配給頼み店再開遠く

 午後4時、宮城県石巻市旭町の豆腐店の前に「救援物資」の紙が張られたトラックが止まった。運転手が弁当が入った段ボールを荷台から下ろす。店の奥にはパンと牛乳、野菜の箱もある。
 「ここが集配場所なんです」と話すのは店主の戸田勇也さん(73)。市と自衛隊が1日3回、店に食料を運び、住民は夕方まとめて取りに来る。
 住民は戸田さんを「会長」と呼ぶ。実は被災直前の3月初め、旭町は戸田さんを会長とする防災組織を立ち上げたばかり。「1度も防災訓練をせずに本番が来ちゃってね」。店先には手書きで「旭町防災本部」の紙が張ってある。
 旭町は10日現在、全世帯の約4割に当たる69世帯184人が自宅で暮らしている。地区には1階が店舗、2階が住居という自営業者が多い。営業を再開できず、収入は絶たれたまま。津波で失った車を買い直す余裕もなく、遠くまで買い物にも出られない。配給は在宅被災者の命綱だ。
 なぜ避難所から自宅へ戻ったのか。尋ねると、意外な答えが返ってきた。「いや、避難所には一度も泊まってないよ」。
 旭町周辺は約70センチ浸水した。戸田さんら多くの住民は水が引くまで4日間、家に閉じこめられた。水が引き、避難所になっていた近くの小中学校に行くと、既に満員で入れなかった。その間は主に冷蔵庫のものなどで飢えをしのいだ。
 配給をもらえたのは発生から10日目をすぎたころ。「偶然、食料を積んだ自衛隊車両を見かけ、支援を頼んだのがきっかけだった」という。
 電気やガス、上水道は復旧したものの、苦労は絶えない。戸田さんも豆腐を作る機械が津波に漬かり、営業を再開できずにいる。数日前から再開に向けた準備を始めているが、食料の受け渡しや住民代表として市役所などに足を運ぶため、復旧作業の時間も、そう多くはとれないのが実情だ。
 「住民のためにも、早く店を再開しないとね」と戸田さん。食料の分配を終え、やっと、豆腐作りの機械の掃除に取り掛かれた。(武田俊郎)


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