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世の中にある情報とは、2つに区分されると思っている。
それは、「知らなければならない情報」と
「知る必要がない情報」である。
「知らなければならない情報」とは、あることを推し進める時に必要であり、
また自己を向上させるためには、なくてはならないものである。
逆に、その必要な情報を掴まなければ、前進はない。
例えば、「海外に行きたいけど、ビザはどこでどのように取得できる?」とか、
「あの学校に行きたいけど、入学資格は?」などである。
一方で、「知る必要がない情報」というのは、
自己を無為におとしめることに加え、人間不信さえもたらす。
例えば、「あの人は、私のことを嫌っている」とか、
「実は、あなたとは友達と思っていない」などである。
人間は、対峙する相手の事を100%理解することは不可能である。
なぜなら、まったく別個体としての脳をそれぞれに保有しているからである。
持っている思考回路が別個体として別々に存在するならば、
それらが100%シンクロするということはあり得ない。
そこで取るべき姿勢というのは、「妥協」であり「歩み寄り」以外の何物でもないだろう。
それを世間では、「やさしさ」とか「寛容さ」と呼ぶのである。
結論。。相手への無駄な詮索は、すべきではない。
なぜなら、それは、変な憶測が憶測を呼び、
相対する者への「ズレ」を生じさせる原因となるからだ。
憶測とは、事実と100%一致するものではないのである。
それは、まさに空想でしかない。
憶測が原因で、今まで築いてきた信頼関係も時として揺らぐ場合があるであろう。
詮索を好む者など、この世には存在しないからである。
逆に言うと、信頼関係というものは、非常に繊細で危ういものである。
我々は、「綱渡り」をしながら、日々信頼関係を保持しようと努力しているのである。
情報とは、結局のところ、個人にその選択を委ねられる。
そこでは、まさに情報の「有益・無益」を瞬時に判断し、
その上で、それらを享受することを我々は「学ばなければ」ならないのである。
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